「 得ることと失うことのルール 」

得ることと、失うこととのルールについて考える。
今日読んでいた本にこんな一文があった。
「言葉は技術なんです。そして、人間とは、一度手に入れてしまった技術を使わずにはいられない生き物なんです。新しい技術は人間を幸せにしてくれる一方で、人間を不幸にする面もある。言葉をしゃべれるようになって以来、人間は言葉以外のコミュニケーションを失ってしまった。」
この文は「技術」ということについて書かれているが、他にも色々なことに通ずると思った。

得ることばかりに気を取られてしまう。あれが欲しいこれが欲しい。
得ることでより豊かになれるような気がするし、レベルアップできたような気持ち。

でも、得たことで気づかないうちに失ってしまったことがあるということ。
得られた新しいことに夢中になって気を取られて、離れていったことに気づくことは少ないのかもしれない。

まず、得ることに自覚的になりたい。
今の時代、情報が溢れている。すごく便利で、沢山の恩恵を受けていることは確かであるが、無意識にたくさんの情報にさらされているということを忘れずにいたい。ぼーっとしているだけで、大量の情報に触れている。気づかないうちに「得ている」。すなわち、きっと沢山の何かを「失っている」。
良い意味でも、悪い意味でも、なんとなく目にした一言、一枚の写真、小さな情報で人生が、人生というと大げさかもしれないけれど、乱れてしまうこと、自分の歩む方向が変わっていくと私は思うのだ。
少なからず、何らかの影響をもたらすと思う。
気づくと「得る」ことの多い社会だと思うから、“見ない、触れない、しない”という選択も大切にしたい。
せっかくだから、優しく美しく素敵なもので自分を満たしてあげたい。
そう思うと、「得る」ということにもっと慎重になりたいと思う。
先日「コーダ」という映画を見た。聴覚障害の家族を持つ少女の物語。
障害については簡単な言葉で示しきれない。
ただ、耳が聞こえるのなら、素敵な音を聞いていたい。目が見えるのなら、美しい景色を見たい。話せるのなら、優しい言葉をたっぷり届けたい。当たり前じゃないからこそ、無駄遣いしたくないと思った。

「その目が永遠に閉ざしてしまう前にできる限りの物を見ておくんだ」
これはある小説の私のとても好きな言葉。
永遠に目を閉じるタイミングはいつかわからない。明日かもしれない。

そして、得たら失う。失ったら得る。このルールはやっぱり成り立っているのだと思う。
失うと知った上で、私は学び続けていたいと思う。
自分の中には、とげとげした部分や凄く意地悪で愚かな部分が沢山ある。うんざりしてしまうくらいに。
色々な世界を知ること、視野を広げること、学びを通して、それらをなるべく自分の中から「失わせ」ていきたい。
自分の思考をなるべく滞らせることなく、より新鮮で豊かなものにしていたい。
循環させる為に、学んでいたい、得続けたいと思うのだ。
全ては上手くいかないかもしれないけど、洗練に近づく循環を作っていきたい。

また、「失う」ことに対して否定的、悲観的にならずに向き合いたい。前向きに、積極的でいいのだと思う。
ただ、別れを適当に扱わないこと。別れは、何かを新しくもたらしてくれるきっかけになるのだし、今まで何かをもたらしてくれたことに間違いはないのだから、しっかり感謝を伝えたい。いつ別れがやってくるのかはわからないのだから、今「ある」ものに常に感謝していたいし、いつ別れが来ても後悔なく受け入れられるように、日々たっぷりの愛これでもかと伝えていきたい。
全ては移ろうことを忘れず、どんな物事にもこだわりすぎない軽やかさと、後悔のない愛を。それは私のモットーの一つである。

「徳に励む人は求めなくとも財はやってくる。したがって、世間で言われる「失う」ことは、本当は失うことではない。また、「得る」ことは、本当は得ることだはない。昔の聖人君主は民に感謝して与えることを「得る」ことと考え、民から取り立てることを「失う」ことと考えていた。今とは全く正反対である。」

「施し散らしてなお、富を増す人がいる。その一方で、与えるべきものを惜しんで、かえって貧しくなる人がいる。」

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