フィルムカメラに嫌われている
初めてフィルムカメラを使ったのは、大学1回生だっただろうか?
カメラで写真を撮り始めて少ししたころ、フィルムに漠然とした憧れを抱いて、「写ルンです」を購入した。
自宅の周りの景色を撮り、撮影のために大阪の街をを歩いた
確かスマホが登場したのは、私が小学校4年生ごろ…だったように思う。
私にとって撮れた写真がすぐに見れないこと、いちいち見るのにお金も時間もかかること、どれも新鮮で、デジカメで撮った写真と比較して面白がった。
現像された写真を見て特別感動したかというと、そうとも言えるしそうでないとも言える。ただ、どんなものが撮れたのかわからないから、早く見たくて撮りたくなる。でも1枚1枚が貴重だから勿体なくてなかなか撮れない。
待った分、何だか特別のもののように感じられた。
それでも随分お金のかかる方法だし、私の家には幸い性能の良いカメラがあったので、しばらくフィルムカメラを使うことも無かった。
しかし、去年の春…大学3回生になった春、再びフィルムカメラを手に取ることになった。
自分のものではなく、借り物である。それも他人の実家に眠っていたものだ。「壊れているかもしれないけど…」とのことだったが、レトロな見た目に心が踊る。カメラ好きだと知られていたので、有難く貸していただけることとなった。
当然フィルムの付け方を知らないので、教えてもらいながら装填した。
季節は春。その時は京都に引っ越していた。
古都には満開の桜が溢れ、陽光の差し込む暖かい道を歩いた。ファインダー越しに見た世界は全て、優しい桜色に包まれていた。
1枚1枚丁寧に構図を考え、大切にフィルムを使い切った。
無知な私が異変に気付いたのは、巻き取る時だった。
カラカラカラ…
巻き取っているのに全く重みが無い。うまく装填できなかったんじゃないか、そう気づいたけれども諦めきれず、現像に持っていくことにした。
案の定、何も映っていなかった。
私が見た春は、そのまま思い出から現れることなく、桜は全て散ってしまった。
かなりショックを受けたが、初めてだったし、仕方がない。もう一度カメラを借りて、出かけることにした。
その時に撮った写真である。
そう、見事に失敗している。
撮ったものがわかるものを選んで載せているわけで、実際にはほとんど真っ黒だった。露出計みたいな名前だっただろうか、もうどうでもよくなって忘れてしまったが、何かが壊れていたようで、そのカメラは既にうまく撮れない状態だった。フィルムがうまく装填できなかったせいで、一度目に気が付かなかった。
申し訳なさそうに謝られたが、古いので仕方がない。その後、壊れていない(と確認できた)1台で数枚撮らせてもらった。
去年の京都はあり得ないほど暑く、ひまわり畑に行くと全て枯れていた。枯れた花を愛でる趣味のある私は、それはそれでよかろうと思ったが、あまりの暑さにすぐ退散してしまった。
しかし、今回こそはまともに映ったはずだ…
……何をミスしたのか忘れてしまったが、敢行して、絶妙なものが仕上がった。味と言えば味で、失敗と言えば失敗だ。でも良いんです。一部分でも、ちゃんと映ってくれたから。
そんな感じで苦い思い出ばかりだったが、借りているうちにフィルムへの憧れが再燃したのか。使い捨てのものならうまく行くだろうと思い、その夏にはKodakの使い捨てフィルムカメラを購入した。
旅先の鳥取にて
そう、ほとんどというか、1枚を除くすべての写真がぶれていた。短期間で、フィルムカメラでこんなにも多くの失敗をする人は、さすがにあまりいないんじゃないかな…数枚なら、これも味、とどや顔だってできるだろうけれど。
Kodakの使い捨てフィルムカメラは、シャッターボタンがとても堅い。不注意な私は、押す反動であらゆる写真をブレブレにしてしまった。
そんな感じで、絶望的にフィルムカメラとの相性が悪い。写ルンです以外のカメラで、まともに撮れたことが無いのだ。
だからだろうか?一度も見ることが出来ていないという悔しさが、私の憧れを掻き立てるのかもしれない。撮ることが出来たら、どんな未来が待っているのか
フィルムカメラの映す色合いに好ましさを感じていたし、人の作例を見て憧れもあった。それでもこれだけ失敗して、懲り懲りという気持ちもあったのだが…それでもそんな理性的な考えは忘れたのか、買ってしまったのである。
しかも使い捨てではない。Olympus Trip35を購入した。
使い捨てカメラよりも性能は良いが、多くの設定が自動で、ピントを目測で合わせて撮るだけ。良いなと思ったものをすぐに撮れるカメラが欲しかったし、手の届かない値段でもない。ネットにはカメラ工房にてボディを黄色や青にリメイクした可愛らしい商品も販売されており、1番気に入ったレモンイエローを買うことにした。
可愛らしい見た目に持ち運びのしやすいサイズ感。ネットで作例を調べたりしながら、商品の到着を今か今かと待った。
そして届いたのがこちら
「素敵なカメラライフとなりますように」というメッセージ付きで丁寧に包装されている。作ってくれた人の存在が肌で感じられて、心が温かくなった。
ヨドバシカメラに行ってフィルムを買い、カメラを首から下げられるようにストラップを買い、そのまま仕舞うのは嫌なのでカバーを買った。
今度は失敗しないように、と何度も確かめながら、FUJIFILMのフィルムを入れる。Kodakも買ったので、また比較でもしよう…と考えていた。
届いてすぐに遊びの約束があったので、これ幸いと持って行った。
友達と飲んだかわいいティーカップ
大量の鳩たち
浜辺で波とにらめっこをする友人
咲き誇る梅の花
地面に落ちてしまった椿
これは何メートルくらいかな…と目測でピントを調整し、ファインダーとレンズのずれはこれくらいかな…と感覚で構図を考えた。どんなものが撮れるかな、うまく撮れていたらよいなあ…早く見たいな
それは、わくわくしながら自転車を走らせ、渡月橋に着いたときのことである。
首に下げていたカメラを持ち上げると、レンズの部分がグラグラと揺れたのだ。
「え!」
届いたときには何もなかったのに。
その日は少し、霰が降っていたからかもしれない。霰は少し降っては止み、空はずっと青く、京都らしい気まぐれな1日だった。土砂降りではなかったし、マフラーで守っていたつもりだった。まさかこれくらいでも駄目だったのだろうか。
家に帰り、工房にメールを送った。保証期間があったので、送り返して修理を頼もうと考えた。
まだフィルムが残っていたのでそれについて聞くと、「勿体ないのでレンズをテープで固定して撮影したらどうか」と返事にはあった。
「レンズがグラグラする」と書いていたので、そのような返事だったのかもしれない。確かにその手があるかと、納得して実行したのは私だ。
テープで固定しても、縦にするとグラグラ取れそうだったが、慎重に扱って何枚か撮った。
そして今日の朝、残ったフィルムを使い切ろうと思い、鞄にカメラを入れて鴨川まで出かけた。
河原に到着して鞄を見ると、カメラのレンズは完全に落ちる寸前になっていた。カバーに包んでいたので油断してしまったのだ。鞄の中で縦になったカメラは、レンズがその自重で落ちてしまったのである。レンズとボディを繋ぐのはもはや1本の細い線だけで、もう撮るのは無理だと思われた。
河原のベンチでフィルムを巻き取りながら、隙間から、とっくに光が入っているんじゃないか…とふと気づいた。逆に今まで大丈夫だと信じ込んでいたことがおかしいのかもしれない。
それでも少しは何かあるかもしれない。そう思ってカメラのキタムラに向かった。
フィルムを預け、近くのマクドナルドで時間を潰した。1時間半後に店に行くと、店員さんは浮かない顔で私のフィルムを取り出した。
「結構長い間光が当たっていたみたいで…像を結ばなかったんです」
心臓がストンと落ちるような感覚がした。「ああ、まあそうかもしれないと思っていたので…」と店員さんに言いながら、私のあの時間は何だったんだろうと思った。作例を見ながらワクワクしていた時間、ファインダーを見て真剣に考えた時間、撮れた写真についてあれこれ妄想していた時間
「現像したら送るわ!」と言っていたのに、私が撮ったあの楽しい時間を見返すことはできない。こうなるならスマホでもっと撮ればよかったなんて、そんなことは思いたくもなかった。
初めてでうまくできなかったとか、カメラが古くてそもそも使えなかったとかでもない。確かにリメイク品だけれど、これは買ったばかりの新品だ。少し不注意もあったかもしれないけど、またこんなことになるなんて、よっぽどツイていないんじゃないか。
そもそもフィルムで全然うまくいった思い出もないのに、一体なぜこんなところにお金や時間をかけてしまったんだろう…私はただ少し、憧れていただけなんだ。
もっと丈夫なものを作っていてくれよ、一体あのアドバイスは何なんだと、工房に対して怒りが湧くと同時に、古いものだし、仕方のない面もあるかもしれないと宥める自分もいる。完璧な仕事なんて、誰にもできないのだから。それにしても、知識が不足しているとはいえ、こんなにも失敗しかしないなんて、本当にフィルムカメラに嫌われているのかもしれない。
もう返品してしまおうかとも思った。この工房に修理をしてもらったところで信用できないとも思った。
でももう一度だけ――最後のチャンスにするから、だから私のフィルムに像を結んでほしいんだ
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