まさかPCで講義録とってないよね。

 前回パワポは時代遅れという話を書いたら、「では何をつかうのか?」という質問が。それは、LHCのように黒板なのです。これには深い理由=ちゃんと学習効果として記憶に定着するからなのです。理論の説明は横に置いておき有名どころの教育を観てもらった方が手っ取り早いかと思います。
世界で有名なカーンアカデミーも日本で有名なスタディサプリもホワイトボードですらなく、チョークで板書なのです。

 カーンアカデミーだけではありません。かの有名なスタディサプリも。

大学の講義や会議でPCでノートとってないよね。

 米国では大学生に教室でPCの使用を禁止しているのは周知の通りです。その理由としては、「考える時間が奪われるからで、コロラド大学ボールダー校のダイアン・シーバー准教授(人文科学)も、授業に身が入らない学生たちが気になり、教室でノートPCを使っている学生と使っていない学生の試験の成績を比べてみた。その結果、使用組の成績は不使用組より平均11%低いことが分かり、シーバーは学生たちにパソコンの使用について再考を求めた。」等の例があります。

 その他にも、「「講義録」をとっても意味がないからのみならず、視角に入ることにより周囲にいる受講生の集中を妨げるという公害問題もある」

学習とは作業ではない

 つまり、学習とは作業ではない。いかに理解し、いかに記憶に定着させるのかが学習設計の根本なのです。講義録はNYT報道の通り「脳内にとどまって処理されることなく、キーボードを打つ指へとそのまま流れていってしまう。のか、手書きは速度が多いので講義内容を脳内で要約して記録することによる定着への一歩が踏み出されているのか」なのです。

教育は設計と契約時代になっているのです。

 聞き手を思考停止させてその場を切り抜ける時代は終わりました。教育設計と教育契約が厳しく問われる時代なのです。

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