『一千一秒物語』(稲垣足穂)を読んで
◆稲垣足穂と『一千一秒物語』
・読書会の本として選んだ。理由は、業務に直結しない本であるから。ぶっとんでる。
・新潮文庫版は『一千一秒物語』以外の短編も含まれている。それは詩であり、童話であり、短編小説であり、論文。
・稲垣足穂。アウトローの感じがいい。当時の文壇をことごとく、けなしていたり。足穂ブームを生んだきっかけであり、その才能を見出したのが三島由紀夫、そこもいい。三島由紀夫は尊敬していたそうです。
・松岡正剛は、稲垣足穂から多大な影響を受けている。タルホの魅力を伝えるべく『稲垣足穂さん』という本も出している。こちらも骨太な内容。
・収録作品すべてではないが、以降メモをそのまま記します。
◆一千一秒物語
・スピーチがそうであるように、短いほどむずかしい。何度も書き直しをして完成しているよう。努力の跡がみえないようにつくられている。
・発表されたのが大正時代と考えると異端扱いされたのも肌感覚でわかる。逆にいえばいまでもまったく色合わせない。永遠の命を持っている気さえする
・とくにポケットの話は大好きだ。寄藤文平さんが言っていたことを思い出す。「イメージをきっかけに絵が生まれるのではなく、絵からイメージが生まれていく」。これ、言葉も同じなのである。
・「ある夕方 お月様がポケットの中へ自分を入れて歩いていた」この不条理はイメージからは生まれない。奇術まさに立川談志的な意味でもイリュージョン。この技によって言葉から人それぞれのおぼろげなイメージと「よい引っかかり」があたまの中に浮かび上がるのであろう
・なぜ主題のモチーフが月なのか。ルナティック。宗教的であり、宇宙的。遠さと近さのいいとこ取り感はある。そこに漂う乾いた不条理がなんともいえない余韻を残す。
◆黄漠奇聞
・全体の筋やトーンが、どこか『モジャ公』や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー2』を思わせる
◆美のはかなさ
・松岡正剛が『フラジリティ』で一冊書き切ったように、はかなさを考えるのはおもしろい。
・いつも思い出すのはアイドルにはまった頃のこと。エビ中のライブを観に行ってた。そのときに感じたのはアイドルの刹那性。「いまこのときを見ていなければ」というのは旬だからとか、そういった感情もあるのだけど、どこか「いまこの瞬間は二度とない」という、はかなさを感じさせるのです。
・いろいろな哲学者の名や引用もあるけれど、尖端性や美の時間性の議論はオスカー・ベッカーの影響が感じられる。ちなみに丹下健三の自伝によると学生時代、オスカー・ベッカーを読んでいる。
◆A感覚とV感覚
・解説にこんな一文があって、こういうことかあ、というかんじ。「渋沢龍彦はこの作品において『従来の常識であったセックスの二元論を統一して、エロスの絶対的一元論を確立しようとした、これこそコペルニクス的転回と呼ぶのにふさわしい試みである』と語る」
・本文中にある「ギリシャ的エロスの現代化」というワードがしっくりきた。
以上です!
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