見出し画像

19世紀アメリカのフツーの人の手帳には何が書いてあったのか

The Accidental Diarist:
A History of the Daily Planner in America

「偶然の日記記述者」
by Molly A. McCarthy
July 2013 (The University of Chicago Press)


フツーの人の生活がいちばんおもしろい。

もともと偉い人の伝記にあまり興味がなかった。エライ人の子どものころからすごかった、というエピソードを読んでも、「ふーん」というかんじ。すごすぎて響いてこないというか。子どものころは全然ダメだった、というエピソードも「へー」。ダメな子からの偉人になるまでのギャップにもとくに「萌え」なかった。
まあそういう人もいるだろう、という、冷めた反応だったのは、自分がごくごく平凡な子どもであり、ごくごく平凡な大人になって、ごくごく平凡に死んでいくんだろう、という諦観がつねにあったからか。

でもいま考えると、それもけっこうおめでたい楽観論だった。これだけ格差の広がった世界では、「ごくごく平凡」でいることは、かなりむずかしくなっている。ざんねんなことに。

ま、それはともかく、偉人の伝記より、ごくフツーの人の生活をえがいたもののほうが圧倒的におもしろい。
そうおもったきっかけは、篠田鉱造の『幕末百話』『明治百話』『女百話』である。

篠田鉱造は1872年(明治4年)東京の生まれ。

これは、報知新聞の記者だった篠田が、幕末・明治のことを知る高齢者に当時のことを語ってもらう「聞き書き」をまとめたものだ。

篠田が新聞記者として聞き書きを始めたころは、まだ幕末・明治初期のことをおぼえているお年寄りがたくさんいた。

私がさいしょに読んだのは『女百話』だった。武家屋敷でお女中をしていた人の話とか、「御維新」のころ武家の娘が商家に嫁いで、周りからはいろいろ言われたが、近代化で商家が繁昌して幸せに暮らした人の話とか、ほんとうに幕末・明治初期の市井の人の生活が、話し言葉で書きとられていて、そのいきいきした語り口がとてもおもしろい。

なかでも、刺青を入れた女性の話はすごい。背中に「近江のお兼」、右腕に「山姥」左に「金太郎」をいれてもらったそうだ。

「近江のお兼」ってなに??

彫る時は痛いかと仰有おっしゃるんですか。痛いと思ったら、我慢が出来ませんが、ソコは江戸ッ子の女でこそあれ、歯を喰いしばってこたえますんですね。

この刺青ほりものに使う墨は、上等ではいけませんそうで、丸八まるはち榛原はいばらで売っている、桜(さくらの印のある墨)が一番よいといっていました。

初めて彫ってもらいます時は、額口ひたいぐちへ汗が滲みます。夜露のようにポタポタ垂れますんです。脇の下へもたまりますんですから、苦しいにはちがいないんですよ。馴れて来ると、さほどでもなくなって、宇之さん(彫り師)と話ししいしい、彫ってもらえます。でも横腹の時なんかあとで、当分板を張ったようで、四、五日五体が動きません。こんな思いをして彫るというのも、酔興といえば酔興なんです。

すごい。
今はまたファッションとして「タトゥー」を入れる人が増えているのかもしれないが、ちょっと前までは「そっち系」の人しか入れてなかったよね。
でも、江戸のころは、それこそ今の若者のタトゥー的な感覚でおしゃれとして刺青を入れていたんだな、ということが、この聞き書きからはうかがい知ることができる。

安い墨のほうが入りやすいとか、冬のほうが乾くのが速いからいいんだけど、裸にならないといけないので、夏のほうが客が多く来るとか、経験者じゃないと知ることのできない貴重な情報が満載だ。こういう風俗は、記録に残しておかないと廃れちゃったときになにもわからなくなるからね。貴重な証言ですよ。

さて、今回紹介する本は、アメリカで19世紀に広く販売されていたDaily Plannerと呼ばれる、今でいうスケジュール帳、手帳のようなものを調査し、そこから見えてくるアメリカの社会・文化・風俗などを考察した研究書である。

19世紀のころから、1年間通しで使える、カレンダーがついていて、月ごとの予定が書きこめるページと、1日1ページの日記のような部分とが合わさった手帳が、本屋、文房具屋などいろんなところで売り出されて、多くの人が買い求めていたそうだ。

だいたい年号が表紙に印字されていたようだ。下の図は本書に掲載されているもの。


いつものようにAmazon の試し読み(Look inside)で序文のあたりをざっと読んでみたが、どうやら19世紀に手帳が広まったのは、時間とお金の管理という概念が庶民にも広く行き渡ったことと関係が深いようだ。あるいは、手帳をもったことで時間とお金の管理と言う概念が広まったのか。
時間の観念は、時計の普及もおおいに影響していると書いてある。

そうか。手帳にはカレンダーがついているから、1週間、1か月の計画が立てられたんだろうな。あとは日々の出費やらを家計簿みたいにつけたりすることで、こちらも計画的にお金を使うようになったということか。

そういえば『明治百話』には、幕末のころはまだ日本人にこまかい時間の感覚がなかったという話がのっていたなー。

日本に長期滞在している外国人に幕末のころの話を聞いたとき、その外国人がこのようなことを言っていた。

その時代に至って やすいもの二つありました。一つは時間で、一つは生命いのち 。その廉い時間で私も余程損を致しました。明日十時においで なさい、と約束しましても、十時半十一時になっても見えません。やっと十一時半に見えまして、約束が違うことは少しも気にかけません。

まあね。昔は個人で時計なんて持ってないから、お寺の鐘でだいたいのときを知っていたんだよね。それも、季節によって一刻の長さがちがう。今の感覚では、そんなんでだいじょうぶなの?と思ってしまうけど、昔はそれで問題なかった。明日来なさいと言われら、明日中に行けばいいことで、約束の時間より遅いと言われても、ぜんぜんピンとこなかったことだろう。

そんなおおらかな時代が、なんかうらやましいな。。

ところで、『明治百話』で、十時の約束を守ってもらえなかった外国人は、どこの国の人だったんだろう。オランダ人かな。でも、開国後だったらアメリカ人もありえるよね。だとしたら、アメリカ人だって、時計や手帳が庶民に普及したのは19世紀なんだから、こまかい時間の観念が定着したのも、せいぜい日本より何十年か先だっただけじゃないの? それとも日本に来るぐらいだから、政府の高官とかエライ人で、時計も早くから所持していたのか?

それにしても、その19世紀アメリカの庶民の手帳ってどんなことが書いてあったんだろう。1冊1冊見ていったら、ぜったいおもしろそう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?