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『パラサイト 半地下の家族』感想

※ 以下、『パラサイト 半地下の家族』のネタバレを含みます。




これはTwitterのほうには何度か書いたのですが、『パラサイト 半地下の家族』について、初見時にはあまり良い印象を受けませんでした。

面白いか面白くないかで言ったら間違いなく面白かったし、編集や撮影といった面でも技術的に非常に高度なことをしているというのは素人目にさえ明らかでした。

しかしなにかこう釈然としないモヤモヤしたものが観賞後に残っていて、それは主にストーリー面について、特に前半からの期待が後半でしぼんでしまったような感覚があったのを憶えています。


モヤモヤしたまま少し時間を置き、二度目の観賞をしたところ、今度は震えるような感動がありました。
最も強く心に響いたのは中盤の洪水シーンの後、避難所となった体育館の場面です。
石を抱えている理由をギテクから問われ、

「石が僕にへばりつくんです。ついてくるんです」

と目に涙を浮かべたギウが言った瞬間、この作品が一貫して語ろうとしていたものが、察しの悪い私の心の中へスッと染み込むように自然に入ってきました。

あの石はつまり、ギウの夢なのだと。
ギウは自分の持つ夢が家族に迷惑をかけ、絶望させ、ギウ自身をも破滅させることを予期していながら、悟っていながら、どうしてもそれを捨てることができない。
絶望的な境遇であっても夢を持ち続けていることこそが、か弱く小心なギウがずっと縋ってきたものであり、支えとなっていたものであったのだと。

そのことが感覚的に、意識的に理解された瞬間、クライマックスにおいてギウの手から石が滑り落ちていく理由にも納得がいきました。

ギウが生きる作品世界において、叶わぬ夢に執着し続けるということは、ときに自身を決定的に打ちのめし、ときに最愛の家族へ死をもたらすことにもなるのだと。
そしてそれが私たちの生きる現実世界において、確かな真実の一面であるのだと、ポン・ジュノ監督はそう主張しているのです。

なんという冷徹な洞察であるのかと、本当に驚きました。
「夢や目標を持つこと」が一般的な美徳である世界に、私たちは生きています。
しかしながらそれが許されない状況が間違いなく存在するということが、本作の物語を通じて、凄絶な説得力をもって伝わってきます。

そしてその主張を言葉として発させるのではなく、石という物体に象徴させつつ、小道具として物語を展開させていくという表現力。

恥ずかしながらポン・ジュノ監督の作品をこれまで観てこなかった私は、そのような表現者が存在しているという事実、そして『パラサイト 半地下の家族』という作品にあまりにも多くの「意図」が込められていることに、心底から驚きました。


これはもっと真剣に作品を観る必要があると、腰を据えて観賞しなおし、その「意図」はどこにどれだけ込められているのかをチェックし始めました。
まあ出るわ出るわ、『パラサイト 半地下の家族』は考察サイトや動画が豊富ですが、そこから漏れているであろうものや、明らかに読み違いであると考えられるもの(つまりは解釈違いということではあります)が、かなりの量でありました。


映像作品を言語で解釈しようとすることが良いことであるかどうかには、若干の疑問もあります。
しかし少なくとも、一人の観客としての見解を他の観客と共有したり議論したりすることには、確かな意義と大きな楽しみがあると思っています。

技術面や映画史的な文脈については完全に素人ですので、あくまで作品内の物語の流れから読み取れる情報をまとめてみたのが、一連の「ストーリー解析」です。

解釈違いや意見の相違などを率直にぶつけ合えることも、私にとっては映画の楽しみの一つです。
ぜひぜひご遠慮無くコメントなどをお寄せください。

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