見出し画像

ワーママ、やめました ーキャリア編ー

約2年半の空白期間を経てnoteを再開した私ですが
ここ2年間での大きな出来事は、
「ワーキングマザーをやめたこと」
なにをどうやめたのか、今回はその後編です。

前回の記事と重なりますが、背景を少し。
約10ヶ月前の2023年8月まで、私は
「家事育児をしながらバリバリ働いて」いました。

フルタイムで会社勤めをし、資格も取り、副業もして、一生懸命頑張っていました。
将来は独立して自由な時間を得ようと思っていました。
自由になった時間で、ボランティアもして、社会貢献もしていく人生にしよう、と思っていました。

ですが、その生活が心身ともに徐々に苦しくなってきました。

それで、1回立ち止まって
「私なんでこんなに頑張っているんだっけ?」
と、考えたんです。(幸いにも)

そして、ワーキングマザーを辞めるに至ったわけですが、
その過程で「必要以上のお金を求めない」
腹を括った話を前回は前編として書きました。

ですが、ワーママをやめるにあたって腹を括らないといけなかったのは、
お金の問題だけではありませんでした。

それが「キャリア」の問題です。

キャリア、いる?

バリバリ働いていた頃の私。

女性のキャリア
ママのキャリア
人生100年時代のキャリア

キャリア、キャリア・・・

と、いう言葉に呪われていました。

ああ、なんで学生時代にもっとちゃんとキャリアデザインをしておかなかったんだ・・・と後悔しては
今からどんなキャリアを描いていくかを一生懸命考えていました。

ぼーっと学生生活を過ごして
周囲に流されながら就活したという過去に関しては、
後悔しても今から変えることはできません・・・。

だから、改めて、

キャリア、いる?

これについても深掘りしてみました。

キャリアが重要になる1つの理由は、
食いっぱぐれないようにするためです。
肩書き、経歴が確かなものであれば、働き先に困ることががなく、ある程度の収入が担保される、その安心感を求めていました。

でも、「お金を必要以上求めない」と整理できたときに、この観点は一緒に捨てることができました。
一定上の収入を担保することに執心しなくても、最低限の衣食住を基準にすれば、話が変わります。

少々厄介だったのは、もう一つの理由です。

アイデンティティを捨てるということ

「バリバリ働いていること」それ自体が、私のアイデンティティの一つとして重要になっていたのです。

何かしらのキャリアを語れることが、自分の存在価値として重要でした。
子どもたちからカッコイイと思われる条件のように思っていました。
だから、仕事を捨てることで、自分の存在価値の一つを捨てるような感覚がありました。

実際、会社を辞めてからも、少しの副業は続けて、周囲には「今ちょっとフリーランスみたいな感じで働いてるんです」と言い続けました。
嘘ではないですが、
働いている自分を捨てられない心がありました。

専業主婦です、って言えるようになるまで少し時間が必要でした。

今までフルタイムで仕事をしていた時間が空くことになるから、怠け者と思われるのでは?
友達はみんな仕事をしていて、私だけ仕事がなくなって、急に少数派になってしまった。
私が働いてないで家事ばっかりしているように見えるのはこれからの時代にの教育上良くないのでは・・・。

いろんなことが浮かびました。
不思議なもので、人のことは気にならないのに、
自分自身に関してこう思えちゃうんですよね・・・自意識過剰で。

そんな心をきちんと見つめていったら

結局、これも欲張りだなあ、と片が付きました。

はだかの王様

またしても、示唆を与えてくれたのは昔話です。

「はだかの王様」の読み聞かせを子どもたちと一緒に聴いていて、しんみり思うことがありました。

みなさんご存知の「はだかの王様」

王様は詐欺師に騙されて、街を裸で行進し、国中の笑いものになってしまいました。

王様を大失敗させたのは、まさしく「見栄と虚栄心」です。

自然に気づいたら手に入っていたキャリアなら素敵ですが、
自分でデザインして、求めて、手に入れていくというのは
やっぱり、強欲に感じられました。

そして、詐欺師に騙された王様さながら、
世間の「キャリア、キャリア」という言葉に振り回されているかもと思いました。私にとっては、それは中身がない透明な布なのかもしれない。

自分の見栄やプライドを膨らませて一体何になるんでしょうか。

結局、お金と一緒です。
呪いの言葉に踊らされて必要以上に「認められること」を求めているのは、欲張りです。

認められる、っていうのは、与えて感謝された先にあるもので、自分で手に入れようとするものじゃないな。

と、気がつきました。

子どもたちにかっこいいって思ってもらう姿は、
別にワーママとしてバリバリ働いていなくてもいいですよね。

例えば、地域のボランティアに積極的に参加して、いろんな年代のお友達がいて、なんか街を歩いてたら知り合いがいっぱいいる人、みたいになれたら、それもそれでめっちゃカッコいい。

例えば、哲学者顔負けに勉強していて、人生の幸せや心の豊かさについて、迷いなく語れる母も、かっこいい。


かっこいい母ちゃん、のあり方も様々なはず。

そんなことで、「キャリア」の呪いから無事に解放されることができたのでした。

まとめ

共働き、やめてよかったですか?と聞かれたら
今の私は迷わず「はい」と答えます。

ここまで書いたように、色々な欲張りに気づいた状態で、自分や家族や大切な人たちの心の幸せについて考える時間ができたからです。
でも、この「欲張りに気づく」ということができていなかったら非常にモヤモヤしていること間違いなしです。

あれもこれも手に入れよう、という欲張り心を離れることで、
かえって心が満たされるというのは不思議な経験
ですが、
それが人間というものだよね、と妙に納得する感じもあります。

今更ながら、ワーキングマザーの定義を調べてみると、このように書かれていました。

ワーキングマザー=家事・育児と仕事を両立させている母親

出典:小学館 デジタル大辞泉

仕事、の定義も調べてみました。

仕事=生計を立てる手段として従事する職業

出典:小学館 デジタル大辞泉


前編、後編と書いた私の「ワーママ、やめました」エピソードをまとめるとこういうことになります。

お金やキャリアを求める欲張りな気持ちを手放して
生計を立てる手段として従事する職業を持つことをやめたら
意外と幸せです。

欲張りで見栄っ張りな自分の姿に気づかせてくれたのは
昔ばなしや童話でした。


子ども向けのお話、あなどってはいけませんね。

では、この辺りで終わりにしたいと思います。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。


あ、ところで・・・、仕事辞めて何してるの?老後の不安は?
ということは、これからの記事で少しずつ触れたいなと思います。

昔ばなしから学ぶっていうのもシリーズ化しようかなと思うくらい、勉強になることばっかりです。

noteを再開してまた色々書くのが楽しみです✨




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?