見出し画像

終戦記念日に聞いた父の戦争体験

今日は、78回目の終戦記念日。
ひょんなことから、父の戦争体験を聞くことができた。

戦時中は、ちょうど小~中学生だった父。
多感な思春期を、学徒動員などもして過ごしたそうだ。自宅から、仲間とともに何時間も歩き続け、農村地帯にある農家で様々な手伝いに従事。じゃがいもやさつまいもなどの収穫や、人手が足りない農家の雑事を汗と泥だらけになりながら、一生懸命、取り組んだとのこと。
農家によっては、お手伝いのお礼と言って、とりたての野菜を少しいただけたらしく、それをまた大事に背負って帰宅し、食料難に苦しむ家族への足しにしたという。

長時間歩くだけでも疲れるだろうに、現地に着いてからも大人と同じ働きをし、もし反抗したり文句を言えば、監督している先生や兵隊たちから、往復ビンタが飛んでくる。今の時代とは、比較しようもない。

また、父には2人の兄がいた。
一番上の兄さんが招集され、兵隊へ。
これまた自宅から遠く離れた、四国のある都市に赴任。外地には行かず、内地勤務だったらしいが、厳しい規律や生活で大変な忍耐を強いられていたようだった。そんな兄を慰めようと、家族が「おはぎ」をつくり、それを父と父の父(つまり、私の祖父)が鉄道と船を乗り継いで、兄さんのいる部隊まで届けた。

当時は、食料も少なく、ましてや砂糖や甘いものなどは簡単に手に入らない時代。一体どうやって、砂糖を手に入れたんだろう・・・
こんなに貴重な砂糖を使い、家族の愛がたっぷり詰まった「おはぎ」を見たら、元気100倍、食べたら、勇気1000倍になると言っても過言ではないだろう。父の兄さんは涙を流しながら、その「おはぎ」を食べたそうだ。きっと、あふれんばかりの家族の愛を痛いほど感じたことだろう。


父の話を、私はただただ聞くだけしかなかった。それでも、あの時代に生きた人々の思いや生き様が、私の心にひたひたと迫り、見たこともない光景なのに、父の話を聞いている間、私は当時にタイムトラベルしたのだ。

戦争は、どうして、こうも多くのものを壊してしまうのか。なくしてしまうのか。人々の心には、深く、つらい傷跡しか残さない。

いつになれば、世界に平和が訪れるんだろう?
人々に自由と、希望と、笑顔が戻るのは、いつ?

もう、一刻の猶予もない。
父の戦争体験を聞いて、改めて平和について深く考えた一日だった。











#生活 #平和 #戦争 #終戦記念日 #戦争体験 #日本語教師 #未来のためにできること #今こんな気分 #希望 #笑顔


この記事が参加している募集

今こんな気分

もしサポートいただけたら、とてもありがたいです。自分をより向上させるための書籍購入や研究会、勉強会の参加費用にします。また、日本在住で中国語圏生徒達の日本語学習のフォローにあてたいです。