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人生の苦さを楽しめるようになったら、きっと奥深い味わいになる。

通りすがりにコーヒーの香りが漂うと、
ついつい気を惹かれてしまう。
 
 
子どもの頃は「どうして大人たちはこんな苦いものを美味しいと思うのだろう」と疑問に思っていた。ピーマンもコーヒーもその苦さゆえに、美味しいとは思えなかった。でもどうしてだろう、いつのまにかその苦味を欲するようになった自分がいた。昔はあんなに嫌いだったのに。
 
 
 
それに気付いた瞬間、
大人になったのだなあと実感した。
 
 
 


 
 
・・・
 
 

▫️自信とは「自分を信じる」ことだけど……


そういえばこないだ〝週に一度〟英語で日記を書くなんて note に宣言しておきながら、全く有言実行できてなかった。お恥ずかしい話である。

 
言葉に出して〝宣言〟するのは簡単だけど、実際にきちんと行動が伴っているのか。言うのは簡単だ。でも行動できるかどうかは難しい。最初は期待されていた政治家がだんだん信頼を失っていってしまうのは、この言動一致が成っておらず、人々の期待に反してしまうなからだろう。
 
 

宣言して、約束して、
周囲や相手に「私はこれからこうします」と信じさせてしまったから。
 
 
 
宣言した相手がたとえ自分自身だったとしても、言葉に対して行動が伴わなかったら、自分に対する不信感に繋がるし、結果的には自己肯定感が低下してしまうことになる。
 
 
 
頑張り屋さんや向上心が高い人にありがちだと思うけど、あまりにも理想が高すぎると、その理想と乖離した現実の自分に苦しめられることになる。時にはキャパオーバーになってしまうかもしれない。
 
 
 
私がどれだけ努力しても大谷翔平みたいな天才メジャーリーガーにはなれないし、河野玄斗みたいな神脳にもなれない。残酷だけど後天的な努力だけではどうにもならないものがある。でもこの素晴らしい人たちにない〝魅力〟を必ず持っている。どんな人でも。私はもちろん、このnoteを読んでくれている貴方にも。そしてその唯一無二の魅力はまだ見つけられていないだけかもしれない。
 
 
 
 
ついつい他人と比較してしまって、在りもしない理想を追い求めたくなる。自分が上手く行ってないときは特に、隣の芝生は青く見えてしまうものだ。ただあまりにも現実と乖離しすぎた理想を描くと、「こうするって決めたのに全然できてない」「あの子は◯◯なのに私はどうして」なんて自責の念に駆られてしまうことになる。
 
 
 
だから現実の自分をしっかり見つめるために、常に trial and error(トライアンドエラー)を繰り返しながら実験を重ねて、得手・不得手を見つけていきたい。なぜならそれが自分への信頼を勝ち取るための最短ルートだと私は思うから。
 
 
 
話が逸れてしまった。
まあ私の場合は誰かに約束しているわけではないから、まずは「自分への約束を守る」ことを目標にしていけたらと思う。
 
 
 
カッコつけない自分のままで、カッコよくなりたいから。相手を信頼して信頼してもらうためにまずは自分を信頼したい。大事な人を大事にするために、まずは自分を大事にしたい。好きな人に好きになってもらうために、好きでいてもらうために、まずは自分を好きで在りたい。いざとなったときに信頼してもらえる私で在りたい。大事な人たちを守れる人間でありたい。
 
 
 
決して大きな夢ではないけれど、
これが今の私の目標。
 
 
 
ただ noteという舞台で発信している以上、一応ネット上ではあるし、プライバシー保護なり言動なりは気を付けないといけないけどね。笑
 
 

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▫️甘さ・苦さの絶妙なバランス─人生の味わい?


宇多田ヒカルの有名曲に『flavor of life』という歌がある。タイトルを直訳すると「人生の味」だけど「人生の味わい」と表現してもいいだろう。
 

 
 
大人になるとなぜかコーヒーが美味しくなるのはなぜだろう。(もちろん単なる好みもあるから全員が全員ではないだろうけど。)昔は苦いもの全般が苦手だったのに、今では甘いスイーツを食べるとどうしてもコーヒーが欲しくなる。あの香り、あの苦味がたまらなく好きで。
 
 

人生もそうだ。大人になるにつれて酸いも甘いも、そして苦いも噛み分けられるようになってくる。ただ甘いだけじゃない、ほろ苦さの妙味。そんな奥深い味わいを楽しめるようになってくるのだと思う。
 
 
 
茶道のときにいただく、
お抹茶と和菓子みたいな感じで。
 
 
甘さと苦さが絶妙なバランスで
お互いを引き立て合う。
だから奥深い味わいを楽しめる。
 
 
 
さてここで英文日記を書いてみよう。
いつものように HelloTalk に投稿する内容だけど、今回は日本語訳なしで。
 

Half of the year has already passed since 2024 started.  A lot of things about my surroundings have been changed rapidly this year.  Today's coffee was more bitter than usual, but I enjoyed it.  

 

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▫️自分の〝芯〟はどこにある?


2024年は「変化の年」かもしれない。そう思うぐらいにはあらゆる物事が変化していった。
 
 
徒然草で有名な「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。」というフレーズは、移ろいゆく無常の世を川の流れに例えて表現している。ただインターネットが必須になった現代社会では、トレンドなんていくらでも移り変わるし、正直〝激流〟だと思う。
 
 
そんな目まぐるしい現代社会。
 
 
世の中には何でも知ったような顔をした大人がたくさんいる。それにあまりにも情報過多な社会だから、膨大な知識に圧倒されて「一体何が正解なんだろう?」と迷ってしまうのもおかしくないと思う。
 
 
これだけの選択肢が与えられた自由な世の中で、「私はこの道を行く」と決めて生きていけること自体がとても難しいと思う。江戸時代みたいに家業継ぐとかならまだしもさ。
 
 
 
だから私もたくさん迷ってきた。
アイデンティティが行方不明になってた。
 
 
 
でもそんな目まぐるしい諸行無常の中にも、昔からずっと変わらない〝何か〟があって。人生のあらゆる節々で夢や目標は変わってきたけど、そこには何かしらの一貫性があった。見えない一本線みたいな、そんな何か。
 

もしかしたらそれがいわゆる「芯」であり、
その人の「本質」なのかもしれない。
 
 
 
でもあくまでわかるのは自分自身の本質だけであって。だからこそ人生は難しいのだと思う。そんなたわいもない人生論をぼーっとしながら考えていた。
 

〝われわれはたがいに理解することはできる。しかし、めいめいは自分自身しか解き明かすことしかできない。〟

ヘルマン・ヘッセ『デミアン』より

 
・・・
 

やたらとコーヒーが飲みたくなって、
思索に耽っていた今日この頃。
 
 
脳内で飛び交う思考をキャッチして書き留めておいただけの記事だから、わかりにくい終着点の記事になってしまった。
 
 
 
どんな形であれ、
誰しも死は平等に訪れる。
 
 
20代の私にはまだ想像もつかない。早いかもしれないし遅いかもしれない。でもいつか必ず訪れる「死」をきちんと迎えるために、与えられた「生」はしっかりと堪能していきたいと思う。ただ食事をしているだけでもあらゆる命をいただいているわけだし、生かしてもらってるぶん、これまで繋いできてくれた命に感謝して小さな幸せにも気付けるようになりたい。
 
 
 
だからこれからも生きていく。
人生の妙味を味わい尽くしたいから。
 
 


 
 
 

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