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仮面


「彼女が言ったんだよ、あたしはあなたのご先祖さまの生まれ変わりだって」
「マジかよ。冗談じゃなくって?」
「ああ」
「初対面なのに?」
「ああ。そう言ったんだよ」
「マジかよ」
 チェ・ゲバラの顔がプリントされた濃い萌黄色のTシャツを着たやさぐれ男が、ウォッカの入ったショットグラスに手を伸ばす。
「ショートの、セミロングの、いやロングの、うーん、ストレートだったか」
「おい、おい。大丈夫か? そんなあやふやな話に引っ掛かって」
「二十歳くらいの娘にいきなり告げられたんだよ」
 顎鬚をちょい生やした、ブルーのグラデーションが入ったアロハシャツの優男が、自嘲気味に力なくため息を吐いた。
「おまえな、三十男がそんな小娘の柔な話に乗っかってんじゃねえよ」 
「顔、姿形ははっきりしないけど、交わした会話は一言一句しっかり憶えてんだよ」
 首筋に小さな竜か蛇のタトゥーの一部が覗いている。
「なんなんだよ、なんだってんだよ」
「余命短し。……」
「マジで? それをそのまんま信じたのかよ。普通なら戯言としか受け取らないだろ」
「………………」 
「信じてんのかよ」
「あの娘にそう宣告されるちょっと前に、キス待ち顔に見えたんで、すっと彼女の薄い肩を引き寄せて、目閉じて唇を近づけ掛けた」
「えっ? なになに?」
「柔らかさじゃない、それとはほど遠い感触が伝わってきた。硬くて、凍りつくくらい冷たかった」
「………………」 
「手の甲をあてがわれてたんだよ」
 
「なにって、欲しかったんじゃ」
「違う、違う」
「てっきり」
「そうやって決めつけちゃう人、いますよね」
「………………」
「どうしてそういうことになんのか、教えてほしい」
「………………」
「疑いとか迷いとかってないんですか?」
「………………」
「思い込みですぐ行動する。サルとおんなじですよ、それって」
「ちょっと待てよ」
「決めつけないでくれますか?」
「決めつけてなんかないだろ」
「決めつけてました」
「そういう流れだったよ」
「えっ? どこがそういう流れだったっていうんですか?」
「………………」
「あたしが求めてたっていうんですか?」
「分かったよ、もういいよ。上等だよ」
 ウォッカの瓶を掴むと、荒々しくグラスに注いで一気飲みした。
   
「……仮面が欲しくなる気持ち、あたし解るよ」
「なぜそんなこと言うんだよ。止めてくれ」
「大丈夫、大丈夫。あたしは味方だから」
「俺のなにが解るってんだよ?」
「解ってるって」
「ん?」
「もう、病気。重症」
「え?」
「かわいそう。……よしよし」
「止めろ、止めろ」
「撫で、撫で」
 
 たどたどしい話し口調に、奇妙な話題ばかり。年齢を聞いた人はだれもが決まって驚く。童顔どころか、まさに幼児を思わせる顔立ちだから。その顔で、幼児が言いそうな現実離れしたことを真面目な顔をして話す。
 周りの大人たちはもう慣れっこになっていて、また不思議ちゃんのおとぎ話が始まったよという顔をして適当な受け答えをしている。それでも彼女はめげずにとつとつと呟くように、でも一言一句をしっかり刻みつけるかのように話す。紡ぎ続ける。
 気を抜いて聞き流していると、時々ドキッとするような鋭いことを口にすることがある。もしかすると仮面をかぶっているだけなのかもしれないとハッとさせられる。まるっきりの天然じゃないんじゃないかと仕切り直させられることがある。
 まさに正真正銘の不思議ちゃんだ。こちらの人間力が試されているように思えることがある。だけど会話を続けていると、考え過ぎだと思い直させてくれる繰り言と語り口調は、健在で、完璧だ。
 慣れきった人間関係のぬるま湯にどっぷり浸かってしまっていると、鈍ってしまってなにも感じなくなり、考えなくなってしまっているところがある。彼女の存在が、その鈍った感覚、感性を時々思い出させてくれるいいカンフル剤になっているという一面もあるにはある。
「高齢者や年若い者を、その外見や物言いといった上っ面の情報だけで値踏みしてはいけないよ」
「おっと、出ました。本物の本物、素の素性が」
「なに言ってるんですか?」
「もう無理、無理。騙されないよ」
「怖い……」
「仮面が欲しい気持ちは解る」
「なぜそんなこと言うんですか? 止めてください」
「大丈夫、大丈夫。味方だから」
「あたしのなにが解るって言うんですか?」
「解ってるって」
「もう……」
「素のままでいいんだよ。隠さなくったっていいんだよ」
 
「余命短しって、なんなんだよ?」
「……………」
「どういうこと?」
「そん時は完璧に理解できたように思えたんだ。すんなり受け入れられたんだ。今考えるとどうしてそういう感じになったんだか分からない。なんでご宣託受けたみたいにひれ伏しちゃったんだか、さっぱり」
「おまえ、ホント大丈夫か?」
「でもな、その日からなんだよ、毎日おんなじ夢を見るようになったのは。遥か遠くの方からこうやっておいでおいでする手が伸びてきて……」 
 
 


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