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記憶を辿る42

『 祖父との秘密会議 』

祖母の葬儀は大分と京都で営まれた。
工場からも何名か入洛し、2軒隣の錦水館に宿泊してもらって葬儀を手伝って頂いた。

久しぶりに祖父も帰京し、居間で団欒していた時のことだ。
私が少し遅めに昨夜の”すき焼き”を食べていると、「真平、お前なんで”すき焼き”が豚やねん、えぇ飯食べてへんなぁ。わしが今からえぇトコ連れてったるわ」と言い出した。

当時は蛸薬師と裏寺の南西角、今は靴屋になった場所にすき焼き屋があった。
その隣に”すし松”という寿司屋があって、帰京した祖父は何かとココへ通っていた。
彼にとって”すし松”は、時代を傍受できた暁に来れた場所であり、持っていた劣等感を払える場所だったのかもしれない。もしたただ単に行く出汁として私を使った感も否めないが。

ちなみにその隣にはアイスクリームの”サーティワン”があって、フランチャイズ経営をされていたのか、”すし松”とは裏で繋がっており”サーティワン”を全種食べることができた(笑)

銘木の香り漂う1枚板のカウンターに座った祖父は「こいつにえぇもん食べさせたってくれ」と大将に言い放ち、大トロや雲丹、松茸などの高級食材が使われた寿司や料理を有無も言わさず食べさせた。

「何が美味かった?」「大トロかな」
「ほな大将、大トロ全部」

こんな感じで次々と腹がはち切れるぐらいに食べさせる。
“すき焼き”が牛肉ではなくて豚だった事が不憫だったのだろうか。

祖父にあの世で怒られるのも嫌だから白状しておくと、すき焼きが豚だったのは偶然だ。稗家の”すき焼き”は、コマ切れ肉だが寺町三条にある三嶋亭のお肉を使うから、祖父が受け取ったニュアンスとは少し異なっている。


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