「 隣にいてくれるあなたの目に映る私が魅力的であるように 」

「名声」について。

有名になりたい、人気者になりたい、憧れになりたい。
正直に言うと、そんな気持ちがある。

 同性の憧れになりたいという気持ちが昔からある。
アイドルや俳優さん、哲学者、執筆家…彼らの存在に、そして送り出してくれた作品たちに私も本当に沢山助けられ、救われてきた。
ただ、受け取って一番に思うのは、いつだって「私もそちら側にいきたい」という気持ち。受け取るのではなく、与える側でありたい、と。
何か素敵なものを受け取るといつもそんな気持ちで胸はいっぱいだった。

 

言い訳なのかもしれない、思うように叶えられないから逃げなのかもしれない。

でも、いま思うのは「他者評価」は自分の力では本当にどうしようもできないということ。

それなら、自分のとってお気に入りの、誇れる、自分であれるように努力することを重きをおきたいと思っている。

自分の目はいつだって逃れられない。

どんなに有名になても、ファンがふえても。逆に、そうでなくても。

そして、いつも隣にいてくれる、近くにいてくれる存在を何よりも大切にしたいということ。
スマホの画面を通せば、いくらだって華やかに煌びやかに思い通り理想通りに飾り立てられる。
言葉にすれば、その言葉に含まれきれない部分は山ほどある。

人対人。全てを重ね合わせ、理解しあえるとは思えないけれど、「その人らしさ」は顕著に現れると思う。家族、友人、身近な人から順に正しく優しく愛を与えられる人でありたい。誰が見ていなくても、自分への嘘がない人でありたい。嘘や綻びはいずれ見つかると思うし、にじみでる。何より自分自身をつねに苦しめる。

SNS等のスマホの画面を通してではなく、実際に会って、その人の目を通して、ハッと目を見張るような、心ときめくような、素敵なオーラを身に纏う人になる。

どんなフィルターも必要としない、隣にいてくれるあなたの、そして、俯瞰した自分自身の目に美しく、魅力的に映る自分でいたい。なるべくね。

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