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note多様性

どっちで書こうかなと悩んだ
勢いに任せた音楽に心を乗せて書くか
それともしっぽりした音楽に心を乗せて書くか

後者にした。
特に意味はない

noteは寛容なサイトだと思う
広告一つ記事につかないのは
なかなかに素敵すぎるサイトだと思う

さてnoteの批判になるかなこれ(笑)
批判は編集部というよりオススメ
ここには読める記事は沢山あるけどさ

なんかPTAが好きなんだよな
肩書のある人の真面目な記事に
オススメがつきやすくてさ

おさかなを咥えたどら猫を
追いかけるような主婦の日常は
オススメされにくい

まぁそんな主婦も今時みないけど
昔もいなかったと思うけどな
要するにアンチ長谷川町子的だ(笑)
(勝手に言っている)

勝手に言ってるからね

だけど読める記事は日常の中のちょっとした
気づきや面白エピソードにあるのに
PTAのお祭り情報や
持ち物持参の記事ばかりオススメされる
そんな気がしているんだ

まぁオススメにされない
俺の不満にすぎないからこれ(笑)

ふと思うことがある
協調性は大事だと思う
学校で教える協調性は
誰にとって都合がいいのかな?

確かに面倒臭い子供は
管理する側としては大変だ

管理者の責任が問われる社会は
PTAだけがつくりだしたことじゃないから
全ての人に関係している社会

餅つき大会は軒並み中止されて
回転ジャングルジムは危ないからと
まだ使えるのに撤去されるとき

誰が一番安全なのか?
それは訴えられたくなった
安堵した大人達にとって安全なんだ

そういうことが国をして
弱らしめている
そんな気がしているんだよね

noteの目的はニューヨークのような
スタイルだと読んだことがある
古き良きアメリカの雑多感だろうか

異なるアーティストに溢れて
異なるクリエイターに溢れて
自由なスタイルというのだろうか

まぁアダルトを禁止している時点で
大分寄せているなという感じはあるけど
それはいいとしてもさ

どうしてこうPTAなのか?
安全や安心に傾けば
想像力は失われて冒険を忘れた子供たちが
できてしまう

大人の役割ってなんだろうか?
ふとそういう事を想うんだよね

器量ってなんだろうか?

はみ出す子供を
はみ出さないようにすることじゃない
はみ出す子供をどうにかしかりつけて
社会と迎合することに導いて
あげることじゃないかな
口で言う程簡単なことじゃない

でもやっぱり増えたルールの数のだけ
弱くなることもある

例を出すならそれは今の日本じゃないかな

まぁ俺の不満は
そういう気付きを歌う俺のnoteを
note側が見向きもしてくれないこと(笑)

礼儀ならわきまえる
人のことなら愛している
何より、この国、同胞を想うんだ

自分一人が幸せになっても意味がない
みんなで楽しく行きたい
はみ出したものの心にアートを見つけるならば
日本はかつての輝きを取り戻せる気がするだ

ただのSNS
ただの一媒体
だけど志は高くあって欲しいな

まるで志が低いみたいないいようだな(笑)
いつの間にか迎合しないで下さいよ

昔はしらないけど常識にとらわれず
響くそのnoteをオススメしはじめたとき
小さな世界は動き出す

俺の事は200くらい
オススメしてくれるだけでいい
ここnoteには読まれもしないけど
素敵なクリエイター、素敵な記事が多い

オススメになっても別に
いいこともないですよといわれるけどさ
それはオススメになってるから
言えるんだよこんにゃろう(笑)

俺だって毎回
心を届けている

器量とは

はみ出す個性どう収めるかだと思うんだよ
それこそニューヨークの雑多感に
ふさわしいと思う

俺はこのnoteは凄く好きだ
俺が愛したnoteならば器量を求めたい

今日も俺は心を拙いながらも
必死に届けてやるさ

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