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苛立ちを大切にしよう。苛立ちの声を聴こう。

さて、皆さん、苛立ちを覚えたときに、そこで、終わらせていませんか?
実は、苛立ちには自分の価値観がぎゅっと詰まっている可能性があります。
ですから、苛立ちをもっと大切にしてみるというのも一つです。


どんなときに苛立ちを感じますか?

まず、自分の胸に手を当ててみてください。
どんなときに苛立ちを感じやすいでしょうか?

  • 私は日常生活だとやはり明らかにマナー違反の人を見るとイラっとしますね。当たり前のように横入りをする。すれ違いざまに全くよけようとしない。ぶつかっても謝らない人。などなど。

  • 仕事だとやはりあまり自己中心的なものの考え方をする人。やはり、失敗をしても決して謝らない人もちょっと許せないかな。私は上司だろうが部下だろうが謝るべきだと思うので、部下にも自分が悪い時は積極的に謝るようにしています。

  • ニュースを見ていて苛立ちを覚えるのは自分の価値観を絶対だと感じる人が他者を決めつけるような一方的な物言いをしているときにイラっとするかも。あとは自己中心的な考えで事件を起こした犯罪者とか、かな。

この頃は人の苛立ちをよく見かけるようになりました

さて、以前は、それほど苛立っている人を目にする機会が多くありませんでした。実社会ではやはり苛立ちはみんな隠しますよね。
特に、現代はコンプライアンスやハラスメントが厳しくなってきたのであまりに感情的に振舞う人は社会的に忌避されがちにはなってきました。

しかし、別の発露場所があるんですよね。そう、皆さんもご存じのSNSですね。あるいは、ネットニュースにもコメントが記載されますよね。そして、それに対する、「いいね」などの共感。

ちなみに、さっきの私の苛立ちから私の人物像が見えてくるんですよね。

やっぱり、自己中心的な人が好きではないようです。特に自分が絶対正しいと思っている人。周りの迷惑を一切鑑みない人が許せない様子。
まるで、キーワードみたいにこの言葉が出てくる。

とはいえ、私は「自分の考えを持ち、自分の信念に従って生きる人」のことはリスペクトしますし、そういう人が大好きなんです。

ですから、自己中心的な人を一切嫌いというわけではないようです。
このように自分の苛立ちに声を傾けていくと、自分への理解が深まります。

なぜ、苛立ちに声を傾けると有効なの?

それは他の感情たちよりも、自分のコアな価値観に直結しているからです。
「許せない」→それは「自分のコアな価値観を侵された」と考えられるからなんですよね。

だから、苛立ちには自分の素の声が詰まっており、自分を理解するために非常に有用なポイントと言えるのです。

私が逆効果だと思うことは…

これは何かといえば、SNSなどに拡散して、共感を集めようとすることです。共感エコノミーといった言葉があるくらい、共感への価値観が高まっている時代ではありますが、共感には逆効果もあります。

  • SNSで一定以上の共感を集めれば、「自分は正しいんだ」と気持ちよくなってしまい、そこで終わってしまう。

  • 逆に共感を集められない、批判的な声がたくさん集まれば、「納得いかないまま」謝罪をする羽目になったり、批判的な声をくれた人たちへの、「憎しみ」や「社会への絶望感」が募ることになりかねないです。

結局、何が起こるかと言えば、自分への理解が深まらないまま、知らず知らずのうちに、「価値観だけが強化されていく」ことを繰り返します
そうすると、より、細かな部分が目に付き、苛立ちが増えるようになり、そのたびに共感してくれる人を集めて一時的に不満を解消して…と、この繰り返しが幸せなようには私には思えないんですよね。

ですので、苛立ちを覚えたら、まずは、自分の胸に手を当てて、声を傾けてほしいと思います。たとえば、SNSなどを通して言語化することを通して、自分の声を聴くということであれば、問題ないと思います。
言語化することで、自分の声を聴くことに対して効果的ですので。

ちなみに、私が提唱しているポジロジシンキングでも第一段階は、
「自分を知る」ところから始めています。
今回は自分を知るコツについての話でした。また、次回!

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