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「花屋日記」26. あなたに見せたい花だった。

 小さな店なので、お客様とのコミュニケーションの積み重ねからリピーターを作ることが大切なポイントだと、私は思っていた。今回はそれが裏目に出てしまったのだろう。私たちは花を売るサービス業なのであって、お客様に恋されている場合ではないのである。シノダ様は常連客だ。きちんとお付き合いはお断りしつつ、お買い物は継続してもらえる形に持っていかなければならなかった。なのに私の口からとっさに出た言葉は
「すみません、あの、そういうつもりではなかったんです…」
という、そのまんまな一言で、シノダ様はこの世の終わりみたいな顔をされた。
 もともと繊細で内向的な方なのに、思いきり傷つけるような結果になってしまい、私はどこまでも落ちこんだ。もちろんその後、シノダ様のご来店は途切れた。

「そういえば、あの詩人みたいな雰囲気のお兄さん、最近来られないね」
と店長に言われたとき
「ええ、シノダ様ですよね…おすすめしたい花、いっぱいあるんですけどね…」
と、私は歯切れの悪い答え方をした。ちょうどグロリオサが入荷している。彼のペン画にぴったりの気がした。でもご連絡するわけにはいかない。私はこういう時、どこまでも不器用だ。

 それから何日か経ったある晩、閉店間際に水場の処理をしていると、外からお客様の声がした。
「すみません、もう閉店でオーダーはお受けできないんですが…」
と言いながら表に出て行くと、なんとシノダ様が立っていらした。仕事帰りなのか、珍しく大きなカバンを抱えている。
「あ、どうも…お久しぶりです」
びっくりしながらご挨拶すると、彼は伏せ目がちに
「あの、迷惑でないのなら受け取ってほしいものがあって…こないだここで買った花を描いたから」
と言ってカバンの中から額装された絵を取り出された。そこには、華やかな曲線を見せるグロリオサがどこまでも優雅に描かれていた。
「えっ、ご来店いただいていたんですか? 私、知らなくて…」
「うん、実はしばらくは別の花屋に浮気してたんだけど、こないだ通りかかった時にこの花を見かけて、カイリさんも好きだろうなと思って…」
「はい、実はシノダ様に描いていただきたいと思っていた花でした」

 私はその絵を大切に受け取った。彼なりのけじめなのかもしれないし、お別れのプレゼントなのかもしれない。それでも私は嬉しく思った。
「ありがとうございます。家に飾りますね」
「うん、ありがとう。じゃあ...元気でね」
 シノダ様はそう静かに言って帰っていかれた。胸が痛んだ。いろんなことを後悔した。
 でもその絵は、彼と私の間にあった何かしらの絆を象徴しているようで、私はその絵を見るたびにどこかあたたかい気持ちにもなれたのだった。

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