相談委員長の考えごと 第5回~Sottoさんであるために~
私たちは、NPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
京都で「死にたいくらいつらい気持ちを持つ方の心の居場所づくり」をミッションとして掲げ活動しています。
HP: http://www.kyoto-jsc.jp/
Sottoが行っている活動は幅広く、根幹となる電話・メールによる相談受付に加え、対面の場での居場所づくり活動、広報・発信活動などがあります。
各活動は委員会ごとに別れ、日々の活動を行っています。
今回から、電話相談を担当する「相談委員会」の委員長である「ねこ」さん(もちろんあだ名です)の、Sottoの活動を通して考えることを月刊連載としてお届けします。
Sottoの立ち上げ当初から活動に関わり、Sottoの文化を形づくることに貢献し、現在は電話相談ボランティアの養成を担当しているねこさん。
そんな立場から、Sottoの活動や、死にたいという気持ち、人の話を聞くということなど、様々なことについて考えることを語ってもらいます。
この連載が、読んでくださる皆さんにとって新しい気づきを得たり、死にたいくらいつらい気持ちについて理解を深めたりするような、そんなきっかけになれば幸いです。
第1回はコチラ→相談委員長の考えごと 第1回~死にたい気持ちについて~
前回はコチラ→相談委員長の考えごと 第4回~話すということ~
第5回~Sottoさんであるために~
本当は先月のタイミングで書こうとした内容なのですが、公開日がボランティア養成講座に近い方がいいかと思い寝かせたものです。
...しかしやはり鉄は熱いうちに打つべし、ですね。何の話だったのか忘れかけています。
今回は研修についてのお話なのですが、少しずつ思い出しながら考えてみます。
Sottoのメンバーとして活動しようという方には、とりあえずボランティア養成講座を受講していただくことになります。
これは単純に、何を目指してどういう方法でもってそれを成そうとしているのか、体験して納得できない限りは一緒にやっていくことが難しいからです。
これまで第1期から第10期まで、200名近くの方と一緒に学んできました。相談員の養成課程ということで、受講者の方からは、知識や技術の習得、修了の暁には奥義の伝授を期待されるようなこともあります。
要は、死にたいという人をいかになだめ、考え直してもらえるかという発想で、そういった技を教えてほしいということです。
たとえば、これさえ言っとけばOKな万能相槌など。
そんなものはあるわけがないのですが、「ない」ではなかなか納得してもらえないこともあります。
また不安から、こういうときはどう対応するかなどの型を求める方も多いです。
種も仕掛けもございません、ではかえって怪しまれるばかりか、じゃあどうすればいいのと途方に暮れてしまわれることすらあります。
先輩相談員が何をしているのかということを、何を言っているのかという点で見て真似ても決してうまくはいきません。
それこそ手品のように思えるかもしれませんね。少なくともSottoのメンバーとしてうまくやれないというときは、是非はともかく目的意識がずれている場合が多く、何のための活動なのかを共有することの難しさと大切さを感じてきました。
講座のなかでお伝えしたいことは、いかに相手の立場やその目線で発想できるか、そうあれるかということに尽きます。
講座の導入では、いきなり自殺とまではいかなくても、"死にたくなるような気持ち"について考えていきます。死にたいとは何か。どんなときに思いつめてしまうか。また、言葉や気持ちのやりとりに伴う、感情の変化や動きについても考えていきます。
そのなかで大切にしているのは、他者の感情に触れたときに、自分の気持ちがどう動いているかに敏感であるということです。
よく言われがちな、入れ込んで自分が落ちてしまわないように一歩距離をおく、などということからは逆行するかもしれませんが、大丈夫です。
それらについてはここでの連載を読み返していただければそういう話題の回があった気がします。
本やテレビのなかで、ろくに話を聞いてくれない相手に対して「わからずや」と怒るシーンを目にしたことがあるかと思います。
それは必ずしも、わかりませーんの一点張りというわけではなく、説教をしてきたり、何を言っても否定してかかるような、わかろうとしない姿勢を非難する表現なのかと思います。
聞いているか聞いていないかではなく、わかろうとしたかわかろうとしなかったかです。
話す方は感情的な理解を示してもらえて初めて聞いてもらえたと思えるものですが、百聞は一見にしかず、そういうところを含めてロールプレイで練習していきます。
一般的な資格であれば、取ってしまえばあとは現場の経験を積んでなんぼのように考えることかと思います。
しかし、うちでいうところの研修は、Sottoのメンバーになるための研修ではなく、Sottoのメンバーであるための研修なのです。
世の中の「あなたのためを思って」はすべて、発言者の価値観のなかで作り出されたあるべき姿を押し付けているに過ぎません。
本当の意味で相手の立場で発想するということ、つまり、自分のよかれと思っての言動が自分本位の尺度にとらわれていないかというのは、研修の場でなければフィードバックを得にくいものです。
実際の現場であれば相手を傷つけておしまいなので挽回することができません。
養成講座と銘打ってはいますが、これはSottoさんであるための研修であり、というのも言葉の通り、Sottoの相談員がいつもおこなう研修を一緒に体験してもらうという企画なのです。
つづき⇒第6回「自分を傷つける意味」
マガジントップ「相談委員長の考えごと」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?