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「基本条件は孤独」

暮しの手帖・元編集長の松浦弥太郎さんの言葉です。わたしがわからないわたしは、この事実を認めたらなんだか生きやすくなった気がします。自他境界がはっきりしたのかもしれない。

松浦さんは、とても基本のことを、なんて分かりやすい言葉として残してくれたんだろう。なんとなく自分に還りたいときに、ふらっとそのページを読みに行きます。松浦さんの人柄が詰まっているなあ、と感じるからどこか一部だけを拾い上げるのは難しいんだけど、私はいつもこの部分に「ああ、そうだった……!」と感動するの。

人は人とかかわりあって生きていきますが、恋人も家族も100%ぴったり、1つにはなっていないものです。
何を考えるかで行動も生き方も決まりますが、思考というのは、誰かと一緒にはできません。
感じる、思う、考える、選ぶ、決める・・・人生の根っことなるこうしたことは、一人でしかできない。この事実をいさぎよく認めねばならないと思うのです。

[引用:今日もていねいに。暮らしのなかの工夫と発見ノート(著:松浦弥太郎,出版:PHP文庫)]

特にここ。

「人生の根っことなるこうしたことは、一人でしかできない。この事実をいさぎよく認めねばならないと思うのです。」

この事実をいさぎよく認めなければならない。「ねばならない」んです。ここ、すごく肝だなあと感じました。

「ねばならない」芯って人によってまちまちだと思うけど、それでもこれって、誰にとっても共通で普遍じゃないかな、と私は思ったんです。そして、私のその基本も大事にしていきたいし、私以外の人のその基本も大事にしていきたい、と強く思った。


「基本条件は孤独」と言っても、私たちはひとりにはなれない。いろんなものから影響を受けて、いろんなものに晒されて、時には誰かに「わたし」を変えられてしまうこともあると思う。

どんなに頑張っても、自分で考えるための材料を自分だけで調達する、なんてことは不可能です。ネットワークで情報は溢れ、誰かとすれ違いながら生活し、とても気の合わない人と同じ屋根の下で生活しなければならなかったりする。

そんな環境の中でわたしが生きていくと、時には自分の意思に反することをしなければいけないこともあって、「今自分がこうなってるのは〇〇とか〇〇が原因だ」となることもある。そしてもちろんそれも重要な気づきの一つだと思う。だって原因や理由が分からなければ、これからどのようにしたらそうならないかの判断ができなくなったりするから。

だけどだけど、じゃあその中でわたしがどう感じるか、考えるか、行動するか。「今自分がこうなってる」のは「嫌」なのか「どうしたい」のか。それはわたしの意に反することなのか、気持ちのいいものなのか。それを感じて、それを自分の感情だと気づいて、そこからどう考えるかというのは、誰も本当の意味では決めてくれない。

誰かが誰かの意見として「こう考えたらいいんじゃない」と言ってくれることはあるけれど、それってその人の考えなだけであって、それを受けたわたしにしっかり目を向けたら「え〜それだとちょっとなあ」とか「そうするべきかもしれないけど苦しく感じるなあ」とか「すごくいいと思う」とか、そうやって感じている自分が根っこの根っこにいるはず。

それを感じるのはわたしにしかできないことであるという根本を認めなければならないんだ、ということを松浦さんのこの言葉から気づかされました。


わたしはずうっと「わたしがわからないわたし」を問題意識としていて、わたしってなんなのか、わたしの言葉ってどこにあるのか、いまいち分からなかったんです。

ちょっとずつちょっとずつ、掘り掘り掘り掘り、手探りで、一番おくの自分の声にちょこんと触れることができてから、「あ〜!そんなところにいたのか〜!!」という感じで、今は前より自分の声を聴きやすくなった気がします。

以前、同じ題材で影響を受けたYouTubeの動画について書いたこの記事について、松浦弥太郎さんの言葉で理解が深まったというか、腑に落ちた部分があるので、よければ合わせてご覧ください。


似たような領域に「過去と他人は変えられないけれど、自分と未来は変えられる」という言葉があるけど、そう、他人も変えられないんですよね。だって他人もれっきとした「基本条件は孤独」な一人で、その人の根っことなることはその人にしかできないんです。

わたしと同じように、その人がどう感じるかも、不可侵で、その人が決め「ねばならない」もの。そこに気づいてから、私はできるだけ、難しい問題な時はとくに、私が言葉を紡いでしまう前にじいーーっと沈黙してその人の言葉を待つ、ということを意識するようになりました。

クローズドクエスチョンとオープンクエスチョンでいうと、かなりオープンなクエスチョンで、その人が何に焦点を当てて何を感じたのか?を確認するようにしています。

その人からしてみたら「え、この人何が聞きたいの?どう言ったら正解なわけ?何を答えればいいの?これとかこれとか、考えてることはあるけど範囲が広すぎて何を求められているのか分からん!!」という感じでかなり負担だと思うんだけど、その面倒を乗り越えて紡いで伝えてくれた言葉には、こちらもそれ相応の誠意を持って受け止めたい。


最近わたしがかわったところです。図書館で出会ったこの本はお守りとして購入しました。もし気になったら読んでみてください。


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