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加齢による向学心の低下にあらがいつつカーセラル・フェミニズムなるものにかじりつく

Carceral Liberalism:
Feminist Voices against State Violence

「カーセラル・リベラリズム」
Edited by Shreerekha Pillai
August 2023 (University of Illinois Press)

年をとるといろんなことが衰えてくるが、さいきんはむずかしいことを理解しようという気がおきなくなっている。

一度読んだだけではよくわからないことを、じっくり読み返したり、わからない言葉や概念を調べたりということが、年々めんどくさくなってくるのだ。

いやーこれは自分でもびっくり。わからないことがわかるって楽しいと思っていたもん。だから勉強もきらいじゃなかったし。知的好奇心はあるほうだと思ってたけどなー。もちろんそれが学校の成績に直結してたかというと、はなはだ疑問だが。

でも、さいきんは、新刊カタログで本の紹介文を読むのが本当にタイヘン。そりゃ昔からタイヘンではあった。学術書なんて十中八九ムズカしくてつまんない。それでもなんとか解説文を読んで、わからないなりにもぼんやりとした輪郭ぐらいはとらえていた。

今じゃ解説文を読むという集中力がまず続かない。読んでいてもわからない英単語を調べるのがめんどくさい。ほんとうに初めて見る単語のこともあれば、今まで何百回とみてきて、何百回と辞書を引いた覚えのある単語のこともある。何百回も辞書引いてるくせに、また意味を忘れてしまっている。そんな自分にうんざり。そこで解説文を読み進めようという気力がうせる。

しかし仕事なのでいちおう字ヅラだけは目で追っている。でも頭にはさっぱり入ってこない。

いちばんマズいのは、そういう事態になっても一向に動揺しないってこと。英語力が上がらない自分に落ちこんだり、もっと勉強しなくちゃと自分をふるいたたせたりということが、まずない。「あーわからない。わからないなー」と、なかばボーゼンとしながらも、そんな自分を受け入れてしまうのだ。年をとるって、いいかげん力《りょく 》がつく、ということなのか。いや、どうでもいい力《 りょく》か。ま、どっちでもいい。(←いーかげん)

で、今回紹介する本のタイトルであるCarceral LiberalismのCarceralがわからない。辞書を引くと「牢獄の」とか「獄舎の」と出てくる。

牢獄のリベラリズム?なんのこっちゃ。

そのままCarceral Liberalismでググっても、この本とか、ほかのCarceral Liberalismに関する本などがでてくるだけ。

はー、やだなー、と早くもなえてきた自分の探求心にムチ打って、さらに探索続行。

今度はグーグルの検索でCarceralとだけ入力すると、検索候補が複数出てくる。
そのなかにCarceral Faminismというのがあった。この本のサブタイトルにはFaminist Voicesと入っている。なにか関係があるかもしれない。

ということで、Carceral Feminismでググる。

出た。「カーセラル・フェミニズム」。ウィキペディアがある。

うっ。初出は2007年。ぜんぜん新しい概念じゃないのね。。
でも、言及がふえたのは2018年ごろからのようだ。それでももう5年前だけど。

カーセラル・フェミニズムとは、フェミニズム運動の内部で批判的に使われる用語で、取り締まり厳罰化が社会における女性に対する暴力の最も重要な対策だとするフェミニズムの思想を指す。監獄フェミニズムとも呼ばれる。公権力による取り締まりがさらなるマイノリティの抑圧につながることを危惧するフェミニストにより、批判的に用いられることが多い。

Wikipedia

よくわからないけど、あんまりいい意味では使われてないってことね。
女性差別を、法律を作って取り締まったり、犯罪として罰則を設けたりというのは、一見女性のためになるようにみえる。でも、公権力が介入して法制化・厳罰化することで、べつのところで女性が締め出しを食らうというか、立場をおびやかされるようになってしまった、ということらしい。

ウィキペディアの解説をさらに読んでいくと、人身売買をなくすためにあらゆる売春を人身売買と決めつけた結果、人身売買ではない多くのセックスワーカーの法的立場がおびやかされた、と書いてある。

法律ってとても頼りになる反面、融通がきかないところもある。セックスワークに、どういう事情であれ自発的に従事している女性をも、一律に取り締まってしまうのは、その人の働く権利をうばうことになる。

人身売買ではないにしても、経済的な理由でいたしかたなくセックスワークをしている女性にしてみれば、セックスワークによってかろうじて社会の周縁にとどまっているのに、そこを杓子定規に取り締まってしまうのは、生きる手段を奪われているに等しい。不本意ながらセックスワークをしているとすれば、本当に必要なのは、セックスワークを取り締まることよりも、そうしないでも生きていけるような社会保障制度のはず。

それに、そういう問題の前に、やっぱりなんでも「厳罰化」ってなんとなくダメな気はするよね。

いまの社会の風潮が、他人にたいしてきびしいというか不寛容というか、そんな息苦しさをかんじるんだけど。

その根幹には、他人にたいする「恐怖」があるように思う。みんなそんなに他人がコワいんだなー

「個」に分断されて、他人がコワくて信じられなくて、目をつぶったままやみくもに刀をふりまわしている人が多くなってる気がするけど、そんな人たちにどうしたら「信頼」とか「協力」を届けることができるんだろう。

理想論とかきれいごとを言っているつもりはない。これだけ行き詰まった世の中だからこそ、草の根レベルの、損得関係ないつながりがぜひとも必要だと思うんだけどな。

おっと、脱線してしまった。

それで本書の「カーセラル・リベラリズム」だけど、解説によると、それはネオリベラリズムと監獄制度、家父長制が合流してできた概念で、リベラリズムをうたっているけど、ぜんぜん自由じゃない。フェミニズムの旗を振ってるけど、女性は周縁に追いやられたままだし、ポスト人種社会といっておきながら、黒人男性の3人に1人は投獄されたままだし、資本を称賛してるけど、貧困層は借金まみれのまま。

カーセラル・フェミニズムも含め、法制化による公権力の横暴の実態を、研究者や社会活動家、作家やソーシャルワーカーなど多様な人たちから収集したのが、本書、ということらしい。

ふー。疲れたー。

うーん。でもまだむずかしくてよくわからない。ぼんやり「わかったような気がする」だけ。

でも、もうこのへんが限界です。研究者でもない中高年の会社員にしちゃ、よくがんばった。使い古した脳ミソでよくやった。

新しい言葉って、新しい概念ってことだもんね。この「カーセラル」って言葉が、人口に膾炙するのかどうか。

Let's wait and seeってところかな。


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