矢羽野恭一(Yauno,Kyoichi)

創作は楽しくもあり、苦しくもあり。学びと気づきを得て、日々新たならんことを。 画像を…

矢羽野恭一(Yauno,Kyoichi)

創作は楽しくもあり、苦しくもあり。学びと気づきを得て、日々新たならんことを。 画像を提供してくださっている方々へ感謝申し上げます。勝手にトリミングして使わせていただいています。これからもよろしくお願いします。

マガジン

  • 福田翁随想録

    十数年前のことになる。師事していた方から「好きにしてよい」と、かなりの分量の原稿を託された。早速この随想を一冊の本にするべく、編集し、企画書をつくり、当時関わりがあった出版社数社に持ち込んだ。  ところが、滋味深いが目新しさに欠けるとの見立てで、出版にはこぎつけなかった。  その翌年、翁は八十四歳で亡くなった。遺稿は日の目を見ることなく、私の家の書棚の引き出しにしまい込まれたままになった。  眠らせておくのは、託された者として恥ずべきことと思い至り、このウェブサイトに少しずつ公開していくことにした次第である。

最近の記事

△✕◇*◇

「彼女が言ったんだよ、あたしはあなたのご先祖さまの生まれ変わりだって」 「マジかよ。冗談じゃなくって?」 「ああ」 「初対面なのに?」 「ああ。そう言ったんだよ」 「マジかよ」  チェ・ゲバラの顔がプリントされた濃い萌黄色のTシャツを着たやさぐれ男が、ウォッカの入ったショットグラスに手を伸ばす。 「ショートの、セミロングの、いやロングの、うーん、ストレートだったか」 「おい、おい。大丈夫か? そんなあやふやな話に引っ掛かって」 「二十歳くらいの娘にいきなり告げられたんだよ」

    • 有無、無有

       「有無、有無、有無」  「無有、無有、無有」  呟き続けていると、唸り音のように聴こえる。  「ウュン、ウュン、ウュン」  「ウュン、ウュン、ウュン」  共振し、膨張し、拡大し始める。  無窮の天空を吹き渡る悠久の風のように、  大いなるものと共鳴するかのように。  覚醒の兆しに心躍らせ、  香皿にお香を点て、坐禅を組む。  共振、共鳴……思念が巡る。  有は無であり、無もまた有であり無である……。

      • 一語一語に

             一語一語に余韻が残る。   一語一語に色や薫りが宿る。  研ぎ澄まされた文には意を超えるものがある。  滋味深く、奥深く、広がりがある。  異なる資質や感性に補われ、完成される。  余計なものを添えてはいけない。  邪魔をしてはいけない。  一語一語に余韻が残る。   一語一語に色や薫りが宿る。  沈香の言の葉を紡ぎたい。  言霊を遺したい。

        • あの日、あの時に

           都会のど真ん中に取り残されたように自然池を中心とした公園がある。常緑樹や落葉樹に囲まれ、憩う人々に豊かな四季を感じさせてくれている。  池の周りのところどころに古木の長椅子が置かれていた。いまそのひとつに一組の夫婦が夕陽を受けて坐っている。 「出会ったばかりの頃もよくここに来てたわよね」 「そうだったね」  誠は見遣るような眼を朱に染まる落葉樹の林に向けている。 「ここの販売機にだけまだ瓶のコーラが売られてたんだ」 「他所は缶ばかりだったものね」 「そうだったんだよ」

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        • 福田翁随想録
          43本

        記事

          梅雨寒の病院で

           梅雨に入り、誰もが長雨と蒸し暑さに辟易し始めている頃、思わぬ季節外れの寒さが到来した。遥か北方海上で発生する高気圧がもたらす梅雨冷え、梅雨寒現象。  気象現象など普段気にも留めない人でもさすがにこの気温差には戸惑っている風である。   この日病院の受付前ロビーに集った人びとも例外ではなかった。半袖の人もいれば、長袖の人も。なかにはカーディガンを羽織っている人も混じっている。  この地域最大の設備が整った総合病院だけに、朝早くから多くの、それぞれに交わらない、結びつかない思い

          大愚良寛

          大愚(たいぐ) 生涯懶立身 生涯立身に懶(ものう)く 騰々任天真 騰々(とうとう)と天真に任す 嚢中三升米 嚢中(のうちゅう)に三升の米 炉辺一束薪 炉辺に一束の薪 誰問迷悟跡 誰か問わん迷悟(めいご)の跡 何知名利塵 何んぞ知らん名利の塵 夜雨草庵裡 夜雨の草庵(そうあん)裡に 双脚等閑伸 双脚を等閑(とうかん)に伸ばす (意訳) 生涯、立身出世にうとく 自然のままに任せてきた。  いま手元には三升の米と 一束の薪があるのみ。 誰が問うだろうか、迷いや悟りのことを。

          あの時、あの瞬間に

          「あの時死んだのかもしれない」  健次は茜色に染まりいく空を見やりながら深い吐息を洩らした。 「鍛錬しかないんだ。でなきゃあ、絶対強くなれねぇんだよ」  同じ黒のウィンドブレーカー姿の二人連れのひとりが、並走するもうひとりに諭すように告げた。 「なにニャついてんだよ」 「ニャついてなんかいないすよ」  語気強く言われた男は、無防備になにも考えずに半笑いで返す。 「ニャつくんじゃねぇ」  男は立ち尽くしている健次を邪魔臭そうに避けながら言い放った。  ――あの瞬間、ふっと目の前

          無題

           立ち留まってはいけない  歩むのを止めてはいけない  なにも求めず  なにも怖れず  倦まず、弛まず、怠らず  ただひたすらに   ただただひたむきに  精進 持戒 忍辱   智慧 布施 禅定 ①精進[しょうじん](励み) ②持戒[じかい](自戒) ③忍辱[にんにく](忍耐) ④智慧「ちえ」(思索) ⑤布施[ふせ](積善) ⑥禅定[ぜんじょう](瞑想)

          欲望

           欲望は拡大、膨張し続ける。  欲望に限界、終焉はない。  どうしても手に入れたいのか。  どうしてもそうあらねばならないのか。    満たされないのは不幸なことなのか。  忌み嫌われなければならないことなのか。  「もっと、もっと」  狂騒、狂乱の悲鳴が聴こえる。  「もっと、もっと、もっと」   餓鬼の雄叫びのよう。    満たされないことがそんなに怖ろしいか。  堪えがたいか。  おまえは本当にそれでいいのか。  

          音速を超える感覚

             ――音速を超えるとどうなるのだろう。どういう感覚なんだろう。  今朝目覚めと同時に、ふっとこんな疑問が浮かんできた。  空を飛んでいる夢でも見ていたのだろうか。それとも昨夜遅くまで観ていたトム・クルーズ主演の映画のせいなのだろうか。  なぜだか分からないが、なんの前触れもなく音速を超える瞬間の感覚が知りたいと心底思った。  実は、これが初めてのことではなかった。  バリバリという耳を劈くようなジェットエンジンの轟音が音速を超えた瞬間、ふっと消え、シンとした静寂の世界に

          沈香の香り

           ミュウがまた今夜も私につき合ってくれている。   ――おいおい、そんな狭いところでお尻を舐めないでおくれよ  私の心の声が聴こえたのか、不意にこちらへ顔を向けた。  目が合う。なんか文句があるのか、というきつい眼光をしている。  ――おっと。文句はありませんが、ただ……  また届いたのか、捨て置くように何事もなく先ほどと同じ行為に耽る。  よくもそんなに足をぴんと上げていられるものだと感心する。  ――できれば、というかもっと広いところでなすったら、と。その方がよろし

          祈り、願いは

          祈り、願いは、明日のためではない。 明後日でも、明々後日でも、 そのずっと先の日のためでもない。 ただ今、この瞬間のためにこそ生まれいずるものなのだ。 力強い励ましと勇気と、そして限りない希望を与えてくれる。

          朝まだきの夢物語

          「今朝もまた同じお花畑の夢を見たよ」  目覚めて間もなく武瑠が意味深げに呟く。 「へぇー、そうなの?」  智香はあまり関心がないという風。伸びとあくびをして武瑠の方へ体を向けた。 「実はね、二日連続なんだよ、昨日に続いて」 「………………」 「夢の中だけじゃなく目覚めてからも、ずっと満たされた感覚が後引いてて。……もしかするとこれが俺の理想郷ってものなのかもしれない」 「死ぬんじゃね」  うまいツッコミ返しをしたという顔で笑っている。 「なんてことを」 「じゃあ、天国?」 「

          永訣の時刻に

           ただいま、お亡くなりになりました。  医者が聴診器を外して告げた。  なぜ君はひとりで逝ってしまったんだ……。  夫は泣き崩れた。そして妻の躰を強く抱きしめた。  医者は黙礼すると病室を出ていった。看護師は残り、見守ってくれていた。  泣き止んでも離そうとはせず、抱いたまま腕をゆっくり擦っている。  深い薫りがする。お香が焚かれたのだ。  まだ温もりの残る躰からいま魂が離れたのだと告げられたように思った。  これが死別というものなのか、そんな冷めた思いが浮かぶ。

          老先生の奇行話

          「あの痩せぎすのお年寄りのことかな?」  店主婦人はテーブルを拭く手を止めて、小奇麗に束ねた髪にちょっと手をやって思い返すような目つきで答えてくれた。 「あなたがいま坐ってる所に坐って、じっとあたしのこと見てるのよ。最初はその視線が邪魔臭くて、邪魔臭くて。だってそう思うでしょ、誰だって。知らない年寄りがずっと目で追ってくんだから、無遠慮に」  ――先生がやりそうなことだ。  その場の様子が目に見えるようで、道雄はなんだか嬉しくなった。  ――夢中になると遠慮会釈なしのところが

          春雷の轟き喧しい夜に

           深夜一時過ぎ。春雷の轟きがかまびすしい。 「数日前に古書店の店頭ワゴンでとんでもなく怖い写真集を見つけたんだよ」  長い沈黙の後に彼が唐突にそんな話を持ち出してきた。 「写真集? 珍しいね、活字中毒の君が」 「そうだね。自分でも信じられない行動を」 「行動?」 「うん。気がついたら手に取ってたんだよ」 「……………」 「モノクロの、老人の顔のクローズアップ写真。毛穴まで見えちゃってんじゃないかぐらいのズームアップでさ。なにもかも見尽くした、もう見飽きたっていう疲れ果てたよう

          春雷の轟き喧しい夜に