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【父と祖父母との生活】きょうだい児として家族を考えたお話

中学入学してすぐ、私と父は祖父母の家で2ヶ月ぐらい生活をしていました。

母と兄とも別々での暮らしでした。

現在、兄は施設で暮らしているため、別々での暮らしを送っていますが
その時が初めて兄と別々で過ごした時間でした。

今回は、父と祖父母と暮らしたことについて書いていきたいと思います。

父と祖父母と暮らしたわけ

なぜ、私が父と一緒に祖父母の家で暮らしたかというと、母が入院することになったからです。

母が入院することになったタイミングがちょうど、中学1年生に上がるタイミングでした。

私は地元の中学校ではなく、電車で通う必要がある中学校入学してお弁当なども必要だったため、父が全て準備することは無理だったこともあり祖父母の家で面倒を見てもらうことになりました。

私はそれで問題なかったのですが、兄までを祖父母の家で面倒を見ることは難しいため、兄は母が入院する間は施設に短期間ですが入ることになりました。

兄は当然、何がなんだか状況はわかっていなかったのかなと思いますが
そこまで暴れることなく施設で暮らしていたそうです。

私は慣れない電車通学、緊張の中学生活など諸々生活環境が大きく変わり
兄の心配をしている暇もほとんどなく毎日忙しく生活していました。

そして、それを優しく祖父母は支えてくれました。

多様な生活

私は初めて、兄と母と離れて暮らすことを経験しました。

もちろん、合宿などはありましたが月単位で離れて暮らすことはなかったので何処か寂しいような感覚もあったことを覚えています。

現在、兄だけが施設で暮らし私は父と母と一緒にそして祖母も一緒に暮らしています。

障害があるないに関わらず、家族の形・暮らし方は多様であると思っています。

しかし、幼い頃から当たり前だった暮らし方が変わるとやっぱり何処か寂しいと感じます。


また、兄が知的障害であるために離れ離れで暮らすことにも色々考えさせられます。

もし兄が障害を持っていなければ、おそらく母が入院した際は兄も一緒に祖父母の家で暮らしたのかもしれません。

もしかしたら、8つ離れているため私の面倒を見て、祖父母の家にお世話になることもなかったのかもしれません。

もしもの話をしたらキリがありませんが、兄は我が家の中心的な人物でもあるのに関わらず、一緒に暮らすことは意外に難しいんだなと最近思います。

両親というか母が元気なうちは、兄とおそらく一緒に暮らすことができるとは思います。

しかし、今は別々で暮らす選択を両親はしているのです。

これは、両親のためでもあり兄のためでもあり祖父母のためでもあり、そして私のためでもあるのです。

そもそもは、母が祖父の介護をするために、兄がいてはなかなか介護に専念できないために兄を施設に入れました。

でも、それだけではないと今は感じています。

祖父は他界したこともあり、元の生活のように4人で生活することに戻ってもいいのかもしれませんが、現実は別々の暮らしのままです。

その理由もいくつかあるかと思います。

その1つは、障害者施設はなかなか入ることが難しく(基本埋まっている)
新しい施設ができるタイミングか、田舎ではないとなかなか入ることができないことがあります。

つまり、今の施設を出て家に帰ってくると次いつ施設に入れるのかわからなくなるのです。

そうなると、今度は祖母が介護が必要になったとか父が倒れた
母が入院するとか•••そういった事態が起きた際に兄を面倒見れなくなってしまうのです。

だから、おそらく施設を変えることが今後あったとしても家に帰ってくることはないかと思います。

それは、私たち祖母や父、母、そして私の生活を守るためでもあるのです。

こういった実情があったとしても、兄が可哀想だなと何処か思ってしまいます。

母だって、まだ自分が若いのに今から施設に入れていいか悩んでいましたし
施設に入っている兄のことを心配しています。

私も、時より私だけ父や母と暮らしていていいのかなと思います。

同じきょうだいという立場にも関わらず、私は両親と暮らせることができているが兄はそれができない状態であり、それがみんなのためだとわかっていても何処か複雑な気持ちになるのです。

これは、中学生の頃私が父と一緒に、祖父母の家で暮らしていた時も同じでした。

きょうだいとして

家族が一緒に暮らすことだけが全てではないと思います。

色々な家族の形があっていいと思います。

しかし、いざ自分の家族となるとどうしても一緒に暮らしたいし
そうした方がいいのでは?と思ってしまう部分があるのです。

きょうだいとして、私は私の人生がありそれを別に両親や兄に邪魔をされる筋合いはないと思います。

ただ、兄が障害ということによって困難になっていることを
私だけができてもいいのかなと時より感じるのです。

私には私の人生があるように、兄にも兄の人生があるのでそんなことを気にする必要はないとは思うのですが、何処か気にかけてしまうのです。

最後に

これまでの暮らし方を振り返り、きょうだい児として感じてきた家族の思いを書いてきました。

家族だから、きょうだいだからなど固定概念にとらわれる時代ではないと思います。

しかし、やっぱり幾つになっても何処か兄のことを気にする自分がいることに改めて気づきました。

兄が障害者だからということに限らず、家族やきょうだいは自分の人生に良くも悪くも影響を与えるものだと思うので、自分がきょうだい児ということに囚われすぎないようにしたいと思いました。


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