記憶を辿る5
『 眠る前のヘルツ問題 』
話は連載3回目よりもさらに昔の幼稚園時代に遡る。
当時、自宅近くには、河原町御池にある「信愛」と、自宅から徒歩2分にある「生祥」という幼稚園があった。他にも幼稚園はあったのだが、私が選択を迫られたのはこの2つだった。
ある日、父の仕事場で遊んでいると、おもむろに母が「真平は来年から幼稚園というところに行くのだけれど、制服を着る所と着ない所、どっちが良い?」と聞いた。
私は無邪気に「制服を着る方!」と答えた情景を今でもよく覚えている。今思えばこの瞬間、母に軍配が上がったようだ。
私も子を持つようになって思うが、子育てや教育に正解はない。答え合わせもない。楽観的に考えると、さんまちゃん宜しく「生きてるだけで丸儲け」なのだが、可能性を広げてやることもまた親の役目だ。当時の母親も同じような状況で、何か詰め込もうと必死だったのかもしれない。
就寝の際、「クラシックを聴かせて寝かすと良いよ」を実践し、ロッシーニのウィリアム序曲を流したりしていた。
寝れる訳がなかろう。
神経質な私は、逆に目が冴えて寝れなくなり、龍の子太郎なんかは楽しすぎてまた眠れなかった。
選曲を間違うということの恐ろしさを身をもって体験した私の経験は、後々DJをしていた時なんかに活かされたはずだ。それにクラシックが良いというのは周波数のHz問題を認識しているか否かにもよる。そんな母親たちの根拠のない噂から生まれるトライ&エラーが繰り返されていた。
そんな中、私が選択を迫られた前の晩かそれまでに、父と母は幼稚園の選択で一悶着あったはず。それならば本人に決めさせようとした結果、制服を着る方が選ばれたのだ。
父の落胆した顔が目に浮かぶ。
そんなこんなでベレー帽を被る信愛に通うようになった。
配属されたのはバラ組。今の私から想像すると笑ってしまうだろうが薔薇である。その想像先がマイク真木よりもブルーハーツであって欲しいと願うばかりだ。
まだ珍しかったモンテッソーリを取り入れたカトリックを軸にした教育の中、伸び伸びすぎるぐらいにのびのび過ごしていた。スモッグは統一されていたが、視認性を良くするため各組が被る帽子の色は違った。藤は紫、向日葵は黄色といったように、バラ組はピンクの帽子。薔薇=赤を選ばなかった信愛経営陣に拍手を送りたい。
その名の通り信愛はキリスト教だったから、朝の会や昼御飯を食べる時、全てにおいて「天にまします我らの神よ、アーメン」と祈る。先導するのは各組の先生、その上に映画「天使にラブソングを」に出てくる黒服を着たシスターがいた。
大人になってからピンク色が好きになり、今は黒パンツしかはかないベースはここで出来上がったのかと思うと面白い。入園してからヒヨコ、バンビ、ゾウと進級し、全部が1つの組で就園するようなスタイルだった。バラ組の中に4~6歳が入り混じる感じだ。
今の私があまり年齢に関係なく話をしたいのはこういった下地があったのかもしれない。次回は無邪気は罪になるかもしれない逸話を書いていこうと思う。
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