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断捨離のすゝめ -人間関係の衣替え-

"だけど、良いところもあるの"
そんな言い訳で、恋人や友人、家族を守ったことがある人は、決して少なくないだろう

そして、そんな言い訳で守られている人には、あらゆる期待がかけられるのだ

ちゃんと話し合いができたら、結婚をしたら、子供ができたら、子供が生まれたら、孤独を知ったら…
"きっと変わってくれるはず'だ、と。

そう望みをかけて結婚し、離婚した私が知ったことは、変わってくれるはず、という望みがとても薄っぺらく、自己中心的だということ。

もしかしたら、"その人"にとって自分を変えること自体、必要ないのかもしれない。
必要だと感じているのならば、『あ、牛乳がなかった』くらいに違和感なく、不足品を買い足すように、自ら"変わっていく"はずだ。

変わる気などない他者へ、変わって欲しい、わかって欲しいと期待や願望を示すことは、"その人"のため、ではなく他の誰でもない"あなた"のためではないだろうか。

きっと、その人はあなたと相入れることはない。
あなたがその人へ、寄り添いと言う名の妥協をしない限り。
だか、その妥協はサイズアウトした服へ無理矢理袖を通すような窮屈さをもたらす。
そして、また同じように『良いところもある』と周りへ、自分へ言い訳をしなければならなくなる。不恰好だ、とわざわざ正論をぶつけてくれるような人は、よほど親しい人か、不躾な人しかないだろう。

人間関係は、ファッションとよく似ている

関係性が厚すぎたり、薄過ぎてしまえば、たちまち不快感を抱くことになってしまう。

感情の四季によっては、毎日羽織りたくなるような気持ちになるだろうけれど、違和感を抱いたのなら、その相手とあなたは今、違う感情の四季の中にいるのだ。その上、お互いを尊重し、違いを理解するという思いやりを向けられず、真夏にセーターを着せるような、真冬にタンクトップを着せるような横暴な振る舞いをしているかもしれない。

プロモデルの如く、季節外れのファッションでも涼しく微笑むだけの覚悟ができているのならば話は別だけれども。

自我を手放してまで、手放したくない相手なのか、いつの間にか"自分"を受け入れてもらうことに"執着"しているのではないか。

その答えを出しかねているのならば、いっそのこと、思い切って手放してしまえばいい。
あなたが労力をかけて、その人との関係や性質をリメイクできていないのならば、いつか感情の四季が重なる日を待てないのならば、それはとっくに答えが出ている。

あなたは"その人"を、その人は"あなた"を着こなせていないのだ

以前は着こなせていたとしても、夏から秋に、そして冬に変わるように、国境を越えたら気候がガラリと変わるように、今のお互いには季節外れで不恰好なのだ、と割り切ってみてはどうだろうか。

もしかするとその人は、あなたではない他の誰かにとって、肌に溶け込むようにぴったりな人なのかもしれない

例えば、洋服を買いに行ったときに、"これだ!"と思ったものをわざわざ避けて、イマイチなものを選ぶことはないだろう。

そんなの、センス以前の問題だ

例えば、耳がちぎれそうになるほど寒い日に、マフラーのひとつもわけてくれない相手を庇うのなんて、馬鹿らしすぎる。

肌をジリジリと照りつけるような夏の日に、『なぜマフラーをもってきていないの』、と不機嫌に言い放たれても、困惑するしかない。

そんな相手を違う世界に生きているのだ、と興味深く見つめられないのは、あなたが他の誰かを許せないほど余裕をなくしているからだ。

それでも自分を理解して欲しいと言わんばかりに、"良いところもある"なんて言い訳をしなければ不安になるあなたが、私たちが、強く、寛容なわけがない。

だから手放してしまえばいい。いつの間にか心のクローゼットをキャパオーバーさせている、今のあなたに不必要な感情や、その人への執着、思い込みにも似た相手や自らへの理想と幻想を。



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