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兄妹ときょうだい-家族と向き合う姿勢-

第2回京大リアルゼミ(10/2514:00~16:00)は
「きょうだい」のリアルを語り合う京大ゼミ~障害ってなんやねん!?~
ということで、きょうだいを取り上げます。
詳細はこちら
→https://www.facebook.com/kyotosrealseminar72
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→https://forms.gle/nzV9ZkbGuqLRH76u6

こんにちは!前回は「きょうだい児×京大生」の就活、という記事を書きました八方美人です。

次回の京大リアルゼミは、きょうだいを取り上げます。
(きょうだいとは、障害のある兄弟姉妹を持つ人のことを指します。)

せっかくなので、今回は僕と妹の関係について少し書いてみようと思います!

僕たち兄妹の関係性

僕と妹は2歳違い、妹は知的障害があります。

僕たちの関係性は、「兄と妹」ではなく、「父と娘」に近いのではないかと僕は考えています。

兄と妹、特に2歳差のようにあまり年齢も離れていなければ、ある程度の年齢で同じ水準の会話をし始めるのではないでしょうか。

例えば、親が病気で入院したら、頼り頼られつつ、自分たち家族はどうすべきかを話し合ったりするのでしょう。

その一方で、僕たち兄妹における「父と娘」のような関係とは、妹は兄にとって守り続ける存在であるということです。

今回の映画「僕とオトウト」でも、駐車場で弟(壮真)の体を兄(佑透)がつかんでいるシーンがあります。

僕も駐車場では、車から降りた瞬間から妹から目を離しませんし、必要があれば肘をつかんでいます。

妹と両親の老後について、亡き後について話し合うこともありません。

むしろお母さんが元気なうちに、お母さんと妹の将来を話し合います。

また、大学進学の際は、自分で会社を作れば、妹をそこで雇って守り続けられると思い、経済経営学科を選びました。

年齢を重ねるにつれて、妹を守ることへの執着は大きくなりました。

自分よりも大切なものがあるとしたら妹でしょう

お父さんやお母さんの代わりに自分が犠牲になるのは正直気が進まないけれど、妹ならいいかと思ってしまう、そのくらい入れ込んでしまっています。

思い込みかもしれませんが、世の中のお父さんは娘をこのくらいの存在に捉えている人も少なくないのではないでしょうか。

そういう意味で、僕たちの関係性は「父と娘」に近いと考えています。

第2回リアルゼミ広報

やっぱり羨ましい「対等」な兄妹像

これは僕が妹を守るステキな兄という話ではありません。

妹に障害があろうと、今の関係性はゆがんでいると僕は思います。

「対等」ではないからです。

僕は普通(障害の診断を受けていない者同士)の兄弟が羨ましいです。

妹を守ることの負担がどうこうではなく、日常的な兄弟姉妹の話が羨ましいです。(どちらのほうがいいとかではなく、隣の芝生は青く見える的な話として聞いてください笑)

兄弟喧嘩とかしてみたかったですね。
異性の兄妹なのでどっちみち殴り合いはないでしょうけれど、言い合いとかはできたのかもしれません。
友達から兄弟喧嘩の話と聞くと、羨ましかったりします。

妹とそんなに年が離れてるわけではないので、勉強とかきいてもらえたら嬉しかったかもしれません。(勉強なら教えられたのに!笑)
お互い思春期なのに、素直に勉強を聞いたり、進路の相談をしたり、
そんな関係がそもそもぼくに築けたのか、はなはだ疑問ではありますが…

なにより友達とかと兄弟姉妹の話をできるだけでもいいなぁと思います。
僕は妹の障害のことはほとんど周囲に話していませんでした。
なので、「妹はどこの学校通ってるの?」とか「なんの部活やっているの?」とか「受験の年じゃない?」とか聞かれるだけでもしんどかったです…笑 (聞く側の人に落ち度はまったくないです!笑)

なぜそのような(「対等」ではない)関係性になったのか

どんな兄弟姉妹でも最初は(幼少期は?)「守る側-守られる側」の関係から始まるのではないでしょうか。

それが成長とともに変化し、この主体・客体的関係は解消される場合が多いのかなあと思います。
つまり、守るべき「弟・妹」ではなく、一人の人間として認識する時期が来るのではないかと勝手に思っています。

我が家の場合はそれが起きなかった、起こせていない、というのが現状で、そこに現在の関係性の原因があるのかと思います。

ではなぜ、その主体・客体的関係の解消が起こせなかったのか

僕たちの場合は僕が妹との「対話」を怠ったことに原因がある気がします。

妹の偏食をどうするのか、住まいをどうするのか、余暇をどうするのか、などなど
僕はこれらを妹抜きで、お母さんと話してきました。

根底にあるのは、「妹は自分では決められない、自分と十分な対話はできない」という決めつけだと思います。

今回の映画「僕とオトウト」では、兄(佑透)が父や弟と対話するシーンがあります。
漢気があって仕事ができるけど子どもと向き合い切れない父、はたから見たら十分にコミュニケーションを取ることは難しそうな弟
その二人に真正面から向かうシーンは印象的でした。

そもそも僕が、お母さんと妹について話せるようになったのも、大学3年生になってから

妹に対しては、「妹は自分では決められない、自分と十分な対話はできない」という決めつけをし、
お父さんは基本的に聞く耳を持たない感じの人なので、難しい話は話すと疲れるので避けてきました。

こんな僕が言うと、説得力がないかもしれませんが、対話において大事なことは「諦めないこと」だと感じます。

相手の言語能力が不十分でも、聞く耳をもたない相手でも「諦めない」という姿勢

こんな多くの人にとっての当たり前をやっと大切だと気づけた今日この頃だったりします。

最後に

「語り合い」を大切にする京大リアルゼミでも「諦めない」は大事な姿勢な気がします。

もやもやを簡単には切り捨てない

そもそも答えが見つかるものではないテーマを扱うことも多い。
でもその「語り合い」を味わい尽くすことを「諦めない

そんな感じで、京大リアルゼミもやっていけたらいいなぁと思います!

10/25(日)はもしよろしければ、遊びに来てくださいー!

第二回リアルゼミ_ビラ表


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