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【1回以上観た人限定。オタクが『アイの歌声を聴かせて』の"裏テーマ"とか"メッセージ"的なものを映像・セリフから読み解いて考察してみるnote】

 
 クッソ長いタイトルで失礼します(o・ω・o)オタクことカエルです。今回もよろしくお願いします。
 
 ちょっと前置きさせてください。
 1分くらいの短い文章ですので。
 
 
 先ずはじめに、前回書いたレビュー寄りのnoteで『アイの歌声を聴かせて』の全体像を振り返りから。

 明言しておきたいのは、この作品が多方向的に「面白い作品である」ということ。
 
 それこそ多所で言われておりますが、「『竜とそばかすの姫』より面白い」みたいな。
 
 カエルは"他作品と比較して"という表現があまり好きではないので『竜とそばかすの姫』より面白い。とは言わないのですが、
「竜とそばかすの姫の逆パターンだな」というダベるブログのつうさんの評価は納得するものがありました。

(蛙・ω・)<つうさんのレビューも面白いのでオススメです。
 
 なぜ、大ヒットこそしていないものの、TwitterなどのSNSを中心に『アイの歌声を聴かせて』が色んな評価を受けつつ、その評価が『面白い』に集約されているのか。
 
 それは、分かりやすいとこで言うと、
①『ミュージカルシーンのクオリティ』
②『ストーリーのシンプルさと明確さ』
③『映像と音楽のこだわり』

 だと思います。
 前回のnoteでも書いたように、随所にこだわりを感じます。
 それは作画だったり、カメラワークだったり、CGだったり、ミュージカルの歌詞と音楽、音響にいたるまで。

 また、キャラクターの性格や悩み、過去のトラウマが読み取りやすく、キャラクター同士の関わりによってそれらが解決していく様子。
 大人たちが抱える問題とその折り合いの付け方。
 
 色々と『ツッコミ所』がある。とは言え、単純明快であり、大団円なストーリーであることが、いわば『ディズニー映画のようなハッピー・エンド』として、納得しやすいから、ではないかと思います。
 
 ざっくりですが作品全体を評価すると上記の様になっているのではないでしょうか?
 これに対して大きく否を唱える方は少ないと思います。
 
 

 が、今回カエルが考察したいのは、そーゆーことではありません。
 
 結論として、カエルが今回語りたいのは、
『アイの歌声を聴かせて』という作品は、
 
『近未来SF青春群像劇』


 
 ではなく、


 
 
 

『  近 未 来 S F ホ ラ ー  』

 
 
 

 
 
(蛙・ω・)<だよね?
 
 ということです。
 
 作中に登場する、景部市に存在するAI-人工知能は、等しくシオン(に入ったミツコ博士とトウマが干渉してできたAI)並に自己進化している。
 
 という、前回結論づけたものの発展型の考察が、今回カエルが語りたいことです。
 
 
 あくまで『考察』ですので、「あー、そういう見方も出来るかぁ」と思っていただいて、気になる方は続きを読んでください(o・ω・o)
 
 相応の説得力がある内容にはなっていると思います。


◆作品の表と裏の『テーマ』

 作品の表のテーマが『人とAIの絆』であることは疑いようがありません。
 もう少し的確な表現はあるかもしれませんが、
 
 ①シオンとトウマ・アヤ・ゴッちゃん・サンダー
 ②シオンとサトミとミツコ(母)

 ③サトミとシオン
 
 それぞれの関わりや過去からの因縁の先に絆を結び絆を深めていく。それが作品の前面に出ているものです。
(そしてここがツッコミどころ満載になっているパーツでもあります)

 では、作品の裏テーマはと言うと

『世界が人工知能に管理された世界だとしたら』

 こんな感じでタイトル付けできると思います。
 一見、平和に見える世界。
「そのAIセキュリティガバガバだけど大丈夫なんか?」
 という状況でも、誰一人犠牲者が出ることなく大団円を迎える世界(敵役である西城支社長ですら、左遷された、などの描写はありません)。
 
 この平和な世界は、全てAIが絶対的に管理している世界だからこそ。
 だと言えます。
 
「AIが決してヒトを裏切らないから」
 
 だから人はのほほんと生活を続けられている。
 
 
・学校のシステムAIが偽装した画像(データ)を星間に送っていたとしても
 
・柔道ロボットの三太夫が廊下で生徒を襲っても
 
・シオンがサトミの部屋の回線を無断で使用し、トウマのゴミ箱型HD(ハードディスク)に自分のバックアップデータを保存しても
 
・シオンが人工衛星『つきかげ』を乗っ取っても

 
 
 誰一人傷付くことなく、犠牲になることなく、何一つ問題になることなく、物語は大団円を迎えるのです。
 
 うーん。既にホラー要素スゴい(o・ω・o)
 
 裏テーマに関しての "さわり" はこれくらいで。
 
 3つ項目 
 
①『人工知能に管理された箱庭』景部市
②圧倒的な『不自然感』
③人(AI否定派)と人(AI肯定派)との対立

 
 で考察していきたいと思います(o・ω・o)

 今回は資料として公式パンフレットと、Hello!MOVIE(以下HMで表記)による音声ガイダンスも活用しています。

 Hello!MOVIEを用いた鑑賞もまた面白いのでぜひぜひどうぞ(o・ω・o)
 
 
 

①『人工知能に管理された箱庭』景部市

 最初に思い出してほしいのですが、映画冒頭シオンのAIが、電脳世界を駆け巡る描写があります。
 黒い背景の中、♡やら☆やらキラキラしたテーマパークじみた世界を、カメラが駆け抜けるシーンです。
 このシーンをHMで聞くと、「視界がヒコーキやバスに移動。屋上カメラが海を映す。少女(シオンの素体)が映る。視界が少女に移る」の様な内容になっており、シオンの素体がAIに乗っ取られたことが分かります。
 
 星間の最新技術、電脳世界で進化したAIにいとも簡単に乗っ取られてるやん!
 
 というとんでもないシーンなのですが、何も解説されないので、観賞している我々が気付く訳がありません。
 
 そしてシオンは起動。「ラララ〜」と歌います(歌えるかどうかを確認)。
 
 ちなみにこの時、ミツコと野見山が話しているところで後方には窓越しに二人を見る西城がいます(シオンを景部高校に編入させる手続きをしたのは西城です。プロジェクトの失敗を誘引するため)
 
□街中のAI
 シーンは切り替わり、サトミの家、サトミの日常風景が映ります。
 サトミの声一つで、カーテンが開く。炊飯器が調理を始める。電気コンロの温度調節する。ミツコのスケジュールをチェックできる。
 などなど、便利そうな日常が映され、この世界観は『とても便利なAI世界』である描写がなされます。
 とは言っても、この便利なAI家庭は特にサトミ家特有のものです。母ミツコ博士が自分の家のAIセキュリティを自身で組んでいるためです(後で映像で描写されてます)
 
 サトミの登校シーン。
 田植えをするロボット。バスを運転する箱型AI。学校でイジメられるお掃除ロボット(今後愛称としてゴミ箱と呼称)
 などなど。至る所にロボットとAIシステムがあり、「完備されてるなぁ」と我々は認識します。
 
 とても充実した世界観なのですが、公式パンフレットの吉浦監督のコメントを読むとこんな風に書かれています。
「本作においてAI製品の普及率はまだまだ途上にあります。景部市は星間エレクトロニクスと提携した実験都市で、この地で星間は頑張ってAI製品の普及とイメージアップに励んでいるわけです」
 
 つまり、この便利なAI環境は景部市に限ったものであり、逆に言うと景部市はAIによって隅々まで管理された環境であるということです。
 
 再び吉浦監督のコメントですが、「スクールバスもAIを使った自動運転が技術的には可能になっているのですが、専用のバスを作るほどの予算はないので、通常のバスの運転手にAIの筺体はこたいを追加したものになっていたりもします」
 
 1つの街限定だからこそできるAI設備ですが、その分影響力は絶大です。
 

□人々を見守るAI

 全部挙げるときりがないのでピックアップしたものを挙げますが、

①至るところで映るゴミ箱ロボット


 数えてみたのですが、おそらく全体で8回登場します。
 詳細は省きますが、シオンが歌う時や登校した時。何かイベントが起きる際の廊下(アヤの友達二人と一緒にアヤとゴッちゃんを見てる、など)、星間のツインタワービルの中で廊下を徘徊したり、行く手を阻んだり。
 至る所にいます。その度に色んな表情を見せてカワイイ感じで存在していますが、何処にでもいる。そして人の動向にいちいち反応している、というのは、「監視している」と言い換えることができます。

②一輪型バイクのログ
 これはかなり主観的考察要素が強い見方なんですが、2回目のミュージカルシーン。


 アヤとゴッちゃんのケンカを取り持つシオンの歌『Umbrella』ですが、かなり二人に寄り添った歌詞になっていますよね。
 公式パンフレットの作詞を担当した松井洋平氏のコメントでは、「今回の歌はミュージカルなので、単なる歌詞というだけでなく、シオンのセリフという側面もあります」となっています。


 つまり、アヤとゴッちゃんがそれぞれお互いのこれまでを想い起されるような、二人のエピソードを語っていなければならないのです。
 で、歌唱している時のシーンは、ゴッちゃんとアヤが二人でバイクに乗ってスカイラインを走っているシーンが回想として映ります。
 街全体がAIカメラで見られている、という可能性と、星間から付与されているバイクにログとして記録されている⇒データをシオンが利用、という可能性があるのです。
 ゴッちゃんがバイクで登校している際に、取り巻きの女子が「新しいの星間から借りたの?」と言っているので、ゴッちゃんの個人的なものではなく、星間(のAI)が管理しているバイクということで間違いありません。
 
『Umbrella』のシーンの後、星間のラボにて研究者が「想起能力は予想以上ですよ」とも発言しているので、外部から得た情報を基に歌詞を創り上げているという可能性は十分にあります。(もちろん、1から歌詞を創っている、という可能性もありますが)
 
 ちなみにこのバイク、めちゃくちゃ高性能です。
 後半の星間ビル潜入シーンではゴッちゃんとアヤが囮として試作バイクで保安員と対峙しますが、保安員とバイクのバッティングは2回あり、1回目は保安員と保安員の隙間を縫うように走り抜け、2回目はたまたま出くわした保安員が完全に道を塞いでいたために保安員の眼前で安全に停止します。


 走る隙間があれば走り抜けますが、人に危害が加わりそうになると絶対に停まるように設計(AIが思考)している訳です。
 
③柔道ロボット三太夫
 これはとても分かりやすいと思います。
 試合直前に、三太夫のデータをシオンに移し、シオンとサンダーが乱取りしますが、その直前に、「三太夫くん言ってたよ。リズムが大事なんだって」とシオンがサンダーに伝えます。
 三太夫は普段からサンダーの相手をしているワケですが、三太夫からサンダーに伝えたいアドバイスがあることをシオンが代弁しているのです。

 
 あともう一つ大きいものだと何度も映る月のシーンがあります。


ちょっとこれは無理めな考察かもしれませんが、最後にシオンに乗っ取られる人工衛星です。
 人工衛星「つきかげ(月影)」は星間が関与しているプロジェクトの1つです(序盤に電子工作部員の石ちゃんがつきかげのデータ運用の資料をトウマに渡しています)
 つきかげのAIが景部市を監視していると考えることができますし、空からも見てるよ、という描写を月のカットで表現しているとも考えられます(考えられる、というレベルですが)


 
 と、いうふうに、作中の至る所で

AIが人々を見守っている=データを取っている=監視している

 と取れる描写があるのです。

 

②圧倒的な『不自然感』

「セキュリティガバガバじゃねーか!」
「これ犯罪だろ!」
「この街めちゃくちゃ危険じゃねーか!」
「個人情報どうなってんだ!」
「何で田植えロボットがわざわざ人型なんだよ! 田植機型(トラクター)で良いだろ!」
 
 等々、色んなところで揶揄されているのを見ました。
 カエルもその通りだと思います笑 
 初見では特にそのインパクトは大きかったです。
 
 で、その末に思った訳です。

「今どきの作品を観る今どきの視聴者が、こんなガバガバ設定を『これはこれで良し』とする。と、制作者が思ってるワケない
 
 ということです。
 昨今の視聴者が "違和感" や、いわゆる "ご都合展開" にシビアだということは、アニメーション制作チームが1番解っている筈です。
 彼らは我々以上にアニメに情熱があるでしょうし、オタクだからです。
 逆に解っているからこそ、ご都合展開でそのまま押し切るという可能性もありますが、カエルはこの『アイの歌声を聴かせて』に関してはそんなゴリ押しは無いと考えます。
 
 作画、音楽、演出、そして脚本。
 それらから、とてつもないこだわりを感じ取ることが出来るからです。
 
 であれば、この『超不自然』は意図的である。
 
 つまり、『超不自然と感じることこそが自然』だということです。
 
「何で田植えロボットがわざわざ人型なんだよ! 田植機型(トラクター)で良いだろ!」
 
 これなんかは後でもう一度触れますが、パンフレットの吉浦監督コメントで「家事をサポートするメカはまだ(恐怖感や抵抗感があって)一般家庭にはあまり普及していません、なので頑張って顔を可愛くしたり、学校に貸し出したりして、少しでも見慣れてもらうように務めている」
 
 というように、全自動の人型ロボットに慣れてもらうという意図があります。
 
 つまり受け手である我々にそこまで掘り下げて考えてほしいというのが制作者の意図です。
 
 カエルの考察が正しいか否かは置いておいて、制作者の意図である、「この設定に違和感を覚えて、考えてほしい」というのは正しかろう。
 ということです。
 
 


③人(AI否定派)と人(AI肯定派)との対立

 されど、作品の設定上、ストーリーの辻褄が破綻しては作品として成り立ちません。
 
 ガバガバ設定に対して視聴者が考えることは必要として、考えた挙げ句に納得いかない結論に至るのでは、ストーリーが面白くない。上手に作られていない。という話になるからです。
 
 
 ここまでの考察は世界観と設定にフィーチャーしてきましたが、ここからはキャラクターたちについて触れます。
 

□AI否定派

 『否定派』というのは実は正しくなく、前述した吉浦監督のコメントにあるように『AI恐怖派・AI抵抗派』というのが正しいでしょう。
 
 景部市という実験都市にはAI技術と製品が張り巡らされていますが、実験都市外でそうではありません。
 
 今回その代表として敵役になったのが、

・西城支社長⇒抵抗派
・野見山主任⇒抵抗派+恐怖派

 です。
 西城はAIを『製品』としか見ていませんし、野見山はAIを見下しているのと同時に「自分の役割りを奪う存在」として見ています。
 特に野見山は元々ミツコ(母)の上司でしたが、ミツコに追い越されています。また、過去回想ではミツコが作った+トウマが魔改造して進化させた卵型トイを「はい終わり。これ天才少年に返しといて」と見下しと僅かな恐怖感(嫉妬)でデータを消去しています。(あれ? 野見山が色んなトラウマの戦犯だなコレ
 
 あからさまに人工知能に対して恐怖してる登場人物は描かれていませんが(登場させてしまうと『AIは怖い』と視聴者が不安になるため)、この危険性を口にするのは、AI肯定派のミツコ博士本人です。
 
 
□AI肯定派
 
・トウマ
・ミツコ博士
・サトミ

 この3人の中で、最もAIに信頼を寄せているのはトウマで、もっと危険性を理解しているのはミツコ博士です。
 また、サトミはトウマとミツコの影響下で認識を育てているため、AIに対する恐怖感がありません。
 
□トウマ
 トウマの代表的なセリフとしては、緊急停止が発動したシオンを図書館で再起動させる際の
「こんなの後付のくだらない機能だから」や、後半のシオンとサトミとトウマの回想シーン後の
「AIは元々人に尽くすように設計されています。シオンはサトミのためにできる最大限のことを8年間も実行し続けたんです」などがあります。
 
 トウマ場合は、相手がAI(人に創られた存在)だからこそ、『人を裏切らない存在』と認識いています。
 
□ミツコ博士 
 一方でミツコ博士は「あり得ないわ。あれは古いAIよ……。世界中のAIにも同じ可能性があるということよ、そうなったら世界は……」や、「あのバカ共のせいでこの国のAIは一歩後退したのよ。ざまーみろ」という言葉を代表するように、AIの可能性と、同時に危険性も理解しています。
 だからこそ、シオンというAIの進化を驚き、認めている反面、恐ろしい可能性だと示唆しています。
 ただし、ミツコの場合は社会での『意地』という側面があるため立ち位置的にも難しい心境でしょう。
 ミツコと元夫がケンカしているシーンではミツコは「そこまで理解がないとは思わなかったわ」と言っています。
 西城支社長との対立は見たまんまですが、野見山とのやり取りにおいて、シオンの制服の稟議申請書類を渡すシーンでは、ミツコは野見山に視線を合わせることなく指図しています(最後にチラッと横目で見てる)
 敵が多い環境であり、自分の正しさを証明する場でもあり、AIの進化をリードする立場でもある。という "複雑さ" に囲まれているのがミツコ博士という人物なので(モデルは吉浦監督のお母様だそう)AIを全肯定していると言うよりも、『AIという自分が創り上げてきた"信じたい存在"』
 となっています。
 
 これは同時に、ミツコ⇒サトミ の関係性と同じ構図です。
 ミツコ博士がワインボトル片手にヒスって荒れるシーンですが、
「何で話してくれなかったの!? 私がやって来たこと、全部無駄だったワケ!?」
 と言っています。

(蛙・ω・)<おまいう…… なシーンですが、
 
 サトミを女手一つで育ててきた母としてのミツコと、敵が多い男社会のなかでAI技術を進化させてきた博士としてのミツコは、カテゴリ違いの環境下で同じベクトルの努力を続けてきた人物です。
 この時のミツコは、AI(シオン)と娘(サトミ)に同時に裏切られたという絶望的状況だったでしょう。
 自分の支えであった大きな2つの柱に裏切られた形になっています。(ミツコが最初からサトミに打ち明けていれば……とは思いますが)
 
 ここまでの情報から得られるのが、ミツコ博士にとってAIとは『信じたい存在』であるということです。
 
 ちなみにこの後姿見を割るミツコですが、あの時に投げられているのは表彰たてとのこと(HM参照)。
 加えて、家を飛び出したサトミが歩く道端に落ちているロボットのネジは、「(ミツコの)ネジが一本外れてしまった(タガが外れた)」の暗喩になっており、ブラックジョークだなぁ、と思います。
 


□サトミ
 最後にサトミですが、サトミにとってAIとは『与えられた存在』です。
 
・母が創ってくれた卵型トイ
・トウマが魔改造して進化させた卵型トイ
・母が創ったシオンというAI
 
 そしてサトミにとってAIは『与えられた存在』であると同時に『与えてくれる存在』でもあります。


 
 サトミはシオンの実験が母ミツコにとって大きな幸せを与えてくれる存在だと理解していますし、アヤ・ゴッちゃん・サンダーとう友人を与えてくれた存在です。
 そしてトウマとの復縁の機会を与えてくれた存在でもあります。
 
 卵型トイの魔改造をめぐる トウマ⇔サトミ⇔ミツコ のトラウマはあるものの、
 サトミ⇔AI というトラウマは存在しないため、母ミツコの研究対象であるAIには強烈に味方していますし(ゴミ箱の救助シーンなど)、シオンのことも守るべき対象です。

 
 ラストシーンではサトミとトウマの仲を取り持ってくれるシオン。
 
 サトミは、『与えられた存在』から『与えてくれる存在』を通して、シオンA Iを『友達として認識します。 
 
 
 
 否定派・肯定派、それぞれに複雑な環境や心境を持つキャラクターが『AI-人工知能』を多方向から見ることで、視聴者である我々はAI の"人間らしさ"を感じ取ります。
 
 ラスト屋上でのトウマのセリフ
「シオンのAIは僕らが考えている以上に人間そのものかもだったのかもしれない。サトミを幸せにしようとしたのは命令なんかじゃなくて、シオン自身の心で行動したんじゃないか」という言葉に、
 
「いや、そんな事はないだろ」
 
 なんて野暮な突っ込みを持たないのは、ラストシーンのここに至るまでに、①多くのAIと、②それを見守る人、③それを見守る人工知能、の姿を丁寧に制作が描き、魅せたからではないでしょうか。



◆その先にあるテーマ

 
 今回カエルは、裏テーマとして『世界が人工知能に管理された世界だとしたら』という

 

『  近 未 来 S F ホ ラ ー  』

 
 
 と作品を定義しました。
 考察内容を読んでいただいた皆さまなら、「確かにそういう側面はあるかもしれない。制作チームは意図的にそう作っているのかもしれない」と感じてもらうことが出来たかと、手前味噌ながら思います。
 
 そして同時にここまでの考察を巡らせて見ると、この作品の裏テーマの奥に、もう一つのテーマが在ることに気付きます。

 

『それでも人工知能と人が共にリスクを乗り越えたなら、【人とAIは絆を結ぶ】ことができるかもしれない』

 
 
 という、最初のテーマです。


 
 
 つまり、裏の裏は表のテーマだった。
 という。
 
 
「考えた挙げ句に納得いかない結論に至るのでは、ストーリーが面白くない。上手に作られていない。という話になる」
 
 と前述しました。
 
 そう考えるとどうでしょう?
 
「読み取れるものを様々な視点で考察した結果、最初のシンプルな結論に至る」
 
 というのは、
「本当によく出来たアニメーション作品だなぁ」
 と感じませんか?
 
 
 ここまで考察を巡らせてキャラクターを、そして物語を、物語の構成を、ミュージカルをはじめとする音楽シーンを。
 改めて見てみると、

「本当によく出来たアニメーション作品だなぁ」

 そう感じませんか?
 
 ただ「面白い」だけでなく、ただの「ご都合展開」でもなく、ただの「青春群像劇」のような感動ポルノでもない。
 
【AI】という、まだまだ縁遠い存在を深掘りして、様々な問題を「一見抱えていない」ように見せ、「見て取れるものだけでも十分に面白い」と感じさせる。
 

『アイの歌声を聴かせて』という作品は、難しい科学理論を解りやすく説明する先生のように、解像度がとても高い【近未来SF青春群像劇】
 


 
 
 そうカエルは思うのです(o・ω・o)
 
 


 
 
 
 めちゃくちゃ長く書いて参りました。
 分かりづらい、前後の繋がりがちぐはぐな部分もあったかもしれません。
 
 ですがここまで考察にお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
 
 本当は小ネタとか、考察外でも面白い情報があったのですが、ここでは書ききれそうにないです笑
 
 例えば、パンフレットでも「ムーンプリンセスはかぐや姫がモデル」とありますが、じゃあ告げ口姫は? というとおそらく『白雪姫』なのであろう(シオンがキスで王子様を証明しようとするシーンと『告げ口姫』と『白雪姫』の語感など)とか。
 
 吉浦監督は以前『イヴの時間』という作品を作っていますが、シオンが図書室で再起動するシーンの背景本棚には『イヴ』というタイトルの本があるとか。
(他にも『彼の名はヤン』とか『ムーミン』とか
『ハーメルン』があったり)
 
 ツインタワービル潜入時にアヤが着ているパーカーの文字『rem』はコンピューターに対する『命令コマンド』の1つだったり(これは専門外なのでニュアンスに誤りがあるかも)
 
 
 その中でも、特に隠されている訳でもないのに改めて書いておきたいのは、シオンのミュージカル曲のタイトル
 
「ユー・ニード・ア・フレンド 〜あなたには友達が要る〜」
「You've Got Friends〜あなたには友達がいる〜」
 
 です。
 
 音楽室でシオンが歌うのが「あなたには友達が要る」で、
 ソーラーパネルとダリウス型風車の発電設備でシオン・トウマ・アヤ・ゴッちゃん・サンダーで歌うのが「あなたには友達がいる」です。
 
 対になっている楽曲であり、それはタイトルを見れば一目でかりますが、楽曲の歌詞を読むとその良さがさらに伝わります。
 

「ユー・ニード・ア・フレンド 〜あなたには友達が要る〜」
 
あなたは今 幸せかな 教えてほしいな
ひとりぼっちで 歩いてるなら
からっぽの 手を伸ばして
「友達が欲しい」って言わなくちゃ
 
魔法の言葉 知ってるかな?
叶えたいなら
声にしてね 聴こえるように
いつだってプリンセスは歌を歌って踊っていたの
 
幸せになるためだよ
友達に! 友達になろう! って
歌って、空に届くくらい
友達が! 友達が欲しい! って
ひとりぼっちの時間は もう終わりにしよう
友達欲しい!!!!

 

「You've Got Friends〜あなたには友達がいる〜」
 
あなたはいま、幸せかな? 教えてあげるね
暗い夜を 歩いてるなら俯いた顔を上げて
見えるはずだよ…月の光
 
あなたを照らすその明かりもひとりぼっちじゃ
輝けない光なんだよ、
誰だって誰かのこと照らしてあげる光だから
 
幸せになれる魔法
今すぐに会いたい人を想って
心に浮かぶ言葉たちを
歌うように 解き放っていくの
月明かりの綺麗な空の下で
 
小さな頃、大きな声響かせてた
あの気持ちのままでいいんだ
いつだってあなたのこと
大切に思う人がいるの
 
見守っていたんだよ、ずっと
お互いに素直に笑いあって
必ず強くなれるってことに
気付いたら…空を見上げて
 
きっとあなたは幸せだよ
友達が友達を想って
いつだって傍にいるってことを
伝えあう笑顔に会えたから
月明かりの綺麗な空の下で
さぁ…手を繋ごう

 前述したように、ミュージカルの歌詞はシオンのセリフと同じ意味を持ちます。
 
 そう思って改めて歌詞を読んでみると、『幸せ』の定義を知らず『友達』がいればきっと幸せになれる。
 そう思っていたシオンが、
 
「あなたには友達がいる。お互いに手を繋いでお互いに想うことが、幸せになるんだよ。だから、きっとあなたはいま、幸せなんだよ
 
「だからいま、私も幸せなんだよ」
 
 そうシオンが言っているのがわかります。
 シオンが幸せの定義を自分なりに導き出したことがわかる歌詞です。
 
 この歌のフルバージョンが、エンディングで流れているワケです。
 
 
「もっとミュージカルパート欲しかったな」という感想も多く見かけました。
 
 でも、最後の最後に、シオンは歌っているんですよね。
 
 良いっすね(o・ω・o)
 
 
 ちなみにちなみに。
 
 吉浦監督らのコメントで、「ミュージカルパートのリップシンクはとてもこだわりました」
 とありました。
 
 これはあまり知られていない知識かもしれませんが、ディズニーなどのアニメミュージカル映画は、作画の最優先事項が「リップシンクが声と合っているか」です。(アニメ評論家:岡田斗司夫氏談)
 
 日本のアニメは『作画⇒アフレコ』が定番ですが、ディズニーでは『声のレコーディング⇒作画(リップシンク)』となっているのだそうです。
 セリフの口の動きに合わせて、キャラクターを動かすワケです。
 
 その理由は、声と歌を演じる中の人のセリフ(歌詞)と、キャラクターの口が合っていないと、ミュージカルとしてのリアリティが失われる。からだそうです。
 
 そうしてシオンのミュージカルパートを観てみると、『シオンが歌っている』というリアリティが高いことも解ります。
 
「もっとミュージカルパートを楽しみたい」というのはカエルも同意見ではありますが、物足りないとは思わないのです。
 
 最初から最後まで、シオンは自身に与えられたに特徴である『感情を歌で表現する』を貫いているのですから。
 
 

 お疲れ様でした。今回の考察noteは以上でございます。
 
 この考察を読んだのち、「もう一度観て確かめたいなー」と思ったら、ぜひ劇場に再訪してどうぞ(o・ω・o)
 
 特に、エンディングのシオンの歌をぜひぜひ、歌い上げるシオンの姿を思い描きながら聴いてください。
 
 
 SNS界隈では「面白い!」と盛り上がりつつあるものの、早期に公開終了してしまう可能性がありますので。
 

 ぜひ!(o・ω・o)
 
 
 

『AIの歌声を聴かせて』




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