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教育のプロが語る、やさしい『学問のすすめ』〜世界の国々と自分の役割:自立って何だろう?〜

国と国の平等について

人が集まってできる国は、日本国は日本人の集まり、英国は英国人の集まりです。日本人も英国人も、みんな同じく地球上の人たちですから、互いに邪魔をしないのが当たり前です。一人が一人に迷惑をかけないのと同じで、たくさんの人がいても同じことです。

世界を見ると、豊かで強い国もあれば、貧しくて弱い国もあります。たとえばヨーロッパやアメリカは豊かで強く、アジアやアフリカは貧しい国が多いです。でも、これは国の状態で、みんなが同じである必要はありません。

強い国が貧しい国に無理を強いるのは、強い力士が病気の人に力を使うようなもので、許されることではありません。

日本も西洋の国ほど豊かではないけれど、国としての権利は同じです。正しいことをすれば、世界中が敵になっても恐れることはありません。私たち日本人は、勉強して、強くなって、国を豊かにすることができます。今は弱くても、将来は強くなることができます。昔強かった国も、今は弱くなることもあります。

日本人は、勉強して、自分たちの力をつけて、国を豊かにすれば、西洋の国を恐れる必要はありません。正しいことには協力し、間違っていることは打ち消すべきです。自分が自立して、国も自立することが大事です。

一人ひとりが自立して国も自立すること

国と国は平等ですが、国の中の人々が自立していないと、その国は本当の意味で独立できません。ここに重要な3つの点があります。

1 自立していない人は、国のことを深く考えません。

自立とは、自分で自分のことを決め、他の人に頼らないことです。自分で物事の良し悪しを判断し、間違いなく行動する人は、他人の知恵に頼らずに自立しています。自分で働いて生計を立てる人も、他人のお金に頼らずに自立しています。もし皆が他人に頼ろうとするだけなら、国全体がそのような人を支えられません。これは、誰も手引きしない盲人の行列のようで、とても不都合です。

ある人は、「人々はこれに従うべきで、自分で考える必要はない。世の中は目の見える人と見えない人がいるので、賢い人が上に立ってみんなを支配し、その意見に従わせるべきだ」と言います。これは孔子の考え方ですが、実際には問題があります。一国の中で人々を支配できるほどの才徳を持つ人は、千人に一人もいません。

たとえば、人口100万人の国があるとします。その中で千人だけが賢く、残りの99万9千人はあまり賢くないとします。賢い人たちが、他の人々を子供や羊のように扱い、愛情や威厳で指導して、どう行動すべきかを示すなら、その国は平和に保たれるでしょう。しかし、実際には国の人々は主人と客のように分かれており、主人たる千人が国を支配し、残りの人々は何も知らない客です。客であるために心配も少なく、ただ主人に頼るだけなので、国を心配することはありません。しかし、外国との戦争などがあると、この不都合が明らかになります。賢くない人々は、適切に行動することができず、危険があると逃げ出すかもしれません。そのため、国の人口は100万人でも、国を守る人は少なく、国の独立を守るのは難しいでしょう。

私たちが外国から国を守るためには、自由で独立した気持ちを持つことが大切です。

国の中のすべての人々、地位の高い人も低い人も、上も下もなく、国を自分のこととして受け止めなければいけません。賢い人もそうでない人も、目が見える人も見えない人も、みんなが国のために自分の役割を果たすべきです。イギリスの人はイギリスを自分の国と思い、日本の人は日本を自分の国と思います。自分の国の土地は他人の土地ではなく、自分たちの土地です。国のためには、お金を失うことも、命を捨てることさえ惜しくないと思うことが大切です。これが国に対する大きな義務です。

国を治めるのは政府ですが、それを支えるのは国民です。でも、大切なことがあるときは、国民が政府にだけ任せずに、自分たちも行動するべきです。日本にもイギリスにも、その国の名前を背負って生活している人がいます。自由に生きる権利があるので、それに伴う責任もあります。

昔、駿河の今川義元が織田信長を攻めた時、信長の策略で義元は倒れ、駿河の軍は逃げ散りました。一方、フランスとプロイセンの戦いでは、フランスが頑張って戦いました。これは、駿河の人々がただ一人の義元に頼っていたからで、自分たちの国として考えていなかったからです。でも、フランスでは多くの人が国のために自分から戦いました。これは、国民一人ひとりが国を大切に思っていたからです。

これから考えると、外国との戦いで自国を守るとき、国民一人ひとりが独立した気持ちを持って国を大切に思うことが大事です。独立した気持ちがない人は、国のことを深く考えないでしょう。

2 内で自立できない人は、外で自立もできない

自立する気力がない人は、いつも他の人に頼ります。

他の人に頼る人は、いつも他の人を恐れます。他の人を恐れる人は、いつも他の人にお世辞を言います。いつも他の人を恐れ、お世辞を言う人は、それに慣れてしまい、恥ずかしいことも恥ずかしいと思わなくなります。ただ相手の言う通りに動くだけになります。慣れた行動は、なかなか変えられないものです。

たとえば、日本で平民にも名字が使えるようになり、裁判所の様子も変わって、表面的には士族と同じようになりました。でも、習慣がすぐに変わるわけではなく、平民の考え方は以前と同じです。言葉遣いや接し方が低いままで、目上の人にちゃんと話すことができません。言われた通りに動くだけです。このような無気力な態度は良くないです。

昔、日本が閉じた国だった時、人々に気力がなくても政治に問題はなかったし、役人にとっては便利でした。でも、今、外国と交流する時代になって、これが大きな問題になっています。たとえば、田舎の商人が外国人と取引をしようとして横浜に来ると、外国人の強さやお金の多さ、大きな商館、速い蒸気船に驚いてしまいます。そして、外国人との交渉で、彼らの駆け引きに驚き、無理な理屈を言われても、ただ驚くだけで、恐れて大きな損失を受けてしまうことがあります。これは一人の損失ではなく、国の損失です。一人の恥ではなく、国の恥です。

先祖代々自立する気を持たなかった町人の性格は、武士に抑えられ、裁判所に叱られ、足軽にも尊敬されていました。そんな臆病な人たちが、大胆な外国人に会って怖がるのは当然です。これは、内で自立できない人は、外でも自立できないことの証拠です。

3 自立する気力がない人は、悪いことをすることがある

昔の日本の政府の時代に、権力がある大名の名前を借りてお金を貸し、無理な取引をする人がいました。これはとても悪いことです。自分のお金を貸して返してもらえない時は、政府に何度も頼んで訴えるべきです。でも、政府を恐れて訴えないで、人の名前を借りてお金を取り返すのは、卑怯な行動です。

今はそういう名前を借りる取引は聞きませんが、もしかすると、外国人の名前を借りる人がいるかもしれません。これまでのことから考えると、今も疑いがあります。もし外国人と同じ場所に住んでいて、その名前を借りて悪いことをする人がいたら、それは国にとって大きな災いです。だから、国民が自立する気力がないことを便利だと思ってはいけません。災いは予想もしないところで起こります。国民が自立する気力が少ないと、国を売るような災いも大きくなります。この条の最初に言ったように、人に頼って悪いことをするとは、このことです。

以上の3つの点は、人民が自立する心がないことから起こる災害です。今の時代に生まれて、

愛国心がある人は、仕事に関係なく、まず自分自身が自立することを考え、余力があれば他の人の自立も助けるべきです。親は子供に自立することを教え、先生は生徒に自立を勧めるべきです。

士農工商の人たちも自立して国を守るべきです。結局、人を束縛して一人で心配するよりも、人を自由にしてみんなで苦楽を分かち合う方が良いです。

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