『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観ろ。
普段、「この◯◯がヤバいから絶対観ろ」みたいなダイマみたいな事言わないんだけど(劇場で観るべき、とかオススメとかは言う)、
(蛙๑•ω•๑ )<『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』は、マジで観ろ。
『ゲゲゲの鬼太郎』と言えば、日本人ならみんな知ってる国民的アニメの一つ。
『サザエさん』『ドラえもん』『ポケモン』『クレヨンしんちゃん』など、数多くの国民アニメのひと枠を埋めるアニメだ。
そんなゲゲゲの鬼太郎の、劇場版最新作が公開されたという。
虫圭は、正直関心が無かった。
国民的アニメの劇場版は観ない質なのだ。
「どーせ、国民的アニメ枠だから。内容もきっとイイ感じのすごいやつだろう。観なくても分かる」
などと、たかを括っている逆張りオタクだからである。
が、『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』は違った。
東映アニメーションは、とんでもない物を作った。
そもそも、観に行くきっかけは、一つのツイートだった。
『推しの子』『クズの本懐』などの作者、横槍メンゴのこの一文が気になった。
(蛙๑╹ω╹๑ )<何が? と。
気になったのでTLを覗いたのである。
『ゲゲ謎』……ということは、おそらく『ゲゲゲの鬼太郎』のことであろう。
日本で「ゲ」が2回以上続く単語は『ゲゲゲの鬼太郎』しか存在しない(知らんけど)
本当に面白い漫画を描く作者が、「本当に無理です」とツイートするくらい。ゲゲゲの鬼太郎がヤバいらしい。
だので俺も気になる旨をツイートしてみた。
すると、Twitter(頑なにXとは言わない)で懇意にしてくれている映画を多く観る方が
「鬼太郎誕生日 ゲゲゲの謎、おすすめですよ~😀」
とおっしゃるではないか。
虫圭はこの方の感性と審美眼を信頼している。
それにこの方はふだん、「気になるな〜」くらいの軽いTLに「オススメですよ」と作品を推す事はしないのだ(主観です)
観に行かねばなるまい。
絶対に間違いない。
もちろん、良作と言えど「好み」や「相性」というものがある。
先日観た『首』のように、とんでもない傑作だと感じるのに「もう二度と観たくない」という感想を持つ作品すら存在するのだ。
「きっとゲゲゲの鬼太郎は面白いのだろう。フラットな気持ちで観よう」と、前情報皆無で観に行ったのが、本日劇場に足を運んだ理由だった。
作中、虫圭はこんな感想を抱く。
「このアニメーションは、日本人にしか作れない。世界に評価され、日本が誇る、ジャパニメーションだ」
ということでここからはネタバレするので注意されたし。
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①作画がヤバい
②絵コンテ切ってる奴マジヤバい
③声優がヤバい
④伏線の回収がヤバい
⑤エンディングがヤバい
⑥温故知新がヤバい
語ると文字数がとんでもない事になると思うので、感想としてはなるべく短くまとめていきたい(希望)
①作画がヤバい
途中入る外道陰陽とゲゲ郎との戦闘シーンのこと。
劇場作品だから作画に使ってるコスト(お金)が大きいのは分かる。作画カロリー(細かい描写)が高いのももちろん分かる。
が、まるで『鬼滅の刃』の戦闘シーンを観ているようなアクション作画だった。
虫圭が観ているのは『ゲゲゲの鬼太郎』である。
原画マン、動画マン、作画監督、コイツらみんな本気のガチである。
一切の妥協がない。
「作画がヌルヌル〜(褒)」なんてものじゃない。
アレは「時代劇の殺陣」だ。
リアルの殺陣を、二次元で描き切っている。CGもあるだろうが、CG、作画、どちらもひっくるめて素晴らしい。
めちゃくちゃカッコいい戦闘作画だった。
②絵コンテ切ってる奴マジヤバい
『ゲゲゲの鬼太郎』は、ホラー漫画である。
国民的アニメであるから、現代のゲゲゲの鬼太郎は、マイルドになっていると虫圭は思っている(主観)
『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』は、ホラーである。
冒頭から、哭倉村に向かう電車、村に足を踏み入れた時の様子、次々と死ぬ登場人物、その死に様、妖怪たち。
この映画は、子供が観たらその夜トイレに行けない。絶対に暗闇でリフレインする。
井戸の怨霊なんて、さながら『リング』の貞子である。
日本のホラー映画、しかも「昔の日本のホラー映画」を彷彿とさせる。
中でも特筆すべきは、主人公の水木を追いかける "カメラの視線" だ。
特に、水木が哭倉村に足を踏み入れ、第一村人の沙代に会うまでの描写はホラー映画そのもの。
水木視点ではなく、しばらくの間、水木を追いかける俯瞰のカメラ視点で描かれていく。
不自然な無音。
静かな音楽と蝉の鳴き声。
田んぼに人が立っていると思ったら、誰もいない。
家屋の隙間から見られているような気配。
鬱蒼と茂る雑木林。
古びた鳥居。
そして出会う、一人の喪服の女の子。
虫圭が観ているのは『国民的アニメ』のゲゲゲの鬼太郎のハズである。
いや、違う。
水木しげる原作、『ゲゲゲの鬼太郎』だ。
つって、漫画の第1巻はホラー要素より妖怪大戦争らしいので、その後の人が妖怪に襲われる辺りのゲゲゲの鬼太郎ということになる。
とにかく。
どの世代でも観れるゲゲゲの鬼太郎ではなく、日本の妖怪、日本のホラー映画、「人」のホラー要素、を強く受ける映画になっている。
人が死ぬ描写は本当に怖い。
乙米(長女)の左目に鉄パイプが突き刺さり、穴から眼球と血飛沫が飛び出すシーンなんか、R15指定でも疑問がないレベルのホラーだ。
あのレベルのホラー・残虐描写を、昨今の「規制!規制!」な映像作品情勢の中、『ゲゲゲの鬼太郎』として描いたのが、とんでもない。
とんでもなくて、すごくて、素晴らしいと思う。
マジで怖い。
③声優がヤバい
種崎敦美がヤバすぎる。
虫圭は、数多くの好きな声優の中でも特に好きな声優が二人いる。
早見沙織と種崎敦美だ。
この二人の声は、どんな役でも聞き分けられる。
と、思っていた時期が私にもありました……。
エンドロールで 沙代 種崎敦美 の文字を見るまで、本当に誰が声をあてているのか、分からなかった。
種崎敦美は「憑依型声優」と呼ばれるくらい、役の幅が広く、表現と演技の幅が広い。
役を演じる際の役作りも、感覚的である。
天才肌。
そんなあっちゃん(種崎敦美の愛称)が今回演じた沙代だが、グロい役だった。
黒幕であった時貞翁の実孫でありながら、時貞がいくいく乗り移る為の肉体を産む役割を持ち、その時貞と交わっている。
一族への怨みから妖怪キョウコツ(狂骨?)を宿し使役する。
そして時麿、丙江、庚子の3人を惨殺した犯人。
終盤では実母の乙米も殺し、最終的には乙米の右腕である長田幻治に仕込み刀で胸を刺され、キョウコツに憑き殺された。
複雑を通り越して気狂いの様な役を演じており、あっちゃんの大ファンである虫圭が聞いても違和感のない、沙代そのものの声で沙代になりきっている。
種崎敦美は確かに『鬼太郎誕生』で沙代を演じたが、沙代は沙代として実在していた。
唯一の望み。沙代を外の世界(一族と哭倉村)から連れ出してくれるかもしれないと淡い期待を抱いた水木からも目を逸らされ、すべてに絶望し、水木の首を絞めて殺そうとしていた沙代の「息の演技」、幻治に刺されキョウコツの怨みの炎に燃やされながら上げられた「断末魔」は神懸かっていた。
(蛙 •ω• )<沙代は、それでも水木を殺さなかったんじゃないかなぁ、と思わなくもないけれど。
本気で殺すつもりなら、キョウコツの力で実母や親戚を殺したように、左目から脳ごと突き刺したり(時麿•乙米)、腹を突き刺したり(丙江)、首をもいだり(庚子)すればいい。
なのに自らの手で水木の首を絞めるような時間のかかる回りくどいやり方だったのは、最後まで水木の口から自らを救う言葉を待っていたんじゃないか、と思ったりする。
出会い頭、草履の鼻緒を直して助けてくれた水木に、淡い想いを寄せていたんじゃないか。演技でなく、寄る辺でなく、実際に好意を寄せていたんじゃないか。
映像で水木に身体を預けていた沙代のままの、そのままの感情だったんじゃないか。
殺し損ねていた幻治に刺され、最期の最後まで、沙代を救ってくれる存在は現れなかった訳だけれど……。
(蛙 ・ω・)<こんな難しい役、あっちゃんじゃなきゃ演じられないよ……。名采配である。制作陣Good Job
④伏線の回収がヤバい
いろいろあるが、いちばん印象に残っているのは「孝三叔父さんは、禁忌を犯して記憶を失った」である。
禁忌とは子島にある穴蔵を訪れ、結界に触れる事、血吸いの桜(の根本にある呪詛)に触れる事である。
最後、水木は穴蔵の底から生還し、消防隊員に身柄を確保される。そうして重傷から命を救われるが、穴蔵で起きた事、ゲゲ郎の事、その他多くの村での出来事を忘れてしまっていた。
最初、穴蔵のある子島を訪れた時は、呪詛に当てられたものの鼻血程度で済んだが、時貞との決戦を経て、その記憶全てを失った。
記憶を失った水木は、墓から這い出した鬼太郎を墓石に投げ付け殺そうとするが、思い止まることになった。
『鬼太郎誕生』というタイトル通り。原作に繋がるように映画を完結させている。
⑤エンディングがヤバい
エンドロール、制作チームの名前をチェックするのが虫圭の習慣だが、
(蛙 ・ω・)<エンドロールまで見逃せないモノクロ漫画映像を描いたらスタッフの名前が読めないだろ!!!!
そして流れる『カランコロンの歌』のアレンジ。
たまらんぜ……。
欲を言えば歌唱ありの『カランコロンの歌』が聴きたかったが、そうなるとEDで流れるアニメーションのノイズになると制作は考えたのかもしれない。
最後の最期まで、見逃すことの出来ない映画だった。
⑥温故知新がヤバい
日本のアニメは素晴らしいものだ!
昔のような、
「アニメなんて子供が見るもの」
「大人がアニメを見るなんて気持ち悪い」
「アニメが好きとかオタク」
なんて、狭量な価値観は今や薄れて、アニメ映画の興行収入は実写映画を上回り、多くの漫画原作が実写映画にされるなど、漫画やアニメが堂々と世間に愛されている。
アニメをモチーフにしたファッションアイテムが流行し、
「趣味はアニメを観ること」
なんて恥ずかしい事でもなければ、「アニメを観る事が収入源になっている」というYouTuber(アニメリアクターと呼ばれる)も珍しくない。
そんな、「アニメは一つのトレンド」な現代において、『ゲゲゲの鬼太郎』という作品(1954年の紙芝居が初出)が、水木しげる生誕100周年記念として、これだけのクオリティで劇場版アニメーション化された事が、あまりにも素晴らしい。
◯◯記念、で特別作品が作られる事は珍しい事ではない。
そしてその作品が『episode.0』である事もありふれたものだ。
だけれど、その『episode.0』が
ファンサービス
でなく、
新しい誕生
なのが、素晴らしい。
本作を観て、「初めてゲゲゲの鬼太郎観たけど、他の作品も見てみよう」という人が増えるだろう。
虫圭が映画を観終わり席で放心していると、
「この映画ダークホースだった」
と感想を友人にこぼしている若い女の子のグループがいた。
どうやらその感想を口にしていた子は2回目の観賞らしく、今回は友人を連れて観に来た様子だった。友人に良作を布教していた訳だ。
70年前に生まれた作品が、若年層に大いに受け入れられる作品として、『remake:作り直し』でなく『rebirth:転生、復興』したワケだ。
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映画冒頭、目玉の親父は言う。
「アレから70年、遂にこの時が来たか。あの男も今日はここに来ておるかもしれんの」
そして映画ラスト、ゲゲ郎は語りはじめる。
「水木よ、見ておるか」
「長い物語になるぞ」
「では語ろうかの、わしとあの男がいかに出会い、そしてこの村で起こった全てのことを」
水木しげる、生誕100周年。
水木しげる先生に捧げられた出会いの物語だった。
(蛙๑╹ω╹๑ )<やっぱり5000文字越えのクッソ長文になったじゃんか。
お付き合いありがとうございました。
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