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ずっとモヤモヤしていたことを書き殴る

2022年4月9日(土)、私が参加していてるPOOLOというコミュニティで、高井先生の講義がめちゃくちゃ刺さった。

旅を賛美してきた先生が、「それでもやっぱり、旅は人を豊かにするよね。」と結論づけず、戸惑いをそのまま"戸惑い"として講義して下さった。
それがとても新鮮で、上手く言葉で表せないんだけど、グッときた。

この感情をずっとnoteに残そうと思いつつ、1ヶ月半過ぎてしまった。
その時の内容と感情を忘れないように書き殴ろうと思う。

先生が私たちに開示して下さって、戸惑いは3つだ。

戸惑い①「旅人バッシング」

旅ができるようになったのは近代になってからで、海外旅行が自由にできるようになったのは1964年のことである。
「自由に旅をする」ということは、権利として創り上げてきたのである。

それが、コロナ禍で旅は不要不急とされた。その中で、旅をする人に対して非難が飛び交い、旅はしにくくなった。

確かに、「今、無理に旅する必要はないよね。」と先生自身思いながら違和感は抱えている。

戸惑い②旅の特権性

コロナ期に入ってから旅ができることは特権的なことだと気がついた。

基礎疾患を持っている方や、高齢者、医療従事者や、旅を後押しする旅行会社の方など、旅に行きたくても行けない人がでてきた。

動ける人と動けない人の配分の差が生まれた。
だが、そもそも旅行はすごく特権的なものだったのではないかと、戸惑っている。

戸惑い③無力感

ロシアのウクライナ侵攻によって、「旅をすることで自分が豊かになり、さらに世界を豊かにするためには?」という思考回路をどのように伝えたら良いかわからない。
本当に「旅で世界は良くなるのだろうか?」という、無力感がある。

この戸惑いの中でも、個人的には②旅の特権性について考えて下さっていることに感動した。

私自身、コロナ禍に看護師として大学病院に就職し、とてつもない行動制限をされてきた。
緊急事態宣言が明け、世間的には旅ができるようになっても、自分はどこにも行けなかったし、誰とも食事すら許されなかった。

みんな「大変だね。」で終わってしまう。
旅を広める立場の方が、そこに気がついてくれていることにとても感動した。

そもそもなぜ、旅は不要不急として捉えられたのだろう。

私にとって不要不急ではなかった旅

私は旅をするようになってからとても生きやすくなった。
趣味の枠組みを超えて、自分の人生で必要不可欠のものになった。

しかし、旅が不要不急だと認識されてしまったこと、医療現場で働いていたことから全く旅ができなくなった。

プロとして現場で働いている限り、責任がある。
自分の安易な行動で病原体を持ち込み、患者さんや同僚にうつしてしまったら大問題だ。

「気にしすぎだよ。」
「こんだけ広まってたら、かかっても仕方がない。」
「お互いさまだよ。」
と思うかもしれない。

実際にそんな言葉をもらったし、「こんなのやってられない!」とこっそり旅行に行ったり、飲みに行っている同僚も少なくなかった。

それでも、私は怖かった。
何かあった時に責任はとれない。
ましてや規則を破ってまで、その行動はできなかった。

「あなたはプロとして、患者さんや社会を守る・救う義務がある。」
看護師である前に、私をいち個人として考えることができているのだろうか?

もちろんその答えは「No」である。

その結果、私は心身ともにボロボロになり、休職のすえ退職した。

旅が不要不急だとされた背景から、旅が持つ力をまだまだ世間に認識してもらえていないと感じた。 

私の戸惑い

2022年4月1日から、晴れて自由の身になった。
もう病院からの制限は何もない。

「さぁ、旅に出よう!」
「会えてなかった人に会いに行きまくろう!」
「新しいつながりの輪を広げよう!」
と意気込んでいたのに、いざとなって動けない自分がいた。

そんな自分に戸惑った。

もう縛られるものは何もないのに、どうしてこんなにも腰が重いんだろう、、、。
自分は病院を辞めたからと言って、自由に旅して良いのだろうか?

大勢で集まっているところを見ると悲しむ人がいる。
今でも頑張ってくれている人のことを思うと、そう簡単に動くことができなかった。

しかし、STAY HOMEは正義だと思わない。
これは看護師として働いていた時から感じていた。

確かに、人びとが何も考えずに移動することで、感染は広まるだろう。
しかし、人びとが移動しないことの悪影響も大きい。

コロナ禍で潰れてしまった飲食店やゲストハウス、お土産屋さんがたくさんある。
うつ病の発症率が高くなった。
HOMEが安全ではない人たちがいる。

まだまだいろんな悪影響がいろんな角度からみるとあって書ききれない。

移動できる身としてできること

そんなモヤモヤをずっと抱えている時だった。
先生からの問いかけは私に新しい見方を与えてくれた。

「旅をすることで豊かになるということは、誰かからのギフトを受けている。」
「あなた(旅人)からのギフトはなんですか?」

厳しい行動制限をされてたからこそ、移動できることのありがたさを感じることができた。
そこには、支えてくれている人がいることも今までとは比にならないくらいに感じることができた。

自分はどんなギフトを受けていて、自分は何をギフトとして残せるのか。
これからは移動することができる身として考えていき、行動にうつしていきたい。

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