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引っ越しとフラットメイトさん達/そろそろ日本に帰りたくなってきた人間のイギリスワーホリ記⑦

 ごきげんよう、休日です。

 ようやく仕事を始めましたが、契約が短期なので次の仕事のことを常に考えなければならない。憂鬱。

 前回はこちら↓

※ここに書いてあることはすべてフィクションです。


あやうく入居10分で部屋を汚しかけた話。

 引越し当日、早朝。カフェテリアのソファにうず高く積まれた私の荷物を見て、私は頭を抱えた。
 嘘だと言ってほしい。一ヶ月でなぜこんなに荷物が増えるんだ、何も買っていないのに。
 ドライヤーと、数着の服と、スキンケア用品と、調味料と、大英博物館のロゼッタストーンのグッズを欲しいだけと、……。
 うん、(不必要なものは)何も買ってないな。

 冗談はともかく、とても一人で運べる量ではない。
 幸い、二人の友達が手伝いを申し出てくれていた。血反吐を吐いて築きあげた人脈はこういうときに役に立つ。とは言えこの量、3人がかりだとてギリギリなような気もするが。
「ま、なんとかなるでしょう。いざとなれば往復すりゃいいのよ、タクシーよりも安いだろうし」
 とカフェテリアに荷物を置きっぱなしにして、トラファルガー・スクエアへと向かった。

 その日はちょうどウエストエンドライブの日。
 ミュージカルの本場であるウェストエンドの本物のキャストさんが来てパフォーマンスをしてくれる贅沢なイベントである。なんと無料。
 そろそろ2024年も開催されるので皆様行くように。損はさせません。
 ツイッターで知り合った友達と二人で行くことにしたのだが、あまりの混雑具合に会場外の少しだけステージが見えるところで参戦することになった。
 かすかに見えるステージパフォーマンスを楽しみ、音楽に乗り、美しい歌声を堪能していると突然プログラムが止まった。
 何が起こっているんだ、演者トラブルか、と思っているとグォオオオオンと、空から音が鳴る。
 見上げると大量の飛行機が雲一つない空を縦断している。あきらかに特別な雰囲気。
「何あれー?」「わからないです~」「飛行機雲がカラフルで超カワイ~、誰か教えてくれ~笑 何が起こってるんだ~」
 と、同行者と騒いでいると隣から日本語が聞こえた。
「あの飛行機は国王の誕生日のためのものです、最近戴冠式がありました」
 アジア人だ。流暢な日本語だが、母国語ではなさそう。戴冠式というと私が渡英する前に話題になっていたやつか。たしか……。
「王様ですよね? なんとか何世……」
「それだと何もわからない」
 彼女は笑った。
 香港出身で日本に留学経験のある大学院生、賢く、話す言葉(日本語)もとても美しい。触れてきた文章の質が高いことを思わせる。
 ミュージカルの話で盛り上がりインスタを交換、その後今までロンドンでの良き友達となっている。億が一、本人が見てたら、ありがとうね。この前頼まれてた茶筅忘れてごめん、次会うとき絶対持っていきます。
 ウェストエンドライブ、私達が出会った場所で、また。

 イベントを堪能し終わった後は引越作業。
 語学学校のカフェテリアで集合した友人たちに、お手伝いのお礼としてポンド紙幣を渡そうとしたら拒否された。
 なんで? 払わせて? ロンドンでは交通費も馬鹿にならないのに。次すぐ会えるならお茶でも奢れるけれど、ねぇ、私達次いつ会えると思ってるの? そんな人間に優しくしないで、お願い、対価を払わせてよ。
 私に利益なく優しくしないで、怖い。お金で解決できる感情なら、そうさせて。
 ……と内面でメンヘラを爆発させながら、元気よく移動開始。
 その日は夏日で、半袖でもかなり暑い。遮るもののない太陽にカンカンと照らされながらスーツケースを押す。友人ズには比較的軽いカバンをお願いしているが、かなり重労働であろう。やはりお金を払いたかった。
「暑い……」
「できるできる、がんばる!」
 無責任な激励を飛ばし、ゴロゴロとスーツケースを転がしていく。長い登り坂だけれど、異国での引っ越しというアドレナリンがドバドバ出る状況では荷物が羽のように軽く感じる。
 賑やかな繁華街から、似たような建物が建ち並ぶ住宅街へと入っていく。フラット、という聞き慣れない単語もこの一ヶ月で馴染んでしまった。

「あなたがキュウジツね! 入って! 会えて嬉しい!」
 気の良さそうな大家さんが迎え入れてくれる。
 内見のときに会っていないので、実は初対面である。いい子は大家さんと会ってから物件決めてくださいね。
 英語が私以上に簡易な方だったので最初は戸惑ったが、簡単な単語を選んで突破。
 友達にお礼を言って帰ってもらい、3階まで私の荷物を運ぶ。
 ようやく運び終わり一息ついて、大家さんと自己紹介をし合う。その最中に鼻から流れ落ち、汗だくのシャツをパタと濡らす水の雰囲気。鼻水かと思って腕で拭うと赤い筋が。
 クソ、鼻血だ。
 鼻炎持ちの私にとっては夏の風物詩で、毎年のように枕を血で濡らしているがイギリスに来てからは初めてである。
 慣れているので特には驚かない。トイレットペーパーもらっていい? と鼻に紙を詰めていく。⁠
「おちついて! おちついて!」
 大家さんが一番落ち着いてくれ。いや鼻の血管が落ち着いてくれという意味では私もそう願いたいが。
 座らせてもらい、しばし血が止まるのを待つ。床をチェックしたが血はついていなかった。
 良かった、デポジット高いんだよねここ。

 隣の部屋の優しそうな人とも挨拶をし、1階のキッチンで大家さんから使い方の説明を受ける。
 自分の棚、自分の冷蔵庫、自分の冷凍庫。
 他のフラットと比べるとかなりマシなのはわかっているが、収納スペースが少ない。特に冷凍庫はかなり使うので少し不安を感じた。
 大家さんが洗濯機の説明をしてくれているときに、日本人が上から降りてきた。
「こんにちは~新しい人?」
「はじめまして、さっき引っ越してきたばかりです。キュウジツです。よろしくおねがいします!」
 そのフラットメイトさんは洗濯機の詳しい使い方などを教えてくれた。日本語だと頭を使わずに理解ができて良い。
 洗濯機は冷水モードのみらしい。インターネットで仕入れた情報と違う。でも、服が傷みにくくて良さそう。
 語学学校には洗濯機がなかったから、正直あるだけで有り難かった。

フラットメイトさんとの距離感を探る。

「午後、近くのスーパーへ行くんだけど良かったら一緒に行く?」
 フラットメイトさんの申し出に、是非おねがいしますと二つ返事。最低限の荷物を整理し、階段を下がる。
 スリッパ買わなきゃいけない。あとハンガーと、棚用の収納用具と……。
 新生活、欲しいものは山ほど出てくる。
 
 鍵の開け方と閉め方を伝授してもらい、2人でスーパーへ歩き出す。結構遠いのだが、かなり安い価格帯のスーパーだと聞いているので楽しみだった。
「私この前日本帰ったときに日本語教師のセミナー通ってさ、セミナーの値段がね……」
 よく喋る。楽しい。私はおしゃべりなので、間を与えられると喋ってしまう。なので、間髪入れずに話してくれる人は貴重である。
「〇〇ちゃんなんかさ、すごいよ。こっちで完全英語環境で〇〇で働いてて〇〇」
 それはそれとして話が入ってこない。無理。今日の人間関係スキル値が飽和したようだった。
 今から共同生活をする人間だ、何かあればまた聞けばいいだろう。同じことを何回も聞くことにもう抵抗はない。
 イギリスに着て1か月、早くも図太くなったものだ。

 とても大きなスーパーに、ここって田舎なんだなと確信する。とんでもないところに住んでしまった。
 フラットメイトさんによる丁寧な指導が行われた。
「惣菜類が安いのはここ! スキャンする時こっちのバーコードを読み込まなきゃだめよ」
「はい!」
「冷凍食品はここ、パンはここ、お酒は飲む? ジンが好きなんだね、じゃここ!」
「は、はい!!! ありがとうございます!」
「野菜のセールはこの棚だけど、今の時間になるといいやつは売り切れる。無職の間は朝に来るべきよ!」
「一生ついていきます先輩!!!」
 ……結局、買ったのはコンソメキューブとオリジナルブランドの安い油揚げ麺、ラズベリーだった。
 食生活が終わっているのは日本でもイギリスでも変わりない。

 その後いつも通り友達と遊び倒し、夜中に帰ってきた。
 ちょうど同じ時間に帰ってきたらしい、まだ顔を合わせていなかったフラットメイトさんと挨拶をする。
「あ、はじめまして。今日引っ越してきた、キュウジツです。お願いします」
「よろしく。今夜中だからそんなに話せなくてごめんね、私いつも夜が遅いから。また」
 笑顔が素敵な方だった。私もうまく笑えていた。
 これで全員と挨拶できただろうか。絶対に先住民の機嫌を損ねてはならない、と私の直感が言っていた。共同生活には不安しかないがなんとかなると言い聞かせて部屋へと戻る。
 少しお腹が空いていたがご飯を食べる気力はない。キッチン、何時まで使っていいのか分からないし。使い方とか聞いてもよくわかんないし。

はじめてのダブルベッドに寝転んで。

 スーツケースのほかに何もない空間が静寂を引き立たせている。耐えられなくてヘッドホンを付けた。
 白を基調にした部屋は落ち着かない。早く絵をたくさん描いて、壁に貼り付けよう。ポストカードも沢山貼ろう。作れるなら立体物も作って部屋を飾ろう。
 でもそうやって「自分の部屋」を作ったとして。私、ロンドンに長く住めるのかしら。
 何もない、すべてを失ってからずるずると生きている私。なんのスキルもなく、パニック発作を起こしてからは息をするのも得意ではなくなってしまった。
 一回、死んだようなものだ。精神疾患で記憶が混乱してから性格も、言動も、全てが別人のように変わってしまった。だから私は死んだのだ。これは余生。
 そう思うと面白くなってきた。老人ホームと思えばいい部屋かもね。屋根は斜めだし、エレベーターのない3階だけれど。

 マットレスプロテクターだけが敷かれたダブルベッドに寝転ぶ。ガサ、と肌触りの悪いマットレスは広い。いくらでも太れそうだ。
 帰国売りで手に入れていたベッドシーツは何故か小さくてベッドにかけられなかった。ダブルって言ってたのに。お金を無駄にしてしまった。
 ただの布になってしまったものをくしゃくしゃにして、部屋の隅へと放る。
 明日、マッチングアプリで知り合った在英長い人と会う予定があるからベッドシーツ選んでもらおうっと。
 
 はは、明日は何人の人と会わなければならないんだろうか。疲れちゃった。寝た方が良い。
 これで本格的に、私のイギリス生活が始まる。
 ツイッターに引っ越し完了の報告をして、いいねが来ているのを確認してから丸まって眠った。寒くはなかった。


 それでは今回はこのあたりで。
 休日でした。

【今回のヘッダー】バラ園巡りに忙しい6月です。

↓次回はこちら

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