「花屋日記」40. そして運命を見守る者は。
やがてパトカーが到着した。
警察の方が調べてくださったところ、おじいさんは何駅も先の病院から、何キロも徘徊していた人だということが分かった。おそらく認知症なのだろう。
「怪我もしているし、病院に送り届けます」
ということになり、おじいさんはパトカーに乗せられた。不安そうな表情のおじいさんに
「大丈夫ですよ、怪我の手当てをしてもらうためですから。また元気になったらお会いしましょうね!」
と言ったら、痩せた右手を上げて「ありがとうね」と微笑んでくれた。私たちはそれを見て、やっと少しだけ安堵した。
あの方が話していた「妻」や「息子」の存在が実在するのか分からなかったし、この辺りにあったという「家」についてもどこまでが本当のことなのか判断ができなかったが、とにかくこれで安全な場所に戻れるのだろう。おじいさんの額の傷には、いつの間にか誰かの絆創膏が貼られていた。
そのパトカーが道の角を曲がって見えなくなると、さっきまで手伝ってくれた女性が振り向いて
「じゃあ…解散ですね!」
と言った。私たちはそれでちょっと笑って、お互いに礼を言って別れた。知らない者同士、妙な連帯感が生まれていたのがおかしかった。
そして私はやっと、自分がどこかへ放り出した芍薬のアレンジメントのことを思い出した。辺りを見回したところ、近隣にお住いのおばあさんが
「お花が可哀想だから、雨に濡れないようにずっと見てたの」
と言って、私に手招きした。小雨が降り始めた中、芍薬に傘を差しかけてくれている。なんて優しい方だろうか。
「わざわざすみません! 放っておいてくださってもよろしかったのに…」
「いいえ、だってみなさん必死で人助けをしていたんだもの。私も何か役に立ちたかったのよ」
そうしてほぼ1時間ぶりに「サラ・ベルナール」を見たとき、私は不思議な感覚に襲われた。花の変化を、命の先を、時間を流れを、なんとか読み取ろうと私は必死に努めていた。でももしかしたら逆なのかもしれない。そんなものは人間に理解することなどとてもできなくて、ひょっとしたら花が私たちを、世界を、見守ってくれているのではないのだろうか。
おばあさんから芍薬を受け取ったとき、蕾はいつのまにか少しほころんでいた。
「ほら、運命なんて予想できないでしょう?」
と劇場の女帝にウィンクされたみたいだった。
そうだ、生き物が生き物と向き合っているんだ。自分なんかに何かが「分かる」わけがない。花をコントロールしようだなんて、少しでも驕ることなかれ。そしてだからこそ、目の前で起きている命の変化に、私は真摯に向き合わねばならないのだ。
私は優しい小雨に打たれながらそんなことを考えた。あのおじいさんの背中に触れた時のリアルな体温と、どこか寂しげな笑顔を思い出しながら。
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