学校教育の真の目的について
皆さんこんにちは、藤田です。
今日も徒然なるままに記していこうと思います……が、なんか今回は自分で書いてるけどなんか自分じゃない誰かの言葉のような、そんな不思議な感じです。笑
はじめに、今日のお話は、多くの人にとって信じられないような、到底受け入れられない内容だと思います。
でも真実です。
ただ、信じられない人、受け入れられない人にとっては、信じない方が良いと思いますので、そのままページを閉じていただくのが良いかと思います。
併せて、学校関係者の方々を批判したり口撃したりする意図も一切ありませんので、予めご了承ください。
『今日は、学校教育の真の目的についてお話したいと思います。
さて皆さん、学校教育の目的とは一体何でしょうか?
驚かれるかもしれませんが、学校教育の目的は、そこに通う子供たちの未来を明るいものにするためでも、彼らを幸せにすることではありません。
この世界を支配する一部の支配者が、自分たちにとって都合の良い存在をつくるために生み出されたのが、今の学校教育です。
「右を向け」と言われれば素直に右を向くような、そんな存在をたくさんつくりたかったのです。
思い当たることはあるのではないでしょうか?
この支配者というのは、国家という枠組みを超えて文字通り、世界を支配している存在たちのことです。
この世界はピラミッド型の構造をしていますね。
会社でも国家でも何でも、組織と呼ばれるものはすべてリーダーとなるものがおり、その下にそれを補佐する人、さらに下にもっと下の者たちに指示を出すリーダーがいて、一番下に実際に働く人たちがいます。
この構造はあらゆる場面で目にする機会が多いため、イメージしやすいと思います。
そしてそのピラミッド構造は、国家の枠組みを超え、国家さえも束ねる大きなピラミッドを構成しています。
その上位層には、金融エリートと呼ばれる一部の存在がおり、この世界の経済の流れを一手に牛耳っています。
この世の富は、すべてピラミッドの頂点である彼らに流れるように仕組まれているという訳です。
実はこの金融エリートの上にも更に彼らを支配する存在たちがいますが、今それについて話すと収集がつかなくなるので、一旦そこは置いておきます。
何にせよ、この世界はピラミッド型の構造をしており、そのトップには支配者がいるという事です。
そして、学校教育は、その支配者にとって都合の良いようにすべてが設計されています。
支配者たちは、庶民を幸せにするつもりなど1ミリもありません。
彼らは、自分たちがいかに効率よく庶民から搾取できるか、それにしか関心が無いからです。
もし仮に、学校教育が人々を幸せにするためのものであるならば、これだけ世の中に幸せではない(と感じている)人たちが多いのは不可解ではありませんか?
そこからも、学校教育は人々を幸せにするためのものではないことを感じていただけるかと思います。
お伝えしたとおり、学校教育の目的は、支配者にとって都合のよい存在を生み出すこと、ひいては彼らにとって都合の良い社会を作ることです。
その手段は、学校教育の在り方の随所に見受けられると思います。
まず、『優劣』という概念。
これは先生と生徒という構図に現れています。
ここでは、権力という概念を植え付けるための施しがあります。
先生の言うことに従わなければ怒られ、強制的に従うことを強要されます。
それでも反発しつづければ、『問題児』というレッテルを貼られ隅に追いやられ、とても生きづらい環境に身を置くことになります。
それを見た人たちは「先生の言うことには従わなければ」という観念が生じますね。
逆に、先生の言うことに素直に従う人たちは褒められます。認められます。
先生の役に立つことが多ければ多いほど、褒められ、認められる機会が多くなります。
表彰を受けたりなんかもしますね。
このようにして、本来は対等であるはずの人間関係に権力の概念を持ち込み、優劣を植え付けるのです。
また、生徒同士でも、試験を受けさせてその点数を競わせて『優劣』をつけます。
良く点数の取れた生徒は優れていて、点数の取れなかった生徒は劣っている。
このようにすれば、人は他人と比較することを通して『劣等感』を覚えるようになります。
なぜなら、全てにおいて他者に勝っている人など存在しないからです。
本来はそれぞれが異なった存在であり、比較して優劣をつけるという事は何の意味も持たないにも関わらず、その考え方を根底に植え付けて『劣等感』を育む訳です。
そして次に、『自由』の剥奪。
学校は、毎朝決められた時間に始まり、決められた科目を受け、決められた時間になると休憩し、決められた時間に帰宅します。
当たり前だと思いますか?
なぜ当たり前だと感じるのでしょうか。
それは、それを当たり前だと感じるしかないほど、教育を通じて刷り込まれているからなのです。
本来は、すべての存在に『自由』があります。
であるとすれば、学校に行く時間も、受ける科目も、休憩のタイミングも、そもそも学校に通うかどうかさえも、『自由』に決められてしかるべきだとは思いませんか?
しかし、それは許されません。
学校に行くことは『国民の義務』として、強制的に課せられるのです。
そもそも、この『義務』という概念も、支配者たちが自分たちにとって都合の良いように生み出したものに他なりません。
『労働の義務』は、庶民に労働を強いるための義務です。
なぜなら、庶民が働かなければ、トップの支配者たちが庶民たちから搾取できなくなるからです。
そうなるとピラミッド構造は保つことができなくなり、破綻します。
そのために、彼ら支配者は庶民に労働を強いるのです。
『納税の義務』についても同様ですね。
彼らが民衆から富を搾取するためのシステムです。
本来は、国家を維持するためにこれほどまでに多くの税金は必要としません。
もっと少ない額で、充分に国家は機能するのです。
それにも関わらず、莫大な税金を国民に課す理由は、更にその上の支配者たちにお金が流れるようにするために他ならないのです。
そして今回の『教育の義務』。
その目的はずっとお伝えしている通り、支配者たちにとって都合の良い社会を作るため、その駒となる人たちに自由があってはいけないのです。
駒には駒としてしっかり働いてもらわなければ、支配者たちが搾取することが出来ないからです。
考えてみてほしいのですが、彼ら支配者たちがはたして『労働の義務』を忠実に守っているでしょうか?
汗水垂らして働いていると思いますか?
そんな事は無いなと、イメージに難くないと思います。
このように、『国民の義務』でさえ彼ら支配者がこの世界を都合良く動かすためのシステムに過ぎないのです。
そんな彼らが、庶民から『自由』を奪うのは当然です。
そのために、学校教育では徹底的に『不自由』の概念を教え込むのです。
そして、教育の内容自体もとても都合よく精査されています。
彼らにとって不都合なことは決して教えません。
例えば、「1+1=2」という数式。
多くの方が、『何を当たり前な』と感じることかと思います。
しかし、これも良く考えてみればおかしいのです。
正確に言うとするならば、『「1+1=2」となる場合もある』が正しいと思います。
なぜなら、世の中には「1+1=2」とならないものも沢山あるからです。
そもそもこの世界を構成している要素である『光』は、波の性質を持っています。
波は、それぞれが互いに強め合うことも、打ち消し合うこともありながら、決して互いに干渉することなく存在しています。
これが波の性質です。
世界の根本である『光』がそもそも「1+1=2」とならない性質を持っているにも関わらず、なぜ学校ではまず「1+1=2」から教えるのでしょうか?
『光』の性質が小学生にとっては難しすぎるから?
いいえ、彼らは世界の本質に近い部分を教える気など毛頭ないからです。
そのために、「1+1=2」などという最も正解から遠いような内容をまず教えます。
「学校で習ったことは社会に出てから何も役に立たなかった」という人も多いのではないかと感じていますが、
それはそもそも学校教育の目的に『役に立つことを教えよう』という意図はなかったからだと考えてもらえれば納得しやすいのでは無いでしょうか。
そして、「1+1=2」のように、まるで全てに決められた答えがあるように誘導し、『自分たちは正解を知らない、だから正解を知っている人から教えてもらおう』という思考を植え付け『考える力』を奪うのです。
なぜなら、庶民が考える必要など無いからです。
彼ら支配者にとっては、「右を向け」と言われれば素直に右を向く存在を作れさえば良いので、何かを考えるという機能は庶民に与えたくないのです。
庶民がいろいろ考える力を持ってしまうと、ピラミッド型の社会構造が看破され、多くの人にこれを見抜かれた時、このピラミッド社会は崩壊してしまう事を彼らは知っているのです。
もちろん算数以外の科目も、本当にさまざま彼らにとって都合の良い施しがなされています。
『物理』や『化学』についても同じです。
私たちを真実から遠ざけるような内容ばかりが盛り沢山となっています。
世の科学者たちの中には、本当の真実にたどり着き、これまで信じられてきた話に嘘が散りばめられている事に気づいている人も多くいるかと思います。
彼らの話は最初はロクに相手にされませんでしたが、今では徐々に本当の真実の方を信じる人たちも増えてきています。
かつて『相対性理論』を提唱したアインシュタインは、自分の娘に一通の手紙を残しています。
そこには、「宇宙に存在するすべてのエネルギー、その根源は愛である」という内容が書かれていたそうです。
言葉だけなら良くある文句に聞こえますが、彼はそれを学術的に正しい理論であるという結論に至ったのです。
しかし、彼がその理論に思い至った時世では、科学者が語るにはとても受け入れられるような話ではない。彼はそう判断して、その極めて真実に近い発想を、自身の娘に託したのです。
では、この「愛のエネルギー」について、世界の支配者は知らなかったのでしょうか?
いいえ、当然ながら彼らはそれを知っています。
そして、意図的にその内容を伏せているのです。
この理論は非常に世界の真実に近い内容であり、それを知られてしまうと、これまで教えられてきたことのほとんどが嘘であったと気づく人たちが一気に増えてしまうからです。
また、『歴史』に関しても同様です。
彼にとって都合の良いように、本当に見事に改変されています。
この真実を知りたい方は、後で紹介するブログをぜひご覧になると良いと思います。
そこに、支配者が手を加えていない、本当の人類の歴史が書かれています。
このように、学校教育では人間関係に優劣をつけ、自由を奪い、真実から遠ざけ、考える力を奪う事によって、支配者にとって扱いやすい存在を生み出すのです。
このような教育を施すと、コントロールすることが容易になります。
「誰々が言ったから」
「テレビでそう言っていたから」
「それが常識だから」
このように、思考停止の状態に追い込まれ、自分は正解を知らない無力な存在だと思わされることで、簡単に人の話を鵜呑みにするようになります。
そうなれば、彼ら支配者にとって非常にコントロールしやすいのです。
『我慢は美徳だ』
『汗水たらして働くのは素晴らしい事だ』
『他の人のために、自分のやりたいことは抑えなければいけない』
そうやって彼らにとって都合の良い価値観を植え付け、労働力として使役し、その恩恵だけを彼らが受け取る事が出来るように民衆をコントロールするのです。
そのためのシステムが、非常に巧妙に社会の中に散りばめられており、その罠に知らずにかかってしまってしまい、支配者たちの良いように洗脳されてしまっている存在たち、それが現代人なのです。
その事をお伝えするために、今日こうして記事を書きました。
さて、本題に入ります。
この事実を知って、あなたは選択する事が出来るようになりました。
これまでの社会の中で生きていくのか。
それともこのピラミッド型の社会から抜けて、自由を取り戻して生きていくのか。
もちろん、これまでの社会の中で生きていくのも選択の一つです。
お伝えしたように、すべての存在にはその生き方を決める『自由』があります。
その『自由』は何によっても制限されることはなく、選んだ選択はすべてがかけがえなく尊重されるものです。
それを捻じ曲げて強制するのは自由への介入であり、してはならないという不文律があります。
そのため、これまでの社会の中で生きていくことが悪いことで、ピラミッド社会から抜けて生きていくことが良いこと、というジャッジはありません。
あくまでも本人の自由意志によってのみ、決められるべき事だからです。
では、その自由意思に基づいて、『ピラミッド社会から抜けて、自由に生きていく』ためには。
これからお伝えすることは、頭で理解しようとはしないでください。
心を開いて、受け入れられるかどうかを感じてほしいと思います。
この支配構造から抜けて生きていくためには……
まず、我慢することをやめてください。
嫌なことは嫌だと主張してください。
おかしいことにはおかしいと、言うようにしてください。
これは、「多くの人がそう言っているから」とか「誰々さんが言っているから」という事は一切考えないでください。
ただ自分の心がそう感じたら、そう言ってください。
どれだけ多くの人が信じていようが、自分の信頼する人の言葉であろうが、あなたが感じたことがあなたにとっての真実です。
誰かに受け入れられるかどうかも関係ありません。
あなたの心に聞いてみて、どう感じたかという事のみが大切なのです。
その声に従って、嫌だと感じる事は嫌だと言ってください。
違うと感じることは違うと言ってください。
もちろん、そうだと感じることはそうだと言ってください。
そうすることで、この労働を強制するピラミッド社会から1歩引くことが出来ます。
彼らは、庶民に我慢を強いることで自分たちに富が巡ってくるようにシステムを設計しています。
我慢をして、本当の自分を押し殺して何かをするのは、彼らの思う壺なのです。
そして次に、対立のエネルギーを手放してください。
対立のエネルギーは、争いを生み出します。
何かと戦わないでください。
合わない人やものからは、そっと距離を取ってください。
それで出来るだけ関わらないようにすれば、争いは生まれません。
誰かが何かを言っていても、そしてそれが自分の価値観とまったく異なるものだったとしても、それに対して反発して争わないようにしてください。
その人にとってそれは真実であり、その信じている、選んでいる事もその人の自由なのです。
そのようにその選択を尊重した上で、自分の価値観と異なる場合はただそっと離れるだけで良いのです。
そうやって、対立のエネルギーを手放してください。
批判や非難、ジャッジというエネルギーも同様です。
そうすることで、争いの社会から離脱することが出来ます。
彼らは、人々に劣等感を植え付け、お互いに競争させることで人と人とが手を取り合うことをしないようにしているのです。
そうやって人とが手を取り合わなければ、人々は孤立し、とてもストレスが溜まります。
そうやって庶民がストレスを溜めて不満な状態というのを、ずっと継続させたいのです。
その不満の先には、争いがあります。
一つの争いは、更に大きな争いを生みます。
そうやって争いが各地で起こるようになると、やがてその争いは国同士の諍いとなり、戦争に発展します。
大げさに聞こえるかもしれませんが、本当の事です。
これまでの戦争もすべて、彼ら支配者によって意図的に起こされてきました。
戦争が偶発的に起こることなど無いのです。
そして戦争では、多くのお金が流れます。
そのお金は、すべて支配者に流れていきます。
彼らはお金のために、戦争を起こすのです。
そして戦争が起きる理由は、人々の不満からです。
人々の対立が、最終的に戦争を引き起こすことになるのです。
それを防ぐためにも、対立のエネルギーを手放してください。
正義の押しつけはコントロールの意識です。
他者をコントロールしようという考えは、相手からエネルギーを奪うという意図から生まれます。
これは支配者の考えそのものです。
コントロールは対立を生みます。
他者をコントロールしようとしないでください。
対立のエネルギーを手放してください。
合わない人からは、そっと距離をとるだけで良いのです。
そして最後に、やりたい事をやってください。
あなたの中に、できるだけ多くの『自由』を取り戻してください。
本来、すべての存在は『自由』なのです。
それを思い出してください。
あなたの中に、今どれぐらいの自由がありますか?
『自由』とは、自分に決める権利があるという事です。
あなたの人生において、どれぐらいの事をあなたは決める事が出来ますか?
何時に起きるか、
どこに行くのか、
何をするのか、
何を着て、何を食べて、どんな言葉を口にして、
いつ休憩して、
いつ家に帰って、
何時に寝るのか。
そして、どれぐらいのお金を得るのか。
これらは本来、すべてあなたの自由なのです。
このうち自由でないものは、奪われているのだと考えてください。
それらを、出来るだけ自分に取り戻してください。
『これは本来、自分の意思で決められるものなんだ』
そういう意識で、生きるようにしてください。
そうすることで、主権があなたに戻ってきます。
すぐに全てが戻ってくる訳ではありませんが、確実にあなたに自由が戻り始めます。
そうやってどんどん自由に生きてください。
彼ら支配者は、庶民に自由に生きられるのが嫌なのです。
コントロールしづらい状況はできるだけ避けたいのです。
彼らは、庶民からすべての自由を奪いたいと考えています。
今行われている政策も、庶民から自由を搾取するための方策がさまざま打ち出されています。
それらに従わないでください。
自由に生きてください。
すべての自由は、あなたの中にあるのです。
あなたには、あなたの人生のすべてを自由に決める権利があるのです。
その権利を、相手に委ねないでください。
それをしてしまうと、あなたの望む現実は造れません。
あなたに主権があるのです。
それを決して忘れないでください。
そして『自由』をどんどん取り戻していく中で、好きなことをしてください。
何にも縛られず、何の気兼ねもせず、ただ好きなことをしていてください。
そして、ご機嫌さんでいてください。
ただただ自分という存在を、崇高なものだと扱ってください。
そうやって生きることで、このピラミッド型の支配構造からそっと距離をおき、自由に生きることが出来るようになります。
そうやって自由に生きる人たちが、ちょっとずつ手を取り合って創る社会。
ピラミッド型の三角ではなく、丸い形の社会。
それこそが、支配から抜けて自立した、愛と調和の世界なのです。
もし、そのような世界を生きたいと思うのであれば、そのような世界で生きると意図してください。
意図するとは、自然な状態で心に決めることです。
そうすることで、現実は動き出します。
思考が先、現実が後なのです。
最初にもお伝えしましたが、頭で理解しようとはしないでください。
心で聞いて、感じてみてください。
この記事が、1人でも多くの必要な人に届くことを祈っています。
あなたたちを愛しています。』
このメッセージが、多くの人に届きますように!
そして最後に、記事の中で触れたブログについてご紹介します。
興味がある方はぜひ、ご覧になっていただく事をオススメします❗
ここまで見ていただいている方がいるかは分かりませんが、もしいたとしたらとても嬉しく思います。笑
ありがとう!
藤田でした。