「無駄」

教える時と言うのはつい効率的に最短で行けるルートのようなものを教えてしまいがち。
私達は過去の経験から何が不要であるとか何が「無駄」であるかを知っていることが多いからです。

そこでふと考えます。

私達はどのようにそのことを学習したのでしょうか。

私の場合は大学以前では「教わること」「こうするんだ」と言われたことと現実のゲームに乖離がありました。
それで当時は色々と手探りで試行錯誤したり、アドバイスをやってみては取捨選択をしていくようになります。
やがて大学で「正解」を知ることになるわけですが、それで「無駄」「不要」を知ることになりました。

こういう経験をすること。
いわば選手達があえて「失敗しそこから学ぶ権利」を簡単に奪っても良いのだろうか?と思うことがあります。

もちろんチャンピオンチーム等のすぐに成果を要求される環境での指導ならばこんなことを言っている時間は無いと思います。

でも、そうではないからこそ。
自ら課題解決に向けて仮説を立てて試行して。
結果を踏まえて修正して、更に試行を重ね。
課題の解決に向かう。

そういうプロセスを自らすることを大切にしたいなと思うのです。

その時に彼ら自身が考えて試すことならば、それは無駄であって無駄ではないことになるのではないか。 

そんなことを思います。

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