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【四十九日】ていねいに書く雑文~その176~20221120

【四十九日】
父方の祖母が亡くなって、今日で四十九日。正式には初七日・二日七日(ふつかなのか)と数えていって七日七日(なのかなのか)っていうらしいけど。

母方の祖母も2年ぐらい前に亡くなっているので、わたしから見たじいちゃんばあちゃんは全員いなくなってしまったことになる。

こないだ亡くなった祖母は、数え年で100歳だった。まぁ、大往生というやつだと思う。大往生のときって、田舎なんかだと親戚一同集まってごちそう食べながら酒を飲むみたいなイメージがあるかもしれない。笑って送ってやるのが何よりの供養みたいな。

まぁ、そういうのも湿っぽくならなくていいと思うけど、悲しいものは悲しい。もちろん、年齢的に覚悟はしていたことなので、驚きはないけど、悲しみはある。

ウチの親戚の9割は広島に集中している。でもみんなで集まることなんてのは、まずなくて。お葬式で20年ぶりに会った、みたいな人もいる。まぁ、かといってわたしがこれまでひんぱんに実家に帰っていたか、と言われるとそうでもないけど。実家に年に3回も4回も帰るようになったのは、ここ1、2年の話でしかない。

祖母は、遠い遠い親戚とか、場所的にこれまで数えるほどしか会えていないという人じゃない。実家から車で10分もかからない場所に家があるので、子どものころは毎週のように行っていた。わたしは、めちゃくちゃかわいがられた。と言っても過言ではないだろう。

10年くらい前に一度、集中治療室に入って、あっさりと回復・退院した祖母は、80歳くらいになって周りに止められるようになるまでチャリに乗っていたぐらいの元気な人。

でもさすがに最後の10年くらいは介護ベッドだった。寝たきりではないけれど。その間は主に父が介護をしていた。60歳を超えて再雇用で働いていた父は、早めに退職をし、介護は泊りがけで週5でしていた。

祖母が亡くなる前から父は「世話をさせてもらっている」と言っていた。若い頃にたくさん迷惑をかけたようで、その恩返しをさせてもらっているんだと。もちろん介護のストレスはあっただろうけど、妻よりも子どもよりも孫よりも、自分の母親、みたいな感じだった。

10年の介護がどれくらいのものだったのかは分からない。わたしと違って几帳面で、やるなら徹底的にやるタイプなので、きっと大変だっただろう。
でも、それを恩返しだと言える父はすごいと思う。

父は長男なので、喪主だった。親戚だけが集まるお葬式の〆の挨拶をするとき、父は泣いていた。正直なところ、父の子どもであるわたしからすると「お父さん、長い間、介護お疲れ様」的な気持ちがあった。でも父は違った。恩を返し足りていないと思っていたのかもしれない。父はどれだけ愛され、祖母をどれだけ愛していたのか。

泣きながら挨拶をする父を見てわたしは、「親が悲しくて泣くってなんて辛いことだろうか」と思った。親だけは泣かせてはいけない。40歳近くになって、今さらだけど、強く思った。

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