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6期目のはじまりに、

 『フジエダは己と価値観の違う人間を許せないのだ。目ざわりに思い、社会から排除したいと思っている。今回の行動はその気持ちのあらわれにほかならない。価値観の違う人間を矯正することで、目ざわりでなくしてしまう。ところで三人の中学生も、価値観の違う人間に嫌悪を抱き、排除をはかった。フジエダと中学生の行動は、実は同じ根っこから生まれたものなのである。中学生は感情をストレートに表現し、フジエダはさも美しいもののように飾って表現した。』

 年明けに読んだ、歌野晶午の短編集、「ハッピーエンドにさよならを」にある「尊厳、死」という作品の主人公の言葉が、私を鋭く、突き刺し、内側を抉り出しました。

 少し前の話。

 きゅうの利用者さんが、楽しげに話しながら帰りの送迎車に乗り込んでいると、女性が近づいてきて、スタッフへ、障害者を支援しているアナタたちのような人は偉い。素晴らしい。と、興奮気味に感謝と感動を伝えてきました。
 昼休憩時、ビルの後ろでスタッフが利用者さんと一服して雑談していたら、男性が近づいてきて、精神障害者の支援をする人がいることが、どんなにありがたいか。と、興奮気味に感謝と感動を伝えてきました。
なんだか、嫌でした。

 一昨年、とある研修の「実践と発信はワンセット」という言葉に感銘を受け、意識していますが、時折、強い感謝と感動を返されてしまうことがあります。どうも”いづい”のです。

 支援する側と支援される側。
 その境界線を曖昧にし、ひとりの人として関わることを心がけようとすることは大切です。関係は相互に育まれていくものです。お互いに支えあうものです。しかし、誰かを支援するのなら、力になりたいと思うなら、相手に対する、自らの言動には、大きく強い影響力がありうることを自覚しなければなりません。
 特に、私は会社の代表をし、事業所の管理者とサービス管理責任者という役割を持っています。そんな、大きく強い力と立場を持つ私が、目の前の生きづらさを持つ人に、価値観を押し付け、対話を捻じ曲げ、思考を偏らせ、選択を誘導させることは難しいことではありません。
 もちろん、そんなことはしません。しかし、大きく強い力と立場に無自覚のまま、他者に添い、支援者としてあろうとすること。それは、怪しく、危うい。
誰かから、世の中からの感謝と感動は嬉しいです。しかし、それは、私を傲慢に、暴力的にさせるかもしれないのです。

 実践し、発信していることが、誤っている可能性に意識を及ばせること。
 力と立場は持っているものではなく、持たされていることを自覚すること。
 強い信念が固まり、思考が硬直しないよう、柔らかくしなやかに揺れ動き続けること。
 まなざしの死角を、人の弱さを想像し、自分の身の丈を知り、行動すること。
 矛盾に向き合い、答えのない問いの答えを求め続けること。

 フジエダと三人の中学生は、私です。背けてはいけません。

 株式会社北村笑店は2017年の6月7日に生まれました。今月から6期目がスタートしています。
 笑う店なんです。怒りと哀しみ、傲慢と暴力に飲み込まれないように、笑顔を絶やしません。絶やさないようにしなくても、普通に生きれて、笑っちゃう世の中になりますように。
 こうして、続けていけるのは、皆様のおかげです。本当にありがとうございます。これからも変わらず励んでいきます。
 今後とも、どうぞ、よろしくお願い致します。

2022.6.7

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