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日本の英語教育について真剣にALTと喋ってみた先に見えたモノ

皆様お疲れ様でございます!

最近は忙しさにかまけて、noteでの発信が止まってしまっていました。

まぁ、学期末はどこの職場でも忙しすぎて、記事を書いても読んでいただけるかわかりませんが。

業務の多忙さはあるものの、翌週の教材研究をしなくてもよかったりして、いつもとは違った余裕が出てくることもあるのもまた事実‥(もちろん基本が忙しすぎるのですけれども)

ということで、自分の学校のALTの先生と、少し立ち話をしました(※以下あくまで1人の英語のALTの感想です部分的に編集しております)。

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私「ぶっちゃけ、日本の学校の英語教育ってどうよ?」

ALT「概ね悪くないよ。特に進学校(大半が大学進学する学校)では読解能力と筆記力はかなりいいと思う。」

私「というと?」

ALT「そこに限界もあると思う。リスニングとスピーキングの能力はかなり低い。そして、それが結果的に読解力や筆記力の足を引っ張っていると思っている。」

私「どうしてそう思うんだい?」

ALT「一定レベルまで読解力と筆記力が上がってくると、それに応じたレベルのリスニング力とスピーキング力がないと、読解力と筆記力もそれ以上伸びなくなってくる。リスニングとスピーキングの能力が低いせいで読解力と筆記力が頭打ちになるイメージかな。」

私「そのメカニズムは?」

ALT「メカニズムというわけではないけれど、リスニングとスピーキングは瞬時の判断が必要なんだよね。瞬発力というか。読解力と筆記力はゆっくり考えることができちゃうけど、リスニングとスピーキングはそうはいかない。だから脳が考え続けることになる。」

私「本当の意味でのアクティブ・ラーニングだね」

ALT「そうとも言えるかもしれないね。だから、まずはとにかく使ってみることが大切なんだ。間違えてもいい。間違えることは言語習得に必要な1つの大切な過程なんだ。」

私「なるほど。だからこそのスピーキングというわけなのか‥」

ALT「これには日本の学校の文化的な背景も関係しているような気もするよ。日本の学校では間違えることを生徒たちは恐れているように思うよね。正しい答えを求めるような風潮がある。だから失敗を恐れて発言できないし、スピーキングも上達しない。」

私「それはちょっとわかるような気もするなぁ‥」

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今年から中学生の英語の教科書の内容がなかなかに強烈になりましたね。

きちんとやろうとすると時間が足りないのかもしれません。

そもそも、目指すレベルはどれくらいなのでしょうか。

いろんなことを考えてしまいます。

今は変化しようとしている日本の英語教育ですが、もしかすると、もっと初期の段階からいろいろなものが必要なのかも知れません。

ガッツリやる必要はないけれども、細々とでも継続して幼少期から耳を慣らしておくのはもしかしていいのか?とか思ってしまったりもしてしまいました。

しかし、そういうものがいい、ということになってしまうと、そこには家庭間格差だったりいろんな問題が出てきてしまう。

やっぱり教育にはお金がかかるよね、というお話になってしまうんでしょうか。

そしてこれは英語に限った話ではありません。

理科的な体験もそうですし、数の話もそうですし、絵本などの文学的・文章的な話もあるでしょう。

そして、お金の話は家庭内にとどまらず、日本全国の問題でもあると思います。

大学も資金が足りていない。

研究もままならない。

やっぱり教育にお金はかけて欲しいと思います。

少なくとも自分も、自分の家庭の中ではちゃんとお金をかけたいと思います。

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