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オススメ小説「るん(笑)」著:酉島伝法【感想】

【オススメ小説】
タイトル:るん(笑)
著者:酉島 伝法
出版社:集英社

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概要とあらすじ


 それぞれ異なる人物を主人公とした3つの短編からなる連作。主人公は全員、ある人物の関係者となっている。

科学よりも所謂「スピリチュアル」や「無根拠な民間療法」など似非科学が優位となった世界。現実では「信憑性のない異常」なことが「疑いようのない日常」として描かれる。そして、その日常に居ながら、明確ではないが違和感を感じつつ生活する3人の視点で異様な世界が描かれる。

▼”三十八度通り”
一ヶ月以上に渡って、38度の微熱が続く「土屋」は妻「真弓」に隠れてゲネツザイを服用する。真弓は熱心に閼伽水アクアから愈水ゆすいを作ってくれるが一向に熱は下がらない。ある日、不注意で服薬を妻に見られてしまい「免疫力の立場をなぜ考えないのか」と糾弾されてしまう。
▼”千羽びらき”
真弓の母「美奈子」は医者から「体のわだかまりが末期の状態」と言われ入院していた。家族は病院は「病気をつくるところ」であるとして退院や別の治療法を進める。そして、お見舞いとして送られた千羽鶴を一枚一枚開きそこに書かれた人物に御礼をする「千羽びらき」をすることになる。
▼”猫の舌と宇宙耳”
真弓の甥にあたる小学4年生「まこと」は、今は居なくなったはずの「猫」を見つける。思考を盗聴する宇宙耳を出すおじさんや、近所の人に隠れて猫を探すうちに町にある山が昔は存在していなかった事を知る。そして友達と共に猫を探す為、その山へ向かう。


世界観について

 土屋の住む町は、「龍」が住んでおり次元上昇アセンションが済んでいるし、その龍の鱗は水道水を浄化するために使用される。電磁波は大変有害なものなので、携帯電話はもちろん自動販売機などはお札が貼られている。ちなみにパソコンはあるにはあるが、厳重な結界のもとで短時間しか使用できない。

薬や病院など「科学的」なものは信用ならない。自然由来が最善とされ「ミカエラ」という霊的にとても良い謎の食べ物が重宝されている。また、生まれ月や星座などに基づく「心縁」と呼ばれる特定の人との霊的、エレメント的つながりは家族の縁より強い(らしい)。

 ”千羽びらき”では「病は気から」などと言い、「やまいだれ(疒)をとって丙気へいきと呼びましょう」や、「医者にかかるから病気になる」などいろいろと極まってくる。また、不特定多数が読むことを想定して書かれた本は「心縁」という思想上良いものではないらしく絶版寸前となっている。猫に至っては「ビョウ」と読めるので病気を連れて来ると言われ、忌避されている。タイトルにもなってる「千羽びらき」は詳細は書かないが最高に気分が悪くなる。

 最後の話”猫の舌と宇宙耳”では、この世界の教育風景や見ることが出来る。忌み言葉が増え、言葉狩りが進行している。まこと視点の独特な言葉選びの地の文と合わさり不可思議な世界観がさらに進行する。

太陽直視の時間、頭にアルミホイル、便器を素手で「綺麗にさせていただく」習慣、生活環境からか歯や髪の毛がない子、幼児期の体操により首が曲がっている子など、現実において聞いたことある怪しいあれこれ。そして、再び「龍」と呼ばれる存在が登場する。

 ちなみに「死」の概念も変化しており、旅立つ為にパスポートを発行してもらい「次元上昇」をするらしい。なので「死ぬ」のはパスポートを発行してもらえないランクが低い人だけ……という扱い。

 あくまで似非科学を大多数が信じているだけで、物理法則や科学現象は我々の現実とは変わらない。つまり、ケガや病気は着々と進行しているし何も解決へと向かっていない。この環境で育った子供世代がどうなるか3話目を読めばわかるだろう。

そんな世界で、上記のことが「正しい」ものとして遂行される様は異様で恐ろしくものだが、読み進めるうちにその異様さに慣れていく自分に驚きを覚える。

作中の人々が言う「手書きのほうが気持ちがこもってる」「これだからAB型は」とかは根拠など無いが、自分も含め使う人も結構いるのではないか。神頼みしてみたり、幽霊や見えない何かを怖がったりと意外と「るん(笑)」の世界と紙一重なのかもしれない。


真弓と読者

 3つの短編中において「真弓」という存在は、作中の世界観において「普通の人」として描かれており、読者としては異常な存在に見えるがあくまでもこの世界観において「正しい」のは真弓である。彼女は世界観を知る為の窓口として、また現実世界の「常識的な意見」で行動する読者を作中に映す鏡として機能している。

真弓は現実世界の私たちなのだ。熱が下がらないときに水素水を買ってきて飲む夫に対し、その行為を諫め病院で処方された解熱剤を進める、現実世界に置き換えれば至極まっとうに見える。彼女は間違った考えを持つ土屋にどうにか正しい考えを伝えたいだけなのだ。

しかし、異なる常識を持つ者同士の考えを擦り合わせることは困難極まる。”三十八度通り”において彼女の選んだある行動はある意味正解なのだろう。あまりに違う考えを持つ者同士が、互いに妥協できないならば距離を置き干渉しないのが最良の方法なのだ。悪く言えば臭いものに蓋。


”おかしい”と”ふつう”の境目

 人が何かを信用する際の境界の「線引き」はどこにあるのだろうか。メディアが発信しているから、特定の個人が発信しているから、専門書に書いてあるから、自分の経験則など様々考えられる。実際しっかりとした線を引ける人はいるのだろうか。仮にあったとしても杓子定規で判断する鉄柵のような強固な境界ではなく、状況や相手によって斟酌する水面に浮く糸のように揺れ動くものではないだろうか。

だから、「テレビなどのマスコミは嘘だ」と言いながら「ネットは真実を書いてる」なんて発言が出てくる。どちらの媒体も、人の手で作られている段階で嘘か真実かなんて分りはしないし、究極的には自分以外の誰かが発信した情報で自分で実践や検証して確かめることが難しいものがほとんどだ。その情報が信じるに値するかどうかは、内容云々よりも情報発信者を線引きに使っているからだ。


感染する”常識”

 異様なものでも、周囲が疑っていなかったり、何度も繰り返されれば人は慣れてしまう。その物事が正しくなくても、慣れは疑うことを思慮の外に放り投げ、疑わないことの積み重ねは「信用」へと置き換わる。「慣習」と呼ばれる行動の多くは当てはまるのではないだろうか。幽霊は信じないけどお墓に手を合わせる。迷信は信じないけどおみくじ引く。入院のお見舞いにシクラメンは持っていかない。これらのことは一切科学的な根拠がないにも関わらず、実行してる人は多いはず(自分もそうだが)。そして、強固な存在となった「慣習」はやがて「常識」へ組み込まれる。

まさに作中の異様な光景はこれらの延長線なのだ、明らかにおかしい物事でも何かのきっかけで大多数が慣れてしまえばそれは常識になりえる。ネットにより開けた世界となった現代では、似た感性を持つもの同士の閉じたコミュニティが増えその|集団≪コミュニティ≫における「大多数」を作りやすい。複数の集団に属する人を媒介としある集団の常識が、別の似た集団の常識を取り込み、また別の集団へ伝播しいずれ社会の常識に組み込まれる。一部の業界やコミュニティで使用されていた用語が一般メディアで突然使われ始めたり、注釈もなく使われているのがいい例だと思う。

土台は既に出来上がっているので、何かのきっかけで現実社会がこの「るん(笑)」の世界に変貌する可能性もあるのだ。

はっきり言えるのは、一度信じた物事は並大抵のことがなければ疑うことはをしない。明らかに自分が引いた信用の境界を逸脱しても難しいのだ。それほどまでに物事に対する信用は思考を阻害する(人に対する信用、信頼は一瞬でなくなるけど)。


まとめ的な何か

 ふとした時にでも、「なぜ」「どうして」を考えるくらいはできるようにしたい。「科学的根拠」だって今現在の科学で最も説明が付く事象でしかない、今後の新発見でガラリと変わるかもしれない。何より自らの信用の線引きが正しい、信じている常識が正しいとは断言出来ないのだから。

様々な情報が飛び交い、世界の常識が変わるであろう災渦の今、ぜひ読んで貰いたい一冊です。

あなたの常識は世界の常識ですか? 世界の常識は「正しい」と言えますか?

ひとつ確かのは信じるものは少なくとも心は救われる。



ここから先はネタバレ含むので飛ばしてもOK


考察〔ネタバレあり〕

◆世界観について

・会話から数十年前までは現実とあまり変わらない常識だったらしい
・描写、会話から薬と病院はいまだ存在している
・電磁波は忌避されているのにネット、携帯などは少数ながら現役
  →運営、運用は出来ている模様 
・テレビは信用ならない、見てはだめとい描写
  →放送自体は普通に行われている
・牛乳、除霊していない肉などの忌避されている食材も売っている
  →この世界ならそもそも販売されてなさそうなのに
・転校した真の友達の手紙より、違う考え方をもつ集団の存在
・建設がおわらないハコモノと言われる施設

上記のことから、実は似非科学が蔓延した世界などではなく現実と変わらぬ世界において、似非科学を信奉する人たちの隔離地域を舞台とした物語ではないか。

◆「龍」について

・幅30メートル、長さ15キロメートル。コンクリートの土手の下に横たわる
・描写から体は流水のようなもので、鱗と呼ばれる何かが存在する。
・鱗は大量発生するものらしい
・「そのうち日本が一体の龍になる」という発言
・冬には水分がなくなり、中州が出来る
・龍は燃えやすい
・龍に贄を与えると水質が悪化する
・龍が暴れると海岸に龍砂が貯まる
・死んだ龍を埋めた山はブルーシートで何重にも覆われ、猫の死体や電化製品などのゴミが出てくる
・死んで祀られた龍に近づくと祟られる。

単純に川のように思える、どうしようもなく汚染されてヘドロ状になった川は攫って山として埋め立てしているのだろうか。鱗についても水の浄化作用がある、貼り付けて使用で、生臭いことから牡蛎(作中でも科学者がそう発言している)のようなものだと推測できる。

冬に龍が燃えてしまったのは、干上がった川に溜った乾燥した枝や滞留物が可燃性だったからだろうか。

龍砂も火山岩とか噴火(龍が暴れた)による軽石とも考えられる。

大きな災害や公害を起こしたものを「龍」と呼び祀っているのかも、龍を封じる「三本の檻」が想像つかなかった。ダムとか水門とかだろうか。放射能のマークは中心から3本線が伸びていいる様にも見えるけど。

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