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記憶を辿る39

『 海外旅行 』

多くの方に「単車好きそうですね」と決め打ちのように言われるが、私は全く単車に興味がない。興味があった時期もあったが、その時はアメリカンと呼ばれるハーレーやベスパのようなバイクに矛先は向いていた。

それに友人と遊ぼうとなっても、皆が一様に校区である河原町に来る。
まだ路上駐車が緩かった時代、友人が集まってきた日の会社前はバイクだらけだった事もある。今思えば、夜毎スケボーの音を撒き散らし、立ち寄る友人のバイクも相当な音量だったから、迷惑限りない町内のクソ坊主だったに違いない。
朝倉町の方々、すみませんでした(笑)

生活に必要なかった事もあり、購入するには至らず、今も昔も私の”足”といえば自転車だ(笑) 幼少の頃から自転車には並々ならぬ情熱があって、娘が出来るまでは相当こだわっていた。諭吉の何束はかけであろう拘りは、後に全てオムツ代に消えていく事になるのだが、これはまた後に書こうと思う。

就職後は、少し職場が遠かったこともあり原付に乗った。
これまた現在乗り回している自転車と一緒で”どノーマル”。ついでに言うと自動車も”どノーマル”。何なら京都で自動車を運転する時は”カーシェア”である。

欲はないのか? と聞かれる事もあるが、1円何十銭という縫製工賃を計算する家庭で生まれ育ち、今も原価率には相当な気を配っているが、毎年の決算を見ると目に見えない日々の経営経費が嵩んでいる。思うような利益を上げられずにいる中、いくら会社経費で落とせるからといってそれなりの車種に乗る事は、私の中では許されない。

ただ何の為に経済活動しているのかという事を突き詰めると、生活を豊かにしたいからも勿論入っている。子供を連れて大型バスのようなトラックで日本中を旅してキャンプにも行ってみたい。けれど運転手のいないベントレーに乗るほどダサいものはないと考えているし、山城の創業者である祖父がよく言っていた言葉の呪縛を取り払っていく作業も残っている。

「商売人はボロボロの車で充分や」

朝倉町界隈で生活している以上、周りには潤沢にカーシェアがあり、京都なんて小さい街をちょいと移動するなら自転車で充分なのだ。物質を追う時代はとうに過ぎているが、仮に私が高級車のウィンドウを下げて「 おう 」とか言おうものなら、「 山城は儲けとんなぁ 」ではなく「 頑張っとったもんな 」と受け取って頂きたい(笑)

右肩上がりの建築系、社員を労う慰安旅行は海外であった。
初めての海外旅行に胸が躍っていたある日、上司から「真平やったら今どこ行きたい?」と聞かれ、俺の言うことなんかと思いながらも即答で「ロサンゼルスっす」と答えた。ブラックカルチャーを追っている者にとっての聖地はニューヨークかロサンゼルス。
冬よりも夏が好きな私にとっては憧れの地だったのだ。


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