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師走シリーズ・僕は君のことを知っている

 

その昔、5つ星ホテルなるところで働いていた頃の話。

デミアンと言う、一見、「イケてる風バーテン」がいて、バーを横切るたびに、何かと日本語で話しかけてきた。

「俺昔、東京に住んでて、日本人の彼女がいたから、結構しゃべれるようになったんだよね。ところで、君なんて名前?」

これがもし、街角で起きたことならば、超スルーしてただろう。

話だけ聞けば、日本語検定試験のN2レベル。けれど、読み書きができるかどうかは、至って不明。

そんな彼が、日本語で話しているのを見て、周りの従業員は羨ましがった。

「kyoko、僕も日本語教えて。」

当時から、日本語教師も掛け持ちしていたので、色々なことを聞いてくる人はいたし、私も時間がある時は、各フロア所属のバトラー(執事)に、日本人のお客さんへの対応の仕方を、アドバイスしていた。が、それは単語や会話ではなくて、主に、どうやって日本人のお客さんに接すれば、喜ばれるかと言うこと。

「バトラー/執事」と言うと、かしこまった感じがするし、日本では、まだまだ普及していない職業だと思うけど、要は、お抱え使用人、とでも呼ぼうか。

出かける時に、バックを持ち運ぶところから始まり、どこかのレストランとかレンタカーの予約をしたり、靴を磨いたり、ジャグジーのお湯を溜めたりする、小使いさん。

日本は、そのような文化はないし、子育てだって、メイドを雇わず、基本的には全てを自分でする国だから、いきなり小使いさんと称する人間が現れても、最初は扱い方がよくわからずに、大体遠巻きにする。

が、それでも片言の日本語と、持ち前の愛嬌の良さで、フレンドリーに接する彼らと顔を合わせているうちに、結構仲良くなって、「メキシコ人の友達ができた!」なんて喜んで帰るお客さんも、結構いる。

そうして滞在の終わりに、結構な額のチップを貰ったり、いらなくなった、質もデザインも良い、日本製のTシャツやら、ビーサンやらを、譲り受けたりすることも多いので、観光業の中でも、これはちょっとした人気の職業なのだ。

その反面、当時私の仕事であったコンシェルジュは、バトラーと被るところもあるけれど、どちらかと言うと、英語もスペイン語もできないお客さんの、チェックイン・アウト、館内のお店やレストランでの通訳や、具合が悪くなった時の、お医者さんの手配や診察時の通訳から、出かけた先でカメラや財布を落とした(盗まれた)からどうしよう、などの実務的なヘルプが多い。

メキシコ人スタッフは比較的簡単な仕事で、お客さんと楽しく雑談して、チップ付き。それに引き換え、コンシェルジュは、ドメスティックな仕事で、いささか面倒なことも多く、基本的にチップなし。思い起こせば、華やかな部分もある反面、色々と、やりきれないことも多かった。

・・と、話がそれた。

その後、緊急があって、しばらく日本に帰国しなければならなくなったので、この仕事も離れたが、ほとぼりが覚めて戻ってきた時には、当時仲良しだったロシア人の元同僚は、すでに別のホテルに移っていて、「うちのホテルにいらっしゃいよ。」と誘われるがままに、取り敢えずは、面接を受けに行ってみた。

そのホテルは、出来たての、超お金持ちだけを顧客とする高級ホテルで、一般人はロビーにさえ入れず、また各部屋も、独立して分かれた、プライバシーが完璧に守られた作りで、前ホテルのような、大衆的な大らかさは、どこにも見られなかった。

なぜ面接に行っただけで、そんなことを知っているのかと言うと、それは、そのホテルがオープンする前に、どこかからか話が回ってきて、ウェブサイトの日本語訳を担当したからである。小さい街に住んでいると、「日本語」と言う括りの中で、色んな役が回ってくるから面白い。

さて、面接の日にホテルに行ってみると、面談者は私だけかと思いきや、大勢の人で、ごった返していた。

これは、時間が掛かるなぁ・・・本でも持ってこれば良かった・・・

と、仕方なく長い列に並び、座っている椅子を少しずつずらしながら、移動しているうちに、向かいの列に、笑顔で”kyoko!"と、手を振って来る人がいる。

・・っと、誰だっけ?

訝しがる私の顔を見て、彼はこういった。

"△ホテルで一緒だったよね。”

あー、あの時のバーテンか!そう言えば、いつの間にか、ホテルからいなくなってたな。

"えーっと・・"

"デミアンだよ。そして、君の名前は、Kyoko xxxxx (私のフルネーム)”

ギョッとした。

どうして、私のフルネームを、知っている??

”ははは。僕のレズメにはね、君の名前が書いてあるんだよ。君に日本語を3年習ったってね。あのホテルをやめた後、◯◯で働いたんだ。”

”・・・・・・”

空いた口が塞がらない、とはこのことだろう。

もちろん当時バーテンだった彼は、私のクラスなど、一度も受けたことがなければ、レズメ用に、名前を貸してくれ、と頼まれたこともない。が、日本語を教えていることは、周りも知っていたから、他の従業員の誰かに聞いたのだろう。

その彼に、怒らなかったって?いやいや、ここでは立派なあるあるで、彼らは彼らで、生き延びに必死なのであって、そんなでたらめも、ここではご愛敬。長年住んでいるうちに、もう、慣れてしまったよ。(だからと言って、勝手に名前を使われるのは困るけど)

***

結局、私はこのホテルで働くことはなかったし、その彼と顔を合わすことも、二度となかった。が、風の噂によれば、この町でNo.1のホテルにバーテンとして採用され、そこで出会った女性客と意気投合して、あっという間に消えたとか、消えなかったとか・・

そして、私の人生観もまた、この観光地に住んで10数年、およそ、真逆と言えるくらいに変わったのも事実。

今でも綺麗なものや人は好きだけど、でも、美の概念が、変わったのだ。

今私が惹かれるのは、いぶし銀的な、じわじわと、内面から滲み出る、美しさ。きらびやかだったり、一見目を引くものもいいけれど、実際蓋を開けてみれば、それは、案外退屈だったり、感動が、長く続かなかったりする。

そう思うようになったのも、自分自身が、色々見てきたからで、この街には、色んな人、色んな生き方をする人がいるから、それを見れただけでも、ここに来た価値があったと思う。

さて、2021年は、どんな年になりますことやら。

願わくば、私たちの心の中に、小さな灯火が、たくさんともるような、温かい年になりますように!


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