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「気にならない」っていいな♪

想定外の怒りの炎を続け様に浴びて
いろんな思いが 繰り返し湧いてきた。
瞑想を始めても 戻っては思考 戻ってはまた思考。
持て余して 観察を始めた。

そうするうちに はたと
私はその人の怒りをなくしたいと思っていることに気づいた。
私には不本意でも 怒りは既に起こっている。
既にあるものをなくそうとか 変えようとか思っているよ
あぁ 私は「そうあるべきではない」と思っているんだな。
そこには 巻き戻すか なかったことにしたい。
その存在をそもそも認めない姿勢があったんだ。

が 兎に角今 それは「ある」。

その存在をあると認めたら
それは自分に浴びせかけられている炎から
ただの事実になった。

快適ではないが ただの事実。
すると感情もすーっと静まった。

映画の舞台から降りたとでもいうのだろうか。
ストーリーから抜け出して見る側に移った。

また怒りを向けられると
私の中で瞬時に怒る側が全面的に正しいことになって
私の何がいけなかったのかと 右往左往し始めることにも気づいた。
これは私の来し方に由来するもの。

そして先方は先方の生きてきた経緯と事情で怒っている。
同じ舞台の上で 異なるふたつの映画が交錯して
それぞれの映画を作り演じている。

そして 私の映画を作っているのは他でもない私だ。
監督であり役者なんだ。
私は私の力で自分の映画を変えることができる

こんな時よく「そんなの 気にすることないさ」って言われて
そうしたくても 気持ちが付いてこないことがあった。

他人の映画と自分の映画。
この区別が曖昧だと 人の言動に大きく揺さぶられてしまう。

まだ舞台は続いているけれど 不思議と気にならなくなった。

本当の「関わり」はこの先に
初めて生まれることができるものなんだろうな。

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