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私の中の厄介で強情で、でも可愛いわたし

私が子供だった頃、私には敵が多かった。

空気は読めるんだけど、あえて読まない選択をすることも多かったし、何より私は反骨精神に満ち溢れた少女だった。
自分なりの正義を持っていたし、理屈っぽいところもあったし、頭を押さえつけられるのが何より嫌いだった。

私はまだ子供だけど、私を一人の人間として認めて、会話をしてほしい。
上から抑えつけ、選択肢をあらかじめ奪うようなやり方は許せない。
対等に向き合い話をしてくれれば、私はきちんと理解できるはずだ。
子供ながらにそんな風に思っていた気がする。

目上の、自分よりも力の強い相手からのそういう高圧的なふるまいを、幼い私は全力で拒絶した。
大人は私のことをさぞ面倒な子供だと思ったに違いない。

小学一年生の時、クラスメイトの女子とおそらくくだらない理由で言い合いになった。
口論はヒートアップしていき、結果友人は教室で涙を流した。
それまで私と彼女の言い争う姿を見世物のように楽しんでいた外野が、その瞬間一気に彼女の側につき、泣かせた私を糾弾した。

私は涙一粒の威力に純粋に驚きつつも、この小さな粒一つで突如自分が悪者にされることに納得がいかず、どれだけ責められてもツンとした態度を崩さなかったし、私は最後まで泣いた友人に謝ることはなかった。
だって、友人が涙をこぼす瞬間まで、私と彼女は対等だったはずなのだ。

あの時、直前まで無関係だった周囲が一斉に敵に回り、自分が悪役側に回らされた経験は不思議で理不尽で、そしてなんだか印象深いエピソードとして私の記憶に残っている。

ちなみに分別の付いた、いい大人になった今振り返ってみてもあの時外圧に負けず、毅然と首を上げ続けた小さな自分を誇りたいと思っている。
ケンカした友人ともその後すぐに仲直りしたし。
そういう感想を未だに持ってしまうというのが、私がいかに面倒な人間であるかをよく表している気もする。

またある日、転校した先の学校で、私はクラスで一番体の大きなガキ大将的男子に言いがかりをつけられた。
言い合いになった際、男子は私の腹部を足で蹴った。
蹴られたといっても力のコントロールが上手くなされていて、大した衝撃ではなかったのだが、そもそも転校したばかりで味方もいない孤立無援の状態で、自分よりガタイのいいクラスのリーダーである男子に蹴られたとなれば、これをきっかけに不登校になってもおかしくない事態ではあった。

蹴られた瞬間、私は恐怖よりも圧倒的に強い怒りを覚えた。
実際に何を言ったのかはっきりと覚えていないが、おそらく「なんてことをするんだ!」というようなことを強いなまりの九州弁で怒鳴ったように思う。

ガキ大将はあからさまにびっくりした表情をし、その後一度も彼からいじめられるようなことはなかった。
私は昔からいざという時の戦闘力と瞬発力がまあまあ高い。

そのガキ大将は、幼いがゆえに、上記のような荒い言動をすることもあったが、根はまっすぐの少年だった。

基本的に喧嘩は上級生としかしないし、明らかに弱い子を粗暴な上級生から身を張って守ってあげるような独特の正義感のようなものも持っていたように思う。

彼が女子に手を出す姿を見たのはこれっきりだったし、30歳の同窓会で再会した彼は、東京の大手企業で活躍するさわやかな大人になっていた。
きっと自分の未熟な部分をしっかりとコントロールし、良いところだけを磨いて成長したのだろう。
私は彼のことが全然嫌いではない。
いつか「ねえねえ、昔私のおなか蹴ったの覚えてる?」と声をかけ、いたたまれない気持ちにさせてみたいなと悪趣味なことを考えている。

※私はノーダメージでしたが、未熟な子供であろうが自分より弱いものに手を上げることは許されませんよ!

私は私のまま大人になった。

会社の上層部に向けた「忌憚ない意見を聞かせてほしい」という全社向けアンケートに実名で、痺れるほど辛辣極まりないご意見を送り、直属の上長を震え上がらせたこともある。
普段の仕事ぶりは真面目で優秀(自分で言う)、評価も非常に高かったしなによりいつも笑顔で可愛いものだから(自分で言う)余計に周囲を恐怖に陥れた。

凶悪なお局に嫌がらせをされたときは敢えて人目のある場所で「そういうのやめてください」と真っ向から戦いを挑んだ。ちなみにそういうのはやめてもらえた(笑)

20代の頃、会社の給湯室ですれ違った同僚女性に「お疲れさまです!」と声を掛けたら無視されたこともあった。
居合わせた別の同僚が心配して「何があった?今無視されてたよね?」と私に声をかけるまで、私は自分のあいさつが無視されたことにすら気づいていなかった。
「え?無視されてた!?」
驚く私に同僚が腹を抱えて笑った。

あとから仕入れた情報で、私は、私を無視した女性に勝手に恋敵の認定をされていたらしいことを知った。
当時仲良くしていた同僚男性とは全くそんな関係性ではなかったのでとんだとばっちりだ。

とばっちりだなぁと思いはしたが、無視のダメージは全くなかった。
私は私の大事な人に大事にされていればそれでいい。

あれ?思い返してみると、ケンカや戦い多いな。

突然何故そんなことを思い出し、つらつらと記事を書いているかというと、オーラである。

オーラが視えるという同僚に私のオーラについて詳しく説明をしてもらっている時に思い出したのだ。
つまり、そういう色がやはり私にあった。そういうことだ。

「こっちの色剥き出しで生きるとまあまあ敵をつくります。でもそれもまた魅力なんです」
同僚はそう説明してくれた。

私は2色の相反する性質のオーラがところどころ混ざって、また独立して存在しているらしい。

そのうちの一色が、私の上記のような性質を表しているという。
残りのもう一色は、ほんとに全く毛色の違う性質で、「穏やか」「人間的に円熟している」「愛嬌かつ柔軟性」「人間好き」のような意味があるらしい。

確かに大人になるにつれ、そちらの平和的性質をうまく使って社会生活を営むようになってきたなぁと納得した。

おかげで現在、社会生活はいたって順調だ。
会社でも、牙なんて持っていませんよみたいな聞き分けの良い顔をして熱心に働いている。

でも、多分私は昔から私なのだ。
私のめんどくさくとも愛おしい厄介な部分はきっと一生私の中に息づいていて、多分なくなることはない。
今後はこっちの色も上手に磨いて、魅力の一つにしていきたいな。
けんかっ早いところとかはうまくコントロールして。

こちらの個性が強い色、しばらくないがしろにしてきた気がする、そう夫にぼやいたら「俺にはそっちの色全開でぶつかってくるやん」と言われた。



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