見出し画像

なぜ理系の私がアートに憧れを抱いたのか

将来アートに関する職に就きたいと考えている理系の大学生です

今回は私が研究、勉学に励んでいくなかでなぜアートに魅力を見いだしたのかということをお伝えできればと思っています

このブログは自分の思考を整理するために書いている側面もあるので、多少読みにくい点はあるかもしれませんがその点はご了承ください



夢は研究者!ド理系時代


昔から研究者を目標にしてきた私がアートというものを志すにあたって、まず研究者になることの断念がありました

その理由とは、自分の研究が役にたつビジョンが見えなくなったことです

おおよそ研究者には2タイプあると私は思っていて、それは

・自分の好奇心、興味に基づき、知りたいことを研究するタイプ

・社会をよりよくしたい、という意義をもって今すぐに使えることを研究するタイプ

この2タイプです

私はどちらかというと後者だったのかもしれません

そして私の研究テーマは「環境問題」

環境問題は実際に目に見える問題なので私にとってはもってこいのテーマでした

しかし、あるとき

「あれ、俺の研究って使われなくない?何の役にもたたなくない?」

こう思ったわけです

思ってしまったの方が正しいかもしれません笑

そのように思った要因として、環境問題はたったひとつの研究で解決されるものではない、ということがあります

問題解決のための研究よりも当事者ひとりひとりが自覚をもって行動することが環境問題においてはより重要です

研究では人々の自覚を促すのは難しい

そのため課題に対する自分の無力さを痛感してモチベーションを失ってしまいました

こう悩んでいた時期は「人間はなんて愚かなんだ!自分さえよければいいと思っている!」なんてことばかり考えていましたね笑

…まぁ今でも思ってるけど

※一応フォローさせてください

 この疑問を複数の先生に聞いてみたことがあります

 そのときは「今は使えないかもしれないけど、いつかこの知識が使えるときがくるかもしれない。ほら君だって昔の論文読んだりするでしょ」と言われました
 
 本当にごもっともなご意見です

 意義のない研究なんて存在しないと思っています

 ただ自分が研究を続ける自信をなくしてしまっただけです

 死後に評価されるゴッホのような存在にはなりたくないのでね笑



芽生えたアートへの憧れ


ここまで研究に対するモチベーションを失うまでの話をしましたが、だからといってすぐにアートだ!となったわけではありません

現在の研究へのモチベーションを失った後は、使える研究をするか、もう完全に実用の香りのしない基礎研究をやりたいと思っていました

ただそれ以上にやりたいことに出会ってしまったんですよね

それがアート

昔から展覧会とかに行くのは好きでしたが仕事にしようとまでは思っていませんでした

ではなぜアートなのか、ということをここから書いていきます

研究のモチベーションがなくなっていた時期私は学校にも行かず、バイトも辞めて暇な生活を送っていました

要するに病み期ってやつです

そのとき通ってた病院の近くに美術館がたくさんあったので、病院ついでに美術館を覗いて帰るみたいな生活

そのときの私は印象派に執心していました

「モネにはこんなに世界が綺麗に見えるんだ!」

なんて思って、作家と視点を共有することで、色のついてない自分の世界に色がついた感覚でした

この感覚に味をしめて、辛くなったら美術館行ってアートを観るみたいなことをするようになっていった感じです

というわけで辛い時期、私はアートに心を支えられました

そこで

「アートなら人の心を落ち着かせたり、動かせたりできるかもしれない!」

人の心を動かせない…と研究のモチベーションが下がってしまった私にとって、この気付きはまさに青天の霹靂といいますか、もうこれだ!これしかない!って思ったんですよね

今思うと短絡的な気もしますが、まぁ一度のめり込むと周りが見えなくなる性格なのは自覚しているので、振り返れば自分らしいななんて思います笑



「環境問題の取組で足りなかったのは、情報ではなく、想像力です」


上の言葉は”ブリストル2015”という環境関連の行事の際、「アート(芸術)を利用して変化を起こす方法」という冊子のなかでジョン・ロビンソン教授が発された言葉です

ここまで読んでくれた人は分かるかもしれませんが、私のバックグラウンドと完全に合致する言葉にここで出会います

「これ!そう!その通りだよ!」

当時の私の感情を端的に言語化しているこの言葉との出会いがさらに私をアートへと加速させていきます



今の夢、キュレーターへ


キュレーターご存知の方いらっしゃいますかね?

ざっくりいえば展覧会を企画したり、作家探したり、説明文を書いたりと展覧会の何でも屋みたいな職業です

このキュレーターが今の私の夢です

なぜ自分で作品を創作するのではなくキュレーターなのか?

これは想像力を働かせてもらうためです

自分での創作は自分の考えの押しつけになってしまうかもしれない

ですが、コンセプトに対して肯定的、否定的、具象的、抽象的さまざまな作品を扱う展覧会を企画することで観る人の想像力を掻き立てることができるのではないかと思ったわけです

観る人の想像力を掻き立てる、これが私が目指す展覧会で、これを作れるようなキュレーターになりたい!

厳しい世界だと思っているのですが、一旦ここで宣言することで自分に追いこみをかけてます笑

私も来月からギャラリー運営のインターンが決まり展覧会の企画等をやらせてもらえることになりました

とりあえずはここで経験を積もうと思います

美術館、ギャラリーそれぞれ目的が違うのでキュレーションの方法も異なると思いますが、この業界に携われることが刺激になるのは間違いありません

色々吸収してこの業界で輝けるように努力努力の日々です

よーし、勉強がんばるぞー!

この記事が参加している募集

サポートしてくれたら、あなたのいる方角に向かって1日5回拝み倒します サポートしていただいたお金は活動費として使わせていただきます(書籍、展覧会、イラストの外注などなど)