オンラインはオフラインの代替ではないのです。

 この春からオンラインイベントと言われているのを多数受講しました。そしてこの間に復活した企業研修の講師も担当しました。そしてオンライン化した学校教育の報告も多数受けました。その結論として言えることは・・・

オンラインはオフラインの代替としか思ってない
残念な人々

 がいるということです。このたびの疫病禍で問題が新たになったのは教育設計ができず教育契約を結べない残念な人々があらわになったという事なのです。しかもこれが企業で起きた場合それは、適応課題を解けない将来性のない企業であることを露呈してしまいました。
 例えば、パワポを使ってZoomで90分(大学の講義だと)延々・・・いえ、正確に言うと10~25分以上話してしまっている。これは基礎が理解できてないという典型例。その他にも大手企業お抱えのコンサルさんが仕切った回ではオンラインに初めて移行した会合なのに「何か質問はございませんか」と言って全員を凍結させてしまうという等々(この問題は企業でオンラインだとコミュニケーションがとれない問題も根が同じなので次回以降に書きます)。

対面型集合研修は、そのまま「オンライン」には「置き換わり」ません。は常識なのです。

 一方外資系のオンラインイベントにいくと、ワンテーマ約20分の講演。それが終わると休憩10分のような構成になっているのです。なぜか

教育理論では10分以上集中力は持たない

 教育理論では10分以上集中力は続かないのです。先行研究の成果を活かして多くの大学でオンラインの講義は15分以内に分割された動画ファイルを用いています。あるいはMOOKで蓄積された知見では5〜6分が最適であるという研究もあります。但し、我が国ではこの時間は25~12分であるとも言うことができます。何故ならば、勉強には参考書より動画がいい、なぜなら2倍速で観ることができるからというのが学生の常識だからです。聞くだけの講義は、2倍速で聞いているは教育者間では常識です。そうすると30分程度までは連続しても大丈夫か?となります。まあ、アニメは15分程度毎ドラマでも30分程度毎にCMが入るようなのでそんなものでしょう。

 このことはMookでは当たり前に行われているのみならず、オンライン講義を公には配信していないICU(国際基督教大学)でも前々から周知のこととなっています。

 記憶に定着させたいのであればPowerPointは使うべきではないし、ノートは手描きがいいと指摘しました。記憶にとどめたいのであればオンライン配信は20分以内に納めるべきなのです。

 このことはこの春に驚きと共に始まったオンラインの学びでも明確にされています。今年の3月の中旬ハーバードビジネススクールから登録教員にメールで、ケース討議をオンラインに変更する講習会を始めるとの知らせがきました。そして、東海岸時間の3月18日正午に軽い顔合わせ会があり翌日に実質上の教員向け第一回講義がありそれは今でも続いています。日本での緊急事態宣言より一ヶ月ほど前のこの知らせで恥ずかしながら事の重要性を知った次第です(薄々ヤバそうという感じしか当時はなかったのです)。その講義の一つで、「運動を思いだそう。昔はとにかく辛いトレーニングを長時間やって疲労困憊になった。やった感は残ったが今日の運動科学ではこれは筋肉の発達に役にたたないどころか害をもたらす。教育も同じだ」とありました。よくある勘違いは、「では90分の内容を10分ごとに9分割すればいい」「学生が10分ごとに再生を止めて休憩すればいい」がありますが、そうではありません。教育設計そのものが異なるのです。

履修主義と修得主義は別です  

 履修主義と修得主義という概念が教育学にはあります。文部科学省曰く「我が国の小・中学校においては「履修主義」が採られている。」つまり、我が国で義務教育を受けた人は無意識のうちに履修主義で物事を判断していてその前提を疑っていないということです。これが怖い。履修主義とは、「一定年限の間,履修すればよいのであって,特に最終の合格を決める試験もなく,所定の目標を満足させるだけの履修の成果を上げることは求められていない」制度をいいます。これを会社勤めの方に置き換えて日本は履修主義というと「馬鹿を言え。会社は厳しく成果を求められているのだ。居ればいいという問題ではない。会社と学校は違う」と平然と言い放つ方がいるのですがそうでしょうか。逆のケースを考えるとどうでしょう。例えば、8時間の就業時間(昼食休憩1時間を含む)中RE値100個が定められているとして、得意技だったので9時始業で14時前には100個完成(=ノルマ達成)したので、「では本日業務終わりましたので帰宅します。」を許すのでしょうか。あるいは、そのまま同じペースで残り時間を働いた場合生産個数は200個(疲労は無視)となるので2倍の給与を払うとでも言いたいのでしょうか。成果主義とかジョブ型雇用とかいいながら。

 一方「修得主義」とは,文科省によると「当初は成績の評価・評定と深く関係付けられていた用語で,児童生徒は,所定の教育課程を履修して,目標に関し,一定の成果を上げて単位を修得することが必要とする考え方を指すものである。我が国の初等中等教育においても,高等学校については,単位制が採用されており,「修得主義」の原理に立つものとされている。」この場合出席や滞在時間はまったく関係ありません。会社で採用するとできあがれば昼で帰ってもかまわないということです。

 この二つは、PCやスマホに例えるとOSの違いであってアプリの違いではないのです。そして、オンライン化(リモートワークも含む)とはこの違いを認識した上で設計しないと成り立たないのですが。

リモートパワハラはなぜ起きた?

 「常時カメラオン、PC操作を監視する「リモート上司」は有能?」は弁護士ドットコムニュースですが、NHKでは「うちの上司、テレワーク入った人に『仕事してるかわからないからずっとカメラ繋げとけ』って言ってて笑っちゃったよ どんだけ信頼してないんだ」「コロナ後、テレワークで家のPCで仕事をしてるが、上司がPCのカメラで常に監視してて、普通の時より何倍も疲れる」の意見と共に「東京海上日動火災保険が今月、発売した保険では、テレワークでのハラスメントで社員から訴えられた際に備え、精神的苦痛や雇用契約上の権利侵害で支払う賠償の費用などをカバー。」という報道まで。これは、上記概念ではその期間居ることに重きを置いているので履修主義に基づく正当性としてサボってないかカメラで監視とかPCのスクリーンショットを定期的に撮って自動送信とか、キーボードマウスの動きを監視とかの理由は居ることが大事であるという基本理念=OS故なのです。無遅刻無欠勤、みんなが帰るまで一緒に残業は履修主義の考え方にもとづくものなのです。

新入社員研修にあきれかえる新入社員

 実はこの問題疫病禍以前からオフラインで起きていました。新入社員研修と称して行われる一方的な講義について「なぜ録画配信ではないのか?」という不満が。録画なら大事なところは巻き戻して何度も確認できる。倍速でみれば効率がいいのになぜ非効率な方法をとるのか。会社では効率が重要ではないのか。これでは集まっている意味がないと。一方開催している人事の頭脳は履修主義。とにかくその時間を一緒にみんなと過ごすことが大事と。

オンラインで問われるのは場の設計

 このような問題の根底に教育設計理論に基づいた場の設計がされていないことが問題の根本です。オンラインで○○時~というのに接続してみると、画面共有でPowerPointを用いて60分とか講義講演をおこなう。これでは相互の時間を奪い合って同じ時間帯に人を縛り付ける必要はありません。好きな時間にオンデマンドで観ればいいのですから。昭和の時代に家庭用録画装置がない時代にはテレビの放送時間に機械の前にいなければならない。古い時代の残滓です。例えば先ほどの外資系会社のオンラインイベントは公開時に同期配信で観たければ指定時間に行かないと観ることができませんが、それ以降はオンデマンドでいつでも観ることができようになっています。

時と場の設計

 上記のように整理してみました。他社都合時間を同期、自己都合時間を非同期と読み替えてもらってもかまいません。自己都合・他者都合としているのは、後ほどUp Loadする予定の記事の関係です。

 大事なことは、集めるならその教育効果を厳しく問われるということです。このことは、疫病禍が緩和して対面講義を再開するときに厳しく問われることになるでしょう。なぜなら、一方的な講義なら自分が最もいいコンディションの時間帯に倍速で観ればすむことを交通費と学習ではない時間を費やして登校してやっていることを今回のオンライン化でみんな学んだのですから。この事は不可逆的であると私は思います。

今回は、オンラインとオフラインの違いの基礎の話をしました。

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