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BLMでふたたび注目されたエリオット先生の「青い目茶色い目のワークショップ」

Blue Eyes, Brown Eyes:
A Cautionary Tale of Race and Brutality

「青い目、茶色い目:人種と残酷さについての教訓話」
by Stephen G. Bloom
October 2021 (University of California Press)

2020年5月に米ミネソタ州ミネアポリスで、アフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドさんが白人の警察官に首を圧迫されて死亡したいわゆる「ジョージ・フロイド事件」をきっかけに、Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター、BLM)という人種差別抗議運動が全米に広まった。

その翌月のある日、Twitterで流れてきた動画があった。BLMについてのツイートで、だれかがアップした動画をリツイートしたものだった。

かなり古い映像で、アメリカの小学校の授業風景のようだ。エリオット先生が、担任をしている小学校3年生のクラスの子たちに、「アメリカでは、肌の色がちがう人はどういう扱いを受けていますか?」と問いかけている。先生も生徒全員もみな白人だ。

「仲間はずれにされます」
「なぜ?」
「肌の色がちがうから」
「その人たちの気持ちがわかる? 実際に経験するまでわからないでしょう」

そういってエリオット先生は、

「試しに目の色で人を判断してみましょうか。先生は青い目だから、青い目の人が偉いことにしましょう。青い目の人はみんないい子です。青い目の人は頭がいいの。青い目の人は茶色い目の人よりすぐれています。」

と言って、子どもたちを青い目と茶色い目にグループ分けをする。

「青い目の子は、5分間余計に遊んでいいです。茶色い目の子は水飲み場を使わないこと。それから、青い目の子と遊ばないこと。茶色い目の子はダメな子です。茶色い目の人はこのエリをつけなさい」

茶色い目の子たちは、黒っぽいエリをつけさせられる。

そしてエリオット先生は、ことあるごとに茶色い目の子どもを非難する。

「茶色い目だから、教科書を開くのが遅いのね」とか、「あなたのお父さんは茶色い目だから子供を蹴ったりするのよ。青い目の人はそんなことしません」とか。

子どもたちは、最初こそあきらかに不満顔だったが、すぐにこのルールになれてしまうし、積極的にのっかってくる。

ものさしを探しているエリオット先生に、

「あっちだよ。茶色い目の子が騒いだらそいつを使えば?」という。

昼食は青い目の子が先に食べていいし、茶色い目の子はおかわりをしてはいけない、なぜだと思うか、と聞かれて子どもたちは、

「バカだから」「欲張りだから」

と答える。

もうため息が出るくらいあからさまな差別。

茶色い目の子どもたちは、どんどん元気がなくなっていく。

ところが翌日、「昨日、青い目の人のほうが偉いと言ったのは、じつは間違いでした。本当は茶色い目の人のほうが偉いの」とエリオット先生は言い、昨日とは逆のことを言い始める。

「青い目だから眼鏡を忘れたのね。茶色い目の人は眼鏡を忘れませんでした。」

エリオット先生:「青い目のグレッグは『妹を叩くとおもしろい』と言っていました。つまり、青い目の人は…」

生徒:「乱暴でケンカばかりする」

そして茶色い目の子どもたちに、エリをとって青い目の子につけてあげなさいという。

昨日とは逆だ。茶色い目の子は5分間余計に遊んでいい。青い目の子はおもちゃをつかってはいけません。茶色い目の子と遊ぶのもダメ。

茶色い目の子はいい子です。青い目の子はダメな子です。

エリオット先生は、この2つのグループに簡単なテストをする。1日目は、茶色い目の子どもたちは平均5分かかった。でも2日目は2分30秒。たいして、青い目の子どもたちは1日目は3分だったのに、2日目は4分18秒もかかった。

そして両方のグループが、成績が悪くなったのはエリのせいだ、という。これがあると気が散る、と。

なんだか空恐ろしいものを見た、と思った。

その理由は後で述べるとして、エリオット先生はなぜこのような授業をしようと思ったのか。

それは、マーティン・ルーサー・キング牧師の暗殺だ。1968年4月、アフリカ系アメリカ人のための公民権運動の指導者であるキング牧師が暗殺された翌日、エリオット先生は、アイオワの田舎町の小学校で、担任をしている3年生の子どもたちに、差別とはどういうことかを疑似体験させる授業=ワークショップをした。

この授業は話題になり、エリオット先生は、ジョニー・カーソンが司会をつとめる深夜の人気番組『ザ・トゥナイト・ショー』に招かれ、その実験的なワークショップについて紹介した。

この放送には大きな反響があった。そしてその大半は否定的なものだった。いわく「白人の子どもたちにこの残酷な実験を施すのはいかがなものか」。地元でも、そして職場である学校の職員室でも、エリオット先生は反感を買って孤立してしまう。

けれども、この実験を高く評価する人たちもいて、エリオット先生はたびたびテレビ番組に呼ばれて出演し、一躍有名人になる。企業は、ダイバーシティトレーニングとしてエリオット先生を講師に招き、「青い目茶色い目」のワークショップを開く。ダイバーシティトレーニングとは、偏見や差別をヘらし、人々の多様性を認めていくための訓練である。

エリオット先生は、教師を辞めて、ダイバーシティトレーニングに専念するようになる。今では、ダイバーシティトレーニングの先駆者とされている。

私が見た映像は、日本語の字幕がついていたし、日本語のナレーションが入っていた。おそらく1985年にアメリカで製作されたドキュメンタリーを、NHKが放送したときのものだろう。

たしかに、小学校3年生という、年端もいかない子供たちにこのワークショップをおこなったのは、少し早すぎたと思う。子供たちは、青い目のほうが遺伝学的に優れているというエリオット先生のウソにやすやすとだまされて、あっというまにあからさまな差別を始める。教室は、いとも簡単に目の色で分断されてしまった。

しかし、だからこそ、差別の成り立つ構図がここまでわかりやすく見えたともいえる。

私が「空恐ろしい」と思ったのは、子どもたちのテストの結果についてだ。

青い目の子どもたちは、青い目が優れていると言われた1日目は3分でテストを終えたのに、ダメな子です、と言われた2日目は4分18秒もかかった。茶色い目の子どもたちは、ダメな子と言われた1日目は5分もかかったのに、2日目は2分30秒だ。

人は、お前はダメな奴だ、と言われ続ければ、やる気をなくし、自信を失い、自暴自棄になり、本当にダメな奴になってしまう。

反対に、お前は出来るやつなんだ、がんばればなんだってできる、と言われ続ければ、根拠はなくとも自信を持ち、持てる能力を十分に発揮するし、もっと上を目指して努力を惜しまなくなり、結果的に本当にできるヤツになる。

アメリカで黒人の犯罪率が高いのは、法的な差別がなくなった後も、黒人がきゅうに貧困層から抜け出せたわけではなく、大学進学や就職で、黒人に不利な状況が長く続いたためだろう。でも、そういう社会的、経済的なハンデのほかに、黒人=劣等人種という偏見が、社会全体に抜きがたく浸み込んでいたからではないか。お前はダメな奴だ、と言われ続けることが、どれだけその人の資質を損なってきたことか。

そしてそれは、決して他人ごとではない。

男は外で働き、女は家庭を守るもの。女の幸せは結婚。結婚して、子どもを育ててこそ一人前。女はすぐ感情的になる。女は理数系に弱い。女はリーダーには向かない。子供は3歳までは母親の愛情が必要。女性はこまやかな気配りができる。

生まれてからずっと、こんなことを聞いてきたら、そしてそれに異を唱える人が周りにいなかったら、きっとそんなもんだと思って、生きていくだろう。

そこにモヤモヤしたものを感じ、異を唱えたとしても、「気の強い女」とか「場を乱すやっかい者」とされて、「あんなだから結婚できない」とか「ヒステリー」とか「空気読まない」とか言われて、つまはじきにされるのがおちだ。

無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)は、偏見で差別するほうもされるほうも無意識だから、気づかない。

エリオット先生は、アメリカでは有名人だし、NHKのように、アメリカの番組は世界のあらゆる国で放送されたから、ひところは話題になったのだと思う。でも、いままたこのような本が出て、注目されるようになったのは、BLMの運動の一環でもあるだろうが、そのほかの「無意識の偏見」に、人々の注目が集まっているからではないだろうか。

本書では、はじめてエリオット先生こと、ジェーン・エリオットの生涯を丹念にたどり、どういう環境で育って、どうしてあのような授業をするようになったのかを考察している。1970年代のアメリカの片田舎、白人がほとんどの小さな町で、公民権運動への反動的な反応として、エリオット先生の授業がいかに大きな反発を招いたのかも、本書には詳しく記されている。

周囲から孤立しながらも、何年もこの「青い目茶色い目」のワークショップを続けたというエリオット先生のメンタルの強さには、脱帽しかない。苦しまなかったはずはないと思うが、それでもワークショップを続け、ついには「ダイバーシティトレーニングの母」とまで言われるようになる。

しかし、ここまでやらないとダメなのか。ここまで苦しんで続けないと、変わっていかないのか。いや、変わってないから今またBLMなんだし、この「青い目茶色い目」の本が出るんだし。

なんか軽く絶望するなー。

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