岡村 恭介/ラグビーコーチ
現場でのアプローチなどについてのメモ
具体的な戦術やプレーに関するものをまとめました。
雑学的なものをまとめます。
自分の思考や経験則に基づく内容が多めです。
私は練習や試合が終わった後にこの質問をすることがあります。 「Enjoyできた?」 この質問をされたら、皆さんはどう感じるでしょうか。 もしかしたら「負けたのに何言ってんだこいつ!」と怒るかもしれません。 結論からいくと、私の考える「楽しさ」はこれです。 「本気で取り組み、やり切った先にあるもの」 これが「Enjoy」だと考えています。 なので、冒頭の質問も次の想いで聞きます。 勝敗は残念ながら受け入れるしかない。 ただし。 このゲームの中で自分が考えうるベストに
夏以前より、選手達のプレーに対してネガティブな感情。 具体的に言うと「怒り」を感じる時があった。 何かと考え続けて辿り着いたのは、自分達だけでなく対戦校も評価してくれるプレーをしているのに「勝手に自分から諦めて捨ててしまっている時」があるからと言うこと。 その時は最低限のプレーも「初心者の初の試合」の水準かそれ以下になってしまう。 観ている側のこちらもこれだけ時間がかかるのだから、当事者である選手達はどうだったか。 もっと早く言語化してあげられたら。 そう思わざるを得な
プレーの選択には段階があると考えていて。 と言うイメージ。 戦術やゲームプランと言うのは枠組み。 お弁当で言うなら容器です。 だから、その中に何を入れるかは自由だしどのくらい入れるかは人によって変化します。 またそれがあることで「完全な自由」ではなく「選択する自由」にすることになり、プレースピードを上げることができます。 意思決定と状況判断はどちらかが上位とかは無いと思っています。 だから「10シェイプで当てる」という意思決定の中にポッド内でのティップオンパスと言う
あれは浪人中のある日だった。 NZUとの試合を観戦したいと思っていた。 だが、チケットを買うお金はない。 そんな時に救いの手が伸びてきた。 そう言ってくれた人こそ、先日亡くなられたスズキスポーツの顧問鈴木次男氏だった。 鈴木次男氏、以下「社長」からは私が高校では知りえなかった「ラグビー」 の奥深さを教わった。 代々木の店で色々な話をしてもらった。 当時は天井いっぱいに各チームのエンブレムが飾られていた。 そこで無名な若者に「ラグビー」を語ってくれた。 これまで触れてきた
先日の練習で普段は色々な発言は許容していますが次の発言だけは注意しました。 上級生から新入生への発言で、チームとしてどう動くかまだ掴んでないだろうからと彼なりに気をつかったのだと思います。 また、人によっては何故これを取り上げるのか?と言う人も居るでしょう。 確かに一見すればこれは「優しく」見えます。 でも、これで最後に困るのは誰なのでしょうか。 他ならぬ新入生自身だと思うのです。 そして何より。 これは私自身の哲学の中では看過することのできない発言だったからこそ捕まえ
とは私も考えていませんが。 と考えています。 良く言われるように、せっかく努力をしてもその努力の方向性を間違えたら無駄に終わります。 でも、その方向が違うかどうかはそもそも始めないと間違えることもありません。 もしかしたら今の時代は時間も含めたリソースの面もだし、色々な情報があるからこそ。 「間違える余裕」と「そこから学ぶと言う余」裕さえ無く、効率良く正解のルートを辿ることを求めるのかもしれないと考えることがあります。 でも、だからこそスポーツと言う場においては。 課
教える時と言うのはつい効率的に最短で行けるルートのようなものを教えてしまいがち。 私達は過去の経験から何が不要であるとか何が「無駄」であるかを知っていることが多いからです。 そこでふと考えます。 私達はどのようにそのことを学習したのでしょうか。 私の場合は大学以前では「教わること」「こうするんだ」と言われたことと現実のゲームに乖離がありました。 それで当時は色々と手探りで試行錯誤したり、アドバイスをやってみては取捨選択をしていくようになります。 やがて大学で「正解」を知
先日選手達にある質問を投げてみました。 これに対して選手達は考えてこう答えてくれました。 続けて「大事なことは?」と聞いてみると、各々「いつ投げるか」「ボールだけ放る」などの答えが出てきます。 誰も「投げ方」や「持ち方」について言及していませんでした。 そこでもう一つボールを投げてみました。 そうなんです。 新入生に教える時は自分達も無いと思っているはずの「型」を教えようとずっとしているのです。 この辺りは無意識に行っている所なので、色々と考えてみると面白いところか
何かを人に教える立場となり。 その中である程度「承認」や「評価」を得られるようになっていくと「自分はたいしたことない」と言うことが本当に本心であっても「謙遜」だと捉えてもらえなくなることもあります。 それはそれとして。 そういう時期が来ると良い成果や評価を得られるようになるので知らないうちに自分でもその段階が「居心地が良くなる」だけでなく。 自分は何でも「わかっていて」「見えていて」「知っている」と思ってしまうこともあります。 気付かぬうちにハマるのがこの罠のとても怖いとこ
今回はポッドにおける機能的役割の変化についての現時点での理解を言語化して、ATについてまとめてみたいと思います。 ポッドより前のラグビーはそれぞれのポジション=背番号によって「パサー、ランナー、サポーター」というファンクショナルロールが与えられていました。 しかし、ポッドではその時の「状況」である「ポジショニング」から各々のファンクショナルロールを決定していきます。 ポッド内での立ち位置が「ペネトレイターとサポーター」のタスクを示すようになったのです。 初期の定型ポッド
こう誰かに伝えた日があったならば、必ずこういう日がやってくる。 それまでの間隔は30分とかで終わることもあるだろうし。 もしかしたら何年、何十年となることもあるかもしれない。 でも、それまで何の関わりもなかった人間同士が出会い。 ラグビーという一つの種目をきっかけに集まり。 「仲間」となっていく。 これがどんなに奇跡的なことかと思うのが毎年この時期です。 だから、あなたたちに会えてありがとう。 一緒に「仲間」としてやってくれてありがとう。 これからも元気で。 またど
何であれだけ言ったのに忘れるんだ。 この前できたのに、何で今はできなくなった。 というのは「何かを教える」経験をしたことがある方は思ったことがあるはず。 何かを学び、実際にできるようにしていく過程ではこの「忘れる」と言うことは避けられないですし。 それがないと定着はしません。 「忘れた」ものを「思い出す」ためにあれこれし始めることで思い出せた時。 かなりその学習は強固になっていきます。 そして、もう1つ大事なのは「一度に人はたくさんのことを覚えられない」と言うこと。 た
学校の「部活動」ではどうしても指導者は「教育者」としての面を持たざるを得ません。 もちろんやっていることは「スポーツを教える」ことです。 でも接する選手達は私の発言や行動、コミュニケーションから色々なことを「勝手に学んでいく」し、その活動の中で「良くない」と思えば、それを指摘することだってある。 そして、ここで言う「教育者」と言うのは何もイメージするような「教師」としての立場だけを指すのではなく。 どうやって人は学習するかの過程やプロセスを知っていることはもちろん、コーチン
「弱り目祟り目」とは良く言ったもので。 色々とうまく回っている時や、心身に充実がある時は寄ってこないものがそういう時には寄ってくる。 それは様々な形をしてあの手この手で落とそうと掴んでくる。 新卒で入社した会社を辞めた時がまさにそう。 それまで縁がまったく無かったマルチとかそういうものが隣人の顔してやってきた。 しかも、信頼していた奴の顔をして。 これはその人の状況によっては薬物とかの顔で来ることもあるのかもしれない。 私は幸いにも友人達によって踏みとどまれたけど、一歩間違
競技スポーツである以上、また公式戦と言うものがあるからにはまずは「勝つ」ことが目的。 どんなチームもなぜ人を集めるのか。 なぜ練習をするのか。 その問いへの答えは「勝つため」に他なりません。 これは「勝利至上主義」とは異なりそもそもスポーツの根源にあるもの。 そんな「勝敗の追求」から得られるものは大きいと考えています。 練習では機会の平等、年齢にふさわしい創造性や自由の尊重をこれでもかと心がけ、なお目標の試合や大会ではあくまでも頂点を求める。 その「過程」で闘争に臨む真剣
とまとめることができるかどうか。 これは理解度とかそもそも実行できるか、更に考えられるのかと言うことにも繋がる部分で、これができる選手はいわゆる「センスが良い」とか「勘が良い」と呼ばれるのだと思います。 例えば「スライドDF」をまとめると。 と言えるかなと思います。 これをするためにあるチームなら面を揃えて待つかもしれないし、上がるかもしれない。 他にもどう選手が外のスペースを埋めに行くかのコースを工夫するかもしれない。 そういう細部の違いはあれ抽象的な理解があると抑え