芸術論と音楽論は数学的理論ではない

少し前の話ですが、                          私が尊敬しているスティーヴ小山氏が自身のブログで、          「ファンからのアドバイスがアーティストにとってストレスになる理由」  という記事をUPしました。

多くのアーティストがよく言ってくれた!と言わんばかりに拡散していますが、小山さんも言っている通り、そこにストレスを抱えたアーティストが多い事が窺えます。

先日知り合いのアーティストの子の繋がりで、あるアーティストの子のツイートが回って来たのですが、そこには、

たいして現場にも来ないのに「才能あるよ!」「いまはそういう時期なんだよ」などの知ったふりするようなリプライはマジで逆効果だし、というか来てる人からであっても普通に根拠のないこと言われたらイライラしかしないからこういうときはほっとこうね

とあり、「まさにこれですね。」と、上述の記事をリンクした所、途端にいいね!と小山さんの記事のリツイートがありました。            そこからまた何十件か小山さんのリツイートが伸びています。

その記事に私のコメントが投稿してありますが、そこに書いた通り、これはファンには分からない事なのかも知れません。

ルビーの原石に、「こう研けばダイヤモンドみたくなるよ」とか、「ダイヤモンドみたくカットしたらもっと輝くよ」とか言われても、

いや、私 ルビーだし。

って話なのです。

まずアーティスト活動というのは、                   アーティスト本人がやりたい事を好きなようにやる!という事が根本です。

他の商売やサービスと違い、誰かが望むものを提供するというものではありません。そしてそこにクオリティという概念がないのです。

アーティスト本人が本人の中で自分の求める理想に対して、自分のクオリティを見つめるという意味では存在しますが、他人との比較ではないのです。

アーティストは表現者であり、その表現方法は自由だからです。

小山さんの記事で上がっている「意見するものではない」というのはこういう事です。「ファンは純粋に応援する立場」というのもここに集約されます。 大事な事は、「意見」と「感想」は違うという事です。          述べたきゃ「良いか悪いか」だけ述べ、                「あーした方が良い、こーした方が良い」という意見は不要だという事です。(聞かれた時は答えれば良いですが。)

例えば音楽で「ゴールデンボンバー」というグループがいます。      彼らは楽器を弾けませんがバンドとして活動をしています。        既にバンドは楽器が弾けるという概念がありません。           つまり演奏が上手いとか下手というクオリティが存在しません。      楽器が弾けない分、如何に面白く見せるかという追及をセルフプロデュースで実践して行った結果、それが受けて人気者になりました。

バンドは生演奏が最高と考える人たちには受けないでしょうが、      彼らは彼ら自身がそれを全く望んでいません。              そんな事を提供したい訳ではないからです。               それが彼らの自由なアーティスト活動という表現なのです。

美術ではもっと分かり易い例があります。例えば「ピカソ」です。

ピカソは何も絵が下手な訳ではなく、                  一般的な油彩画も非常に上手く描けるのです。

ある時、フランスの建築家の                      「単純さは芸術における目標ではないが、物事の本質を突き詰めると、意に反して単純さに至る。」という言葉に感銘し、抽象芸術の道へ進みます。

「宇宙船地球号」という考え方があります。               我々人類は地球という名の宇宙船に乗っていて、地球はそれ自体が既に芸術作品であるという考え方です。                      例えば「葉っぱ」は、一口に葉っぱと言っても、色、形、一つとして同じものはありません。植物の葉という共通点以外は何一つ共通しないのです。

つまり、顔の輪郭があり、目、鼻、口、があれば、            それはどんな色、形であれ、「顔」である。               という立場に立った考え方をしています。                だからああいう絵になるのか!と納得しますよね。

その視点からピカソの絵を見ると、「なるほど良く分かる!」「これは凄い!」と時代が追いついた結果、ピカソは有名画家の仲間入りを果たしました。

抽象芸術に目覚め、自分の描きたい事を追求し見付けたピカソの結果があれらの絵であり、一般的な油彩画を描いていた前期のピカソは消えたのです。  

元々の絵が好きだった人たちが、幾ら目覚めた後期のピカソに前期のような絵を描いて欲しいと言ったって無駄です。                 

ピカソが描きたいのは抽象芸術であり、ただの風景画ではないからです。

お金を払われて「売る」目的があってお金の為にオーダーを受ける以外、  誰かが観たい絵を描く画家はいません。                 美術史に残る有名な画家たちはその誰もが、               自分の描きたい絵をただただ追求し描いていただけなのです。

これが芸術家であり、それら各々に自身の芸術論が存在しています。    美大に通っている現代の大学生や、芸術家として活動している       全てのアーティストに共通して、                    みんな自分が創りたいものを作っているだけなのです。

音楽も同じです。                           アーティストがしたいのは皆、自分自身の表現です。           だから表現者なのです。アーティストというのは芸術家です。

自分自身の追求以外の何ものでもなく、そこを高めようと活動していて、  そういうアーティストに対し他人がとやかく意見を言うというのは、    それが正しいとか間違っているとか良いとか悪いとかではなく、      全て自分以外の価値観の押し付けであり、                アーティストからすれば悪質なクレームと大して変わらないという事です。 邪魔でしかありません。

誰かが利用する商品を作っている訳ではないのです。           ハサミを作っている業者に「左利き用のハサミを作ったら?」と言って、  実際作ったらヒットしたから他の業者も作るようになったとかそういう話ではないのです。次元が全く違う話です。

自分が創りたいものを創り続けていたら、誰かがそれを好み、       それが連鎖して行って気が付いたら人気者になっている。         そしてそれで生活している。                      勝手に良いと思った人が勝手に集まって次第に大きくなって行く。

芸術の大昔から変わらない本質です。                  それを夢見て活動しているアーティストが大勢いるという事です。

良いと思ったらその人が創り出す作品を手にして行けば良いし、      嫌だと思ったら手放せば良いだけの話であって、             ピカソのように途中で自分がやりたかった事を見付ける芸術家も当然います。

別の記事で小山さんは「ファンは流動的なもの」とも語っていますが、   まさにこれもこの視点に立てばその通りです。

誰かが求めるものを提供するのがアーティストなのではなく、

アーティストが提供するものを誰かが求めるか否かであって、

且つ、その「提供」自体がアーティストの “ 目的ではない。”

という事です。

それがアーティスト活動です。

立場と価値観の話ですから、                      芸術家にしか分からない事なのかも知れません。


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