私がやりたい仕事

2020年大学卒業。
在学中は、2020年に日本でオリンピックが
開かれて観光という点でも京都には
もっと沢山の海外の方が来て
さらに交流が増えるのだろうと
漠然と期待も膨らみ楽しみにしていた。

2019年の年末、胸がザワつき
その嫌な予感が現実社会までも飲み込んでいった。

2020年3月卒業。
私は大学4年間アルバイトしていたアパレルブランドに就職。
京都・祇園の八坂神社が見えるところに商業施設のテナントとしてお店があった。
2019年まで沢山の海外のお客様との出逢いや色んな学びがあり「この仕事を続けたい」と思っていた。

入社と同時に始まったのは撤収作業。
2020年3月にテナント撤退が決まり、
6月に撤収作業をする事になった。
今となってよく分かることは、
当時、社会状況を理解することよりも
私は悲しさと不安に駆られていた。

自分がやりたいと思っていた仕事
(祇園のお店で販売員として仕事をする事)
がなくなった悲しみと
これから先、モノを売ると言うのは
どうしていけばいいのかという不安。

どれだけ考えても私の頭の中で
解決策が見出せるはずもなく、
撤収作業をしながら4年間の思い出を振り返った。

でも一つ、コロナの状況で良かったと
思えることがある。
それは、就職先を自分で決めた事。

そもそも誰に決めてもらう事でもないが、
私は大学時代に就職活動を全くしなかった。
就職先を決めたと言うのも、私がアルバイトをしていたアパレルブランドのオーナーは実の母。
両親共働きで、母の働く姿もよく見ていた私は
母が楽しそうに仕事をする姿に憧れを持ち
そして、側で母の仕事が見られるのが理想だった事もあり母に仕事をしたいと伝えた。

就職活動を頑張っている同回生を見て
時に就職活動という経験をしておかないと
いけなかったかもしれない。と思う事もあったが
やりたい事に迷いはなかった。

いつもよくしてもらっている大人からも
「一旦社会を見ると言う事で就職活動してみたら?」
「まずは違う会社に就職してからがいいんじゃないかな。」
と色々アドバイスをもらった。

コロナ化で不安に駆られる中でも
良かったと思えたことは
他者の言葉に自分の気持ちを揺るがす事なく
自分のやりたい事を真剣に考えていた事。
側から見れば私が就職先を決めたことは
簡単な決断のように見えただろう。
だが私の中では、そんなに簡単に決めた訳でも
楽したかった訳でもない。
真剣に自分のやりたい事を考えた先がそこだっただけ。

家族だからこそのやりにくさもある、
けどそれはやりやすさにもなる。
私は今でも後者を感じながら仕事ができているし
母にも感謝している。

もう入社して5年目、これまで色々ご縁あり
今はアパレル業と兼業して豆腐屋(販売)の店長をしている。
二足の草鞋。毎日考えることが多い。
でも楽しい。

目まぐるしい毎日で母と共に今も仕事をして
かなりの頻度で怒られることもあるが、
怒られる度にまだまだ成長できる自分がいることを実感している。
(すごいポジティブ。笑)

これからやりたいことも山ほどある。
今は今の課題と向き合うことで精一杯になっているが少しずつ時間を作り成功させる。
叶えたい夢も山ほどある。
夢だけで終わらせる気はなく絶対に生きている間に実現させると決めている。

noteに書くと自分と向き合える気がする。
私は人と話すのが好きで友人とご飯に行く時に
なんでも話す。
そして、自分が発した言葉も振り返ることで自己理解を深められる。
人と話すかのように自分と向き合える
このnoteという自由な空間を楽しみながら
時に振り返り、時に夢に向かいながら記録していきたいと思う。

そして、仕事の話だけでなく私の考え方も含めて記録することでまたこれからのやりたいことに繋げていきたい。

2020年に始めたことが1つある。

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