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SNSはもう心の時代だ

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂けたら幸いです。

twitterで親しげに話しかけてこられたとき
「馴れ馴れしいな」
と思えばそれは見知った人だから
馴れ馴れしくてよかったけど

「なんだ〇〇さんか!」と間抜けな感覚

例えばnoteで仲良くなった
あなたのお仲間さんが辞める時
寂しさが付きまとう事はあるだろう

だけど何かの媒体では必ずSNSは始めるよ
1度SNSを始めた人はどんな事を言おうと
どこかでまた再開する

滑稽だと思うのはtwitterで繋がっているのに
あるいはメールアドレスを知っているのに
noteを辞める時寂しく思う事

なんだろうか
卒業に似た感覚なのだろうか

しかしSNSはもう終わらない
いくつも媒体に同時に登録しているとき
個々がそれぞれなあなたではなく
全てが1つのあなたに集約される

というかいくつもの媒体で
アイコンと名前を変える人は
若干時代にはそぐわないかなと思う

少し前の時代ならば
現状のアカウントを捨てて
別の名前になり別人として
リトライができたけど

もう今は無理かな
それは物理的に無理なのではなくて
そういうことをすると地縛霊のような話で

自死した場所でその自死の瞬間を
永遠にループする気の毒な霊魂のようなもの

つまりはサムネイルが
風景だろうと名前が本名と離れてようと
それがあなただということ

それが心の時代だと思う
フェイスブックは時代にはそぐわない
見知ったマウントを取る隣人が嫌だから
SNSの世界に身を投じたのに
魑魅魍魎の様に連絡してくる隣人はうざい

まぁそういう言い方をしないでも
心と現実を切りはなせない
リアルな世界の連絡手段の位置づけかな
LINEもそれに近いかも

一方
twitterとかInstagramにnoteのような
媒体は心の近い人と交友ができたりする

このリアルと切り離された世界に心があり
時代は心の時代と言われている今
まさに言い得て妙だなと思う

誰とつるむかで
弱くなる心もあれば
強くなる心もある

ふいに

相談できる相手がSNSにいるときに
所詮はネットの世界の人
と言う虚しくなる感覚はどこかで常にあった

それがなくなっていくような時代
俺はアイコンを統一した
twitterでもInstagramでもアメバでも
ここnoteでもYOUTUBEを上げる俺も
スタンドエフエムも全部ひっくるめて
リアルと切り離されているけど俺

多分その癖や傾向など
きっとアカウントをすっぱりかえても
また見つけてくれる仲間がいる

別人になる事は不可能だし
逆に言うとリアルな心で勝負する
そんな世界になりつつある気がするんだよね
自分を偽る人は時代から置いていかれる
もう別人になれる時代は終わった
マウントが効く時代も終わった

さむいんだよね
誰かの記事に必死に自分が優れてる
みたいなコメントする奴って

そしてこれだけ偏向報道がされた国で
情報には価値がなく
誰が発した情報に価値が置かれる今
心が歩んだ道のりしかなくなるんだ

仕事とも結びつくこともあるだろう
言葉はリアルな思考を一時的に超えても
けして、今あるあなたを越えない
綺麗事だけなら胡散臭いと見抜かれてしまう

最後に1つ
私はクリエイティブな事ができない
と嘆く人がいるのだけど

それは正解じゃない
誰かにイイネやスキをつづけること
それはもうクリエイティブなんだよね
色んな媒体で誰かにイイネを
つけることだけでも意識される人になる

読み専門の人は
知られてないわけないじゃない

イイネやスキをつけることが
クリエティブなんだよね

センスがあるとかないとか
そういうものは人として器量の先にある
読み専門でイイネばかりの人は
相当な器量だと思う

知って欲しくて構って欲しい人に対して
一番刺さる人なのだから

心の時代始まる


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