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さらばだ、他人軸そして悲劇のヒロイン2

他者による相対評価ほど、不安定なものはありません。
この不安定さのなかで他人に評価されることが絶対だと思い、ずっと過ごしていると、実際に他人がどう見ているか以上に「もしかしたら○○と思われるのではないか」というような強迫観念を次々と生み出していきます。

「こうやったらこう思われる」
「こうしたら文句を言われる」など。

拡大解釈・自意識過剰・被害妄想ってやつです。これがエンドレスになっていき、負のスパイラルです。
他人の考えていることなどわかりませんので、確実な安心がほしくて、相手の表情などから一生懸命何を考えているか読み取ろうとしてしまいます。

※他人軸になっている人ほど占い師やヒーラーに透視リーディング(インチキ)を依頼する傾向です。安心できる言葉をもらって承認欲求を満たしたい。厳しい言葉を言われたら怒り狂い、別の占い師、ヒーラーを探す→スピリチュアルジプシーの誕生。占い師、ヒーラー:まいどあり(コイツ馬鹿だわw私たちの良いカモだわwww)
あとはスピリチュアル妄信してなくても、カウンセラーやYahoo!知恵袋なんかで、「このLINEは脈ありですか?」とか相談したりする人もそうですね。

抽象度が低い!!

こんな行動自体がとにかく時間の無駄!お金の無駄なのです!
残念ながら他人による評価は不安定です。それをもとに行動しているうちは、確かな安心など得られやしないのです。

「もしかしたら○○と思われるのではないか」
「相手は笑っているけど本心はコイツ馬鹿だなと思っているのではないか」
などという猜疑心も生まれます。

はい、常に「こうやったらこう思われるのではないか」と相手にどう思われるかを気にしてビクビクしてしまうのも強迫観念です。
他人の目を気にして、それを中心に生きていくということは、自分自身が誰よりも厳しいジャッジマンになってしまうのです。
何故かというと、他人の評価に迎合していくスタイルは、自分の欠点ばかりに目がいくようになってしまうからです。
自分にネガティブな目を向けておかないと、他人に悪く思われるかもしれない点をチェックすることができないため、結果として自分が誰より厳しいジャッジマンとなります。
そのチェックいやジャッジはキリがなく、何かしら改善があったとしても、「まだ足りない。まだここがよくなっていない」と満足することもなく、延々と粗捜しをして自虐思考してしまいます。

こんなことをずっと続けてきたこのような人は、自分を変えるために自分の成長のためにまず一歩を踏み出そうと言っても、

「そんなことしたら家から一歩も出られないじゃないか!」
「そんなことしたらいじめられるじゃないか!」
「そんなことしたら孤立するじゃないか!」


と拡大解釈・被害妄想思して、しり込みしてやろうともしないんです。この恐怖を感じきってしまえば解決の一歩を踏み出せるというのにどうやら「恐怖を感じてはいけない」という思い込みがあるようですね。
そんな人は悲劇のヒロインになって、

こんな恵まれなくて弱い私を

認めて認めて!愛して愛して!

※超ぶりっ子声で脳内再生してください

と承認欲求をぶつけ、四方八方に承認欲求(サイキックアタック)をぶつけまくります。

承認欲求ビジネスやっているインチキ業界は絶好のカモだと思いグイグイ来るとは思いますが、それ以外の大多数にとっては迷惑だし、嫌われます。

もしかしたら、周りに煙たがれるのはその強烈な承認欲求のせいなのかもしれません。それに類友の法則により愛されたい=愛されていないだから、人に大切にされない雑に扱われるような現実を創ってしまうんですよね。

正直、承認欲求を切り捨てた身としては、強迫観念の方がむしろ厄介だと思っていたくらいですが、判断が甘かったことを痛感しています…。

承認欲求の塊の人だらけなのはマズいことですね。

他人軸の人のパターンをまとめます。

他人の目が気になる→二元論→比較→自虐思考→強迫観念→他人の目が気になる→二元論…

エンドレスですね。

やはり、どんどんインチキ自己肯定の要素が組み込まれていく連動式です。強迫観念に駆られると当然戦闘モードにもなってしまいますね。

しかし、このパターンにははじまりがあります。

書き加えます。

承認欲求→他人の目が気になる→二元論→比較→自虐思考→強迫観念→他人の目が気になる→二元論…


火のないところに煙は立たない。

根本の原因を対処しないことには、また再発してしまうのは明らかでしょう。

これで何を一番に対処すべきか、もうおわかりだと思います。

承認欲求など要らん!!!

サッサっと捨てるべし!!

承認欲求を満たすことに執着し、悲劇にヒロインになることを手放すことができなければ一生変わることはできず置いてけぼりになります。
置いてけぼりになってまた悲劇にヒロインになって、こうした意味のないことを死ぬまでやるつもりなんですか?
こういう人は過去に悲劇のヒロインになって誰か助けてくれたとか、同情してくれたとかの成功体験があってそれが拠り所になって麻薬中毒みたいになっているのかもしれませんね。
こんなのものすごい足枷でしかないですよ。

悲劇のヒロインが愛して!愛して!同情して!同情して!とアピールする行為は周りに悪魔術をかけまくっていることになるのですから。
こんなものは呪いですよ。


どこかで踏ん切りをつけないと、一生不幸ということです。
不幸な可哀想な自分を演じていれば救われるなんてそんな甘い話はありません。
悲劇のヒロインが養分にしているのは承認欲求でしかないんです。
承認欲求がなくても生きていけます。
承認欲求が誰にでもあるものだから仕方がないという考え方は抽象度が低いしまだまだ他人の洗脳を抜け出したとは言えないのです。
GabalaboCHさんのお釈迦様の動画を見てください。

承認欲求は苦しみでしかないのです。
こんなものにしがみついている限り絶対に成長することはできません。
別に成長しなくてもいい、凡人でいい、普通の女の子として生きたいとか言っている人に限って他人軸だし承認欲求の塊です。
承認欲求なんて百害あって一利なしだからさっさと捨てるに限ります。

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