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【誕生〜敗戦とはいうけれど、何に負けたというコトなのか⁉️】



76年前の今日、
1つの新しい国が誕生した、
と、
言えなくもない。
 
 
様々な想いがあっただろう。
 
 
実際のところは、
自分では経験していないので、
よく分からない。
 
 
遺された情報は、
あてにならない。
 
残された人々の、
心の声までは、
いつも遺らない。
 
 
肉声もあてにできない。
 
 
ヒトは、
当たり前のように、
ウソをつく。
 
それは、
悪いコトばかりでもない。
 
感情の生きモノであるヒトの、
もしかしたら、
最大の特技かもしれない。
 
 
なので、
当時を経験していない私は、
なんとなく想像してみる。
 
はたして、
どんな気持ちで、
ラジオから流れる、
神の声を聴いたのだろう。
 
 
数年以上に渡る
戦時下での生活が、
いよいよ終わるのだ。
 
 
悔しかったヒトも、
悲しかったヒトも、
コワかったヒトも、
嬉しかったヒトも、
それぞれ、
いたんじゃないかな。
 
 
受け止め方も、
反応の仕方も、
ヒトそれぞれ。
 
 
それを一括りにして、
敗戦というのは、
簡単だけど、
乱暴すぎる。
 
 
新しい生活の始まり、
と、
捉えるコトだって、
できなくはない。
 
 
つまり、
新しい国の始まり、
神のいない国の始まり、
と、
考えるコトだって、
できる。
 
 
ヒトの感じ方や考え方、
モノの見方や捉え方は、
自由だ。
 
 
強制されるコトも、
自粛を強要されるコトも、
ない、
はずだ。
 
 
 
私は、
3年前、
三人目の、
ヒトの誕生に立ち会った。
 
 
一人目や二人目より、
だいぶ役割が少なかった。
 
 
そこは病院だったから、
私の出番は殆どなかった。
 
 
それでも、
やはり、
ヒトの誕生を、
目の当たりにした、
高揚感や、
その裏にある安堵感、
幸福感は、
大きかったように、
覚えている。
 
逆に、
実際的な役割がなかったコトで、
より冷静に、
客観的に、
その時の感情を、
覚えているのかもしれない。
 
 
 
とはいえ、
男は、
いつだって、
他人事になってしまう。
 
いくら寄り添っていても、
いくら想いを共有しても、
いくら話を聴いていても、
自分自身を、
捧げてはいない。
 
自分の肉体には、
全く傷も残らないし、
当たり前だけど、
痛みはない。
 
それまでの9か月ほどの、
心臓を二つ抱えてる、
その重みも、
負担も、
何もかも、
身体では感じられない。
 
 
仕方ないコトだけど、
不公平に過ぎる。
 
 
私だって、
体験したいのだ。
 
 
我が子を、
身に宿すという経験を、
心の底から、
望んでいた。
 
そして、
今も、
望んでいる。
 
 
絶対に手に入らないモノは、
いつか手に入れたいモノに。
 
 
私が、
次に、
別の形で誕生したならば、
その時は、
絶対に女性で、
お願いしたい。
 
 
だからと言って、
私が男性性を、
最大限に享受したか、
と問われても、
そうです、
とは答えられない。
 
それでも、
これまで、
40数年、
男性を生きてきた。
 
 
やはり、
もし可能なら、
女性を自ら経験してみたいし、
女性の、
女性ゆえの苦しみや辛さを、
私は知るコトを求めている。
 
そして、
男性にはできない、
女性にしかできない、
妊娠や出産を、
自らの肉体と精神で、
感じてみたい、
と、
願うのは、
私にとっては、
至極当然なコトだ。
 
 
 
神のいた日本と、
神のいなくなった日本、
それぞれを体験したヒトは、
もう
殆ど残っていない。
 
残っていても、
あまりにも幼すぎる頃の、
遠すぎる記憶だ。
 
国の生まれ変わりを、
体験するコトは、
はたして、
どんなモノだろう。
 
 
この秋に、
私たちには、
少しだけチャンスがある。
 
 
76年前のような、
全くの新しい国に、
全く変わってしまう、
それほどの誕生でないけれど、
私たちのこれからの生活を、
もしかしたら、
大きく変える誕生を、
自分たちの手で、
実現できるかもしれない。
 
 
そうは思いませんか⁉️


最大の課題は、
その担い手が、
全く見当たらないコト。

 
 
 
それでは。
 
 
 
【いつか、また、どこかで】

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