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イスタンブールに行って気がついたこと

イスタンブールから東京に帰ってきて数日がたった。
相変わらず日本では日常が過ぎていく。

旅はいろんなことに気がつかせてくれるというけれど、僕もそう思う。

旅の良さはきっと自分の環境に疑問を持ったり、良さに気がついたり、何か違和感を感じることだと僕は思う。

TABIPPOという会社が旅をしようと若者に昔から発信しているけど、その通りで旅は若ければ若いほど人を成長させてくれると思う。

もちろん、成長するために旅をする必要はない。

何かに行き詰まった時や嫌になった時に旅に逃げるのも良いと思う。

人はきっと行動することでしか何かを得ることはできないから。

イスタンブールから帰ってくると、東京の人々がどんな時も急いでいるように感じる。

今回の記事ではそれも含めて僕が感じたことを書いていこうと思う。

東京の人は急いでいる

東京について1番感じたのはこれだった。
東京の人だけなのか日本人がなのかはわからない。

でも、東京の人々は歩くスピードもイスタンブールの人々よりかなり早い。

スーパーに行くと早いテンポの音楽が流れていてそれに合わせて人々も早いテンポで買い物をしている。

すごく驚いたのだけど、セール時間帯はみんなせかせかと歩き回ってなんでこんなに急いでいるのだろうと思うくらいにあっちに行ったりこっちに行ったりしていた。

イスタンブールのスーパーに行くと日本ではおばあちゃんかな?って感じるくらいノソノソと歩く人が多い。

買い物の時はしばらく商品を眺めて側から見ても悩んでいるんだなって思う人が多かったように思う。

確かに人によるかもだけど、東京の人は全体的に急いでいるように見えるということだ。

無意識にこの社会は僕たち日本人に人生を急ぐように誘導しているのかもしれない。

僕にはそれは終わりのない忙しさや効率化のように見えてならない。

宗教施設に行く意味

僕は特に宗教的な人間ではないけど、神社や日本の文化的施設に行くのは好きだ。

だから、イスタンブールでも多くの宗教施設、モスクに足を運んだ。

そこでは僕たちが理解できないような考え方があるのだろうなと感じることが多かった。

モスクには多くのムスリムが礼拝の為にやってくる。

礼拝時間には多くの人が静かに礼拝をしていて、そこには僕がいることが場違いだと感じるほどに神秘的な空気が流れている。

ムスリムは本気で神を信じ、アッラーに全ての信仰心を注ぐ。

モスクは神に信仰を注ぐ施設であって、彼らにとってはとても大事な場所なのだ。

僕はイスタンブールでは自然とそう感じて生活していた。

東京に帰ってきて、僕はある寺院を訪れた。

観光客はあまりいなかったが、敷地内を歩いているとランニングをしている人や参拝に来たのかな?と思う老人とよくすれ違った。

僕は参拝をしている人を静かに後ろから見ていたのだけど、少しそこで疑問というか違和感のようなものを感じたんだ。

モスクと寺院はきっと同じものだ。

宗教施設であり神に対する告白の場所である。

でも、見ているとどうも日本の寺院は少し変わっている。

何人かの人が参拝に来るのを僕は見ていたのだけど、そこには神への絶対的な信仰は感じられない。

ムスリムのようにアッラーを信じ、絶対的な忠誠を誓っているようには感じられない。

もしかしたら、ムスリムに対する僕の見解が間違っているのかもしれない。

でも、そこに来る日本人には神への信仰は感じられなかった。

どちらかというと、何かよくわからないモヤっとしたものに対して何かを願ったり、あいさつのようなものだったりというものを感じる。

神への忠誠ではなく、もっとゆるい神との繋がりのようなものを感じたいと人々は参拝しているように感じた。

もしかしたら、あなたは神を信じますかと問うと曖昧な返事をされるだろう。

そんな感覚だ。

これに関してはぼくもはっきりとした答えがないのでわからない。

でも、そう感じた。

ムスリムのように絶対的な忠誠ではなく、神といういるかどうかわからないものとのゆるい繋がりそれが僕が感じたことだ。

終わりに

もっと現代的なことで違いや気がついたことはあるのだけど、長くなるのでこの辺でやめておこうと思う。

読んでくれてありがとうございました。

きっと旅は君に何かを気がつかせてくれるし、もし機会があるなら僕はイスタンブールに行ってみて欲しいと思う。

僕らに馴染みのない価値観を持った人々が生きている国に行くことは気づきが多いと思うから。


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