大国から独立した国を知る。人のやさしさを知る。(フィンランド / エストニア旅行記 その4)
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7月16日(タリン)
朝の5時起床。日帰りでエストニアのタリンへ。1人で行く予定だったが、同じホステルに泊まっていた海外放浪エンジニア兄さんと一緒に行こうと約束していた。
このとき私はすっかりキックボードにハマっていたので、『キックボードで行きましょう!』と朝から無理やり(?)フェリー乗り場へ駆けこんだ。
タリンへは、ヘルシンキからフェリーで2時間。アプリでチケットを取り、オンラインチェックインさえすればスムーズに乗ることができる。空港のような綺麗さと広さ。フェリーの中も椅子がたくさんあり、いろんなお店がずらり。快適にタリンへ到着。
『まるでおとぎ話の世界にいるような雰囲気の街並みです』とだけ聞いていたタリンだが、たしかに想像以上に綺麗で、この旅の中で1番写真を撮った。
だがフィンランドとは違い、複雑な歴史を持つ場所にいるなあ、と頭がぼんやりした。(フィンランドも複雑な歴史があるが)
何百年も変わらない、年季の入った建物。ドイツやロシアに支配されていたとき、これらの建物たちは何を思っていたのだろうか?閉鎖中のロシア大使館には、街並みに似合わない『STOP WAR』のメッセージと惨い写真が貼られている。これらの貼り紙は、年季の入った建物と同じように何百年も残すのだろうか?
フィンランドもエストニアも、大国から独立した国である。必死に戦って国と自由を守ってきた。
日本では習わない、味わえないこの感覚を少しでも知れたことが、インスタ映えする写真を撮ることよりも大事だったんだと思う。
ヘルシンキ中央駅まで帰ってきた。バス停近くにミリタリー服を着た若い男性が多くいる。中には女性もいる。ある女性は私服の男性とハグをしてバイバイと手を振って別れていた。ある男性は階段で私服の女性とおしゃべりしていた。みな学生だろうか。
調べてみると、フィンランド国防大学があるらしい。もしかすると、そこの学生なのかもしれない。バス停に並ぶ学生らしき人たちを見る。
ついでに、バイデン大統領が来たあの日に出会ったミリタリーポリスも思い出す。脳内で『One more time, One more chance』が流れるが、もちろん向いのホームにも路地裏の窓にもいない。
この人たちが戦争に行く日がきませんように。
7月17日(ヘルシンキ→タンペレ)
海外放浪エンジニア兄さんも、私も、この日がホステルのチェックアウト日。彼の次の行き先はスウェーデンだそうで、これからヨーロッパをいろいろと巡るそう。
思えば彼から、世界旅行のことはもちろん、私が疑問に思っていたフリーランスのこともいろいろ聞けた。ヘルシンキで出会えたのが本当に奇跡だと思う。またどこか別の国で会えることを願ってお別れした。
私はヘルシンキからタンペレという街へ向かうため、VRという特急列車に乗った。事前にアプリからチケットを購入しており、座席も指定済み。時間やホームもわかりやすく記載されていたため、スムーズに乗車できた。しかし、進行方向とは逆向きの席だった(アプリには進行方向と同じ向きの座席を指定したのに!!)。それ以外は本当に神みたいなアプリなので、VRを利用する方はぜひアプリのインストールをお勧めしたい。
昼過ぎにタンペレに到着。ヘルシンキより寒い。とりあえず近くのコインランドリーへ行く。使い方はだいたい日本と一緒だが、支払いする場所がわからず困っていたところ、イスに座っていた男性に『Do you need help?』と声をかけられる。『Umm…pay…』と声を漏らすとすぐに支払い場所を教えてくださった。セルフレジみたいな専用機械に洗濯機の番号のボタンを押して、支払いをする形だった。
旅の疲れか、ホテルに戻ると部屋に鍵を忘れていたことに気づく。ホステルの人になんとか英語でヘルプを求めて助けてもらえた。がしかし、夜にもう一度忘れてしまった。次は同じ部屋だった女性に助けてもらえた。ドミドリー部屋だったことと、その女性が外にいたことが幸運だった。
旅の後半につれて思う。いろんな人のやさしさで私は今ここにいれていることを。
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